古美術鑑定オカルトはお断り

鳥羽フシミ

第1話 地蔵盆 その1

 伊勢圭佑いせけいすけの知る古美術商の吉岡と言う男は、古い言葉で言うところのダンディな男であった。


 小柄で痩せっぽち。でも、見た目にはめっぽう気を使うこの中年男は、いつも高そうなオーダーメイドのスーツにその身を包んで、その左腕には古い男なら誰もが憧れたことのある金の高級腕時計をはめていた。そしてポマードできっちりと塗り固められたオールバックの頭髪は彼のトレードマークであり、そして長年のこだわりでもあった。


 しかし、それも見た目だけの話である。


 八月もあと残すところ数日となったある日の朝。彼は自慢の高級外車の後部座席に一人の若い女性を乗せると、鴨川沿いの大通りを北へと向けてその車を走らせた。


「今日は、北山の山奥のその奥まで行きますさかいに、しんどくなったら遠慮のう言ってください。ほんまやったらわざわざお嬢さんをそんな山奥まで連れ出したくはないんやけど、今日会う男は少々偏屈者やよって、なかなか京都の街には出てきてくれんのです。」


 硬派な渋い見た目とは裏腹に、かなり年季の入った生粋の関西弁を使う吉岡は、後部座席に座っている女性にそう声をかける。


「すみません。こんな朝はよから車まで出してもろて、ほんまに感謝してます。」


 後部座席の女性からは、そんな丁寧でおっとりとした言葉が返ってくる。しかし、運転席の吉岡にとっては、逆に彼女の丁寧な物言いが他人行儀な気がして、なんとももどかしくてならないのだ。


「そんな……こんな事ぐらいでわざわざ気をつかわんとって下さいな。」


 言い訳でもするかのように彼は慌てて取り繕うと、そっとルームミラーに写る彼女の姿をその視線の端で確認した。

 後部座席の彼女はその端正な顔をいつの間にか物憂ものうげな表情に変えていた。そして、ぼんやりとしたその視線を、車の外を流れる景色へと落としている。


「五十万円くらいやったら、べつにあのひとに払ってしもても構わんかったのに……。」


 背後から聞こえた彼女の投げやりな言葉も、やはり彼にはもどかしい。


 ――まさか、本気で言ってるんやないやろな……。

 

 確かに五十万などという金額は彼女にとって大した額では無いかもしれない。しかし、吉岡にはこの問題がそれっぽちのお金で解決出来るとは到底思えないのだ。


「そんなんあきませんて、不安かも知れませんけど我慢してくださいな。ああいう手合いは、お嬢さんのお金に近づいて来てるだけや。カモやと思われたらそれこそ面倒でっせ。」


「でも、いっぺんあんなこと言われてしもうたら、もう誰かにお金を払ってお祓いしてもらうしかないやろ?」


「せやから……今から北山の……。」


――霊感の強い知り合いに見てもらうんやないですか。


 彼は、そう言いかけてあとの言葉を思わず飲み込んだ。しかし彼女は吉岡の途切れた言葉の先に何が有るかなど、今はどうでも良かった。


「どうせ私等わたしらには見えへんのやったら、もしあのひとが詐欺師やったとしても同じことやないん? 私、もうこんなん早う終わらせたいねん……。」


 彼女からしてみれば、今から会いに行く見ず知らずの男も、先日彼女に五十万を要求した女と何も変わりはし無いのだろう。男は、吐き捨てる様な彼女の言葉に改めてそれを思い知らされた。



 吉岡は、自分ではどうしようもない歯痒さを感じながら車のハンドルを握る。彼も後部座席の彼女も決してその女の言葉を真に受けたわけではなかった。しかしある日突然、見ず知らずの霊媒師に「あなたは呪われている」などと言われて、それを気にせずに笑っていられる人がこの世の中にどれほどの数いるのだろうか……。


 彼女は、その言葉を最後に、再び黙ったまま外の景色を目で追っていた。クーラーの効いた涼しい車内から時折り見かける子供達は、朝から照りつける日差しを物ともせずに街中まちじゅうを元気よく駆け回っていた。おそらくは残り僅かとなった夏休みをプールに虫取りにとめいいっぱい楽しんでいるに違いない。

 しかし、それにしても何故だろうか、今日はいつもよりも子供を多く見かける気がするのだ。彼女の心の奥で何かが僅かに引っかかった。


「そや、今日は地蔵盆じぞうぼんやったねぇ。」


 唐突に彼女の口からそんな言葉が漏れた。


 地蔵盆とは八月の終わりに行われる京都を中心とした近畿地方の特有の風習である。それは、町内のお地蔵様を囲んで子供達の無病息災を願う古くから伝わる伝統行事。

 彼女の声をきっかけに運転席の吉岡は視線を流れる町並みに移してみた。後部座席に乗せた娘の事を気遣うあまり、気にも止めていなかった沿道の風景には、至るところに地蔵盆ならではの賑やかな飾りと子供の名前が入れられた提灯がぶら下がっていた。


「そう言えば、そやなぁ。どうりで今日は子供が多いはずや。」


 ぼんやりとした表情で外を見つめる彼女の姿を再びルームミラー越しに確認しながら吉岡はそう答えた。しかし物憂げな彼女の反応は薄く相変わらず視線を外へと向けたままである。放っておけば途切れてしまそうな会話に、彼はそれをなんとか続けようと言葉を探した。


「よく、地蔵盆言うたら京都だけの風習やて言いますやろ。せやけど大阪出身の私の地元でも地蔵盆はおましたなぁ。私も子供のじぶんは友達と近所のお地蔵さん囲んでお菓子食べたり遊んだりしとりましたわ。なんか懐かしなぁ。お嬢さんもやっぱり地蔵盆は懐かしいのとちゃいますか?」


 しかし後部座席の彼女からの返事は帰ってこない。ルームミラーに映る彼女の姿は、なにも無かったかのように横を向いたまま。ぎこちなく吉岡がつないだ言葉も結局は無駄になてしまった。

 気がつけば、街中まちなかでは真っ直ぐに走っていた道がいつの間にか右へ左へと緩やかに蛇行を繰り返し始めていた。ここから先は本格的な山道である。彼はそれ以上ルームミラーを気にするのを止めてなんとか気を取り直すと、改めてハンドルを握り直し運転に集中した。


 吉岡と言う男は、運転があまり得意では無いのである。

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