『拝啓 共犯者様へ』

kanimaru。

「拝啓」

はあ、はあ、はあ。


僕は息を切らしながら必死に走る。詩織の手を引き、濡れた草に足を取られないようにと力を込めながら、走る。

すると突然、詩織は立ち止った。


なんで。逃げなきゃ捕まるのに。


「もうだめだよ、航平。もう、逃げれないよ」


そんなことない。まだあきらめちゃいけない。まだ逃げなきゃ。


「ねえ航平、殺してよ」

詩織がピストルを取り出した。僕は何も言えない。


「私、三人も殺したんだよ?このまま捕まっても、どうせ死刑だよ。だったらいっそ、航平に殺してほしい」

詩織は僕にピストルを押し付けた。その鉄はやけに冷たかった。手が震えてしまう。


嫌だよ、嫌だ。


幼稚に呟く自分が、赤子のように小さくなっていくのを感じる。

なんと弱いのだろうと自分でも思った。


「お願い、航平」

微笑む詩織の頼みを断れるはずがなかった。


僕は立ち上がり、撃鉄を下ろし、詩織の心臓に狙いを定めた。距離はわずか1メートルほどしかない。

空気が冷たい。上手く息が吸えない。震える手を抑えながら、歯を食いしばり、目をかっぴらく。


銃声が世界を支配した。





今日もまた、同じ夢を見ていた。


弾け飛ぶ銃声が耳奥に残っている。まどろみに、あの冷たい鉄の感触がよみがえる。

それが気持ち悪くて、僕は抜け殻から抜け出すようにベットから飛び出て顔を洗った。

顔をあげると、何とも頼りない顔をした男がそこに居た。

若いころに抱えていたいくつもの激情はとっくのとうにしぼみ、まるでミイラのようだ。

どこに向かうべきかもわからずに、ただひたすら彷徨う愚かな死体。

うん、僕にピッタリだ。


ぐちゅぐちゅぐちゅ。

ゔぉえ。


口をゆすぎ、タオルで拭く。

いつものように着替えて、いつものように髪を整えて、いつものように荷物をもって、いつものように家を出て、いつものように鍵を閉める。

そう、いつものように。


こうやっていつもの動作を繰り返して、僕は今日も生きている。


それに対して不満があるわけではない。だが、自分がまるでまともな人間であるかのように振る舞っていることが気に食わなかった。


僕は人殺しなのだ。


中学三年生のあの日、十四年前のあの日、幾度となく夢に見るあの日、僕は最愛の人を殺したのだ。


人殺しが、普通に生きていていいわけがない。

一刻も早く死にたかった。だが、僕は僕を許さない。これは罰だ。このやるせなさをいっぱいに抱えながら僕は生きて、生きて、死ぬのだ。





「先生、先日脳卒中を起こした谷渕さんなんですけど」

「先生、工藤さんのカルテって」

「先生、回診です」

「先生、山田さんのMRIの結果です」

「先生、彦根さんいらっしゃいました」

「先生、波多野先生がお呼びです」


はぁ。

いくつもの声を受け、仕事をしたのち、僕は自分のデスクで大きな溜息をついた。

全く皮肉なものだ。人を殺している僕が人を救う仕事についているなんて。

僕は自分の白衣をまじまじと見た。

純白の生地には血はおろか、ゴミの一つもついていない。

僕はそんなにきれいな人間ではないはずだ。

もっと泥をかぶって、この白衣を朱に染めるべき人間のはずだ。


では一体、この綺麗な白衣の男は誰だ。

少なくとも僕ではない。でもしかし、僕でもある。


「…気持ち悪い」

自身の孕んだ矛盾に対して、素直な感想が漏れていた。


僕は汚く、矮小で穢れた殺人犯だ。

その僕は一体どこに行ったのだ。

僕はこの白を、薄汚い生身の上にかぶせて覆って隠しているのだ。

怒りと虚しさで気分が悪くなり、いてもたってもいられなくなり、デスクに置いてあるボールペンを持って、思いきり掌に突き刺す。

しかし鋭い痛みが生まれるだけで、血の一つも出ない。


卑怯者め。

早く死んでしまえばいい。





この付近では一番大きな駅から徒歩で四分。「便利」という一点で借りたマンションだが、街の喧騒が煩わしくて仕方なかった。若者から中年まで、僕が帰るような時間帯には全員が見事な酔いを見せて、駅の前で潰れていた。

自分とのテンションの違いに今日も辟易しながら自らの居城へと向かう。


オートロックを抜け、エレベーターに乗ろうとすると、ふと視界にポストからはみ出た何かが入った。数字は807。僕の部屋だ。

ここ最近、買い物なんかしたかな。

不思議に思いながらも、それを取り出す。紙か。いや、封がしてある。手紙だ。



『拝啓 共犯者様へ』



表紙に書かれた文字を見たその瞬間、体は電撃を受けたような衝撃を感じた。電撃はほっぺたから横隔膜まで、数々の思い出と共に走った。


彼女の顔、言葉、声、仕草、笑み、肌のぬくもり、こびりつく鉄の凛と銃声音。


いや、まさか。

しかし、間違えるはずがない。小さくまとまった筆圧の薄い達者な字と、なにより『共犯者』の文字。


僕をこう呼ぶのは世界にただ一人しかいないのだ。

ゆっくりと息を吸い、瞬きをして文字をなぞる。


ああ、やはりそうだ。でもなぜ、今になって。そもそも、何のために。


思いは巡るが、何もわからない。


ただ一つ分かることは、この手紙は」、僕があの日殺したはずの彼女によるものだということだけだった。



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