御用命は、黒猫魔法探偵事務所まで

翠雨

第1話 浮気調査で飲み屋に行く

 美味しそうな匂いが、楽しげなざわめきに溶け込んでいる。たくさんのランプの、暖かい光に満たされた店内は、外の肌寒さを忘れさせるほどの熱気に満ちている。カウンターに案内されたマリーベルは、振り返って店内を見回した。


 所狭しと置かれた丸テーブルを囲む人々が、グラス片手に談笑している。楽しそうな笑顔が生き生きとしていて、マリーベルも自然と笑顔になった。


「いいお店・・・」


 その呟きを拾った給仕が、足を止めた。

「ありがとよ。おすすめは、牛肉のデミグラスソース煮込みだよ。昨日から煮込んだ、自慢の品さぁ」


「じゃあ、それと……」


「ワインがお薦めだけど、ビールでもいけるよ」

 マリーベルは少し考えると、ビールを注文した。


 これでも、仕事中だ。


 黒猫魔法探偵事務所で、魔法探偵として働いているマリーベルは、ある男を尾行している。


 男の名前は、へクター。商会で働く42才だ。下働きではあるが、古参で仕事振りもよく、リーダー的な存在だという。

 依頼人アンナの良き夫だが、最近では帰りが遅いときもあり、働きすぎを心配していたという。しかし、この冬に、品の良いマフラーや高そうなカフスなどを購入していて、急に不安になったのだと、アンナは顔を曇らせていた。

 女からの贈り物か、もしくは、女に会いに行くために身なりを整えているのかと。


 つまり、マリーベルへの依頼は、浮気調査だ。


 へクターの仕事終わりから尾行してきて、この飲み屋に入った。今は、マリーベルの左後ろに座り、運ばれてきたビールと料理を、堪能しているところだ。


「はいよ」

 テーブルの上にガツンと置かれた皿から、漂ってくる芳醇な匂いを、胸一杯に吸い込んだ。


(すきなだけ、食べたいのに。仕事じゃなければなぁ~)


 そんな詮無いことを考えながら、ビールをチビリと口に含む。そのまま牛肉を頬張ると、口の中でホロホロと崩れてしまう。旨味の溶け出たソースと、よく煮込まれ味の染み込んだ牛肉に、顔が綻ぶ。


「おいしい~」


 自然と出てしまった呟きに、慌てて口を押さえた。

 ビールを一口含んで、飲み込んだ。それから、お肉。


「ん~!!」

 頬に手を当て、感嘆の声を漏らす。


「ねぇ、彼女~。一人なら、一緒に飲まない?」

 カウンターに寄りかかるようにした男が、馴れ馴れしい様子で声をかけてきた。慌ててポケットをまさぐりながら、男を確認する。

「可愛い顔してんじゃん。一人でいるなんて勿体ないよ」

 そういいながら、ナイフを握った手に、男が手のひらを重ねてくる。


 バチッ!!!


「いつっ!!」


 ポケットから取り出したものを男に見せると、「先に言えよ!」と毒づきながら去っていった。


(忠告する前に、断りもせず、触れてきたのは、そっちではないかしら)


 小さなため息をつきながら、痛む手の甲をさする。

 ポケットから取り出したものを、じっと見つめた。


 何本もの線が入り交じった幾何学模様の中に、太陽と月を配した、魔法使いの証し。

 魔力を登録することで、手に入れることができる公的な紋章だ。マリーベルのように、仕事で魔法を使う者には必須で、先ほどのような男を追い払うことだってできる。

 なにせ、魔法使いは、その身に宿す魔力のせいで人に触れられないのだから。すべての人がダメというわけではないのだが、反発が起こることを考えれば、触れてみようとは思わない。電気が走ったように、痛いのだ。

 人に触れられないからだろう。魔法使いは、伴侶をもたないことが多い。

 それでなくてもマリーベルは、仕事柄、男女のいざこざに首を突っ込んでしまうことが多く、恋愛については消極的。ほとんど諦めていた。


(まぁ、手袋をはめていなかった、私も悪いんだけど)


 触れられないのは、かなり不便だ。そのため、普段は手袋をしているのだが、今日は敢えて外していた。

 尾行の途中で、魔法を使う可能性が高い。魔法の発現には、手のひらからの魔力の放出が必要で、魔力遮断効果のある手袋をしていては魔法が使えない。

 それに、変に目立って、尾行している男に、警戒されたくなかった。


 様子を伺ってみたが、この騒がしさにかき消されたのか、はたまた、酒場ではよくある光景と思われたのか、怪しまれた様子はない。マリーベルは、胸を撫で下ろした。


 頼んだものを堪能していると、へクターが席を立ったので、慌てて残りを口に詰め込む。少し多めのお金をテーブルに置くと、給仕に声をかけて店を後にした。


 この店では、女性の影はなかった。背の高い細身の男とは話していたようだが、それだけだ。


 商店の多いエリアを抜けると、住宅が立ち並んでいる。少しずつ街灯が減っていき、道を歩く人も減ってきた。

 人が少ない場所では、尾行に気づかれてしまう。

 住宅街に入ったところで、男が速度を上げたので、小声で魔法詠唱を始めた。


「恒久のときを巡る 希望と安穏よ

 自然の理を曲げんため 我が魔力を代償とす

 ガーティスの名のもとに 我が姿を変えよ」

 放たれた魔力が、マリーベルの周りを満たして渦を巻く。


 着ていたポンチョと巻きスカートを、裏道の茂みに押し込んだ。

「獣化!」


 マリーベルの女性らしい華奢な体躯は、小さく黒くなっていく。亜麻色の真っ直ぐな髪は跡形もなく消え、代わりに黒くてよく動く耳が。その耳の先に、ちょこっと白い部分を残すのみ。丸く大きな緑眼は、色だけ残して獣のそれになっていた。


 黒猫に姿を変えたマリーベルは、夜の闇に紛れて音もなくつけていく。

 住宅街を抜けたところで街灯はなくなり、行く先を照らすのは月明かりだけ。人とすれ違うことはなく、静寂の中、男の足音だけが響く。

 いくつか角を曲がったところで、しなやかな動きを止めた。


 男が立ち止まったのは、薄暗い倉庫裏。冷たい風が吹き抜けていく。


(こんなところで、逢い引きなんて、変よね)


 暗がりから、もう一人、男が現れた。人相などは見えないが、まさか、あの男が恋人・・・ということは、ないはずだ。


 ボーッとする頭を振って様子を見ていると、茶色い袋に入った何かを受け取ったようだ。

 へクターは中身を確認して、小さな袋を渡した。その中身をもう一人の男が、取り出す。


 ジャラっと音がなる。


 お金……。


 暗がりの中、手の上に出した硬貨を数えている。


 こんな、誰もいない倉庫裏で、ひっそりとした取引……。


 違法……?


(ここにいたら、不味いんじゃないかしら・・・?)


 あまり働かない頭を振って、立ち去ろうと足に力を入れるが、ふらついてもう一度座り込む。


(ちょっと、飲みすぎたかしら)


 元々、お酒に弱いのに、最後に残っていた分をがぶ飲みしたのがいけなかったのかもしれない。


 ガサ、ガサ、ガサ


「恒久のときを巡る・・・」


(えぇ!! 魔法詠唱!? 状況的には、警ら隊!?

 見つかったら不味いわ!! 犯罪者の仲間にされてしまう!!)


 壁沿いの暗闇に、小さく丸まって身を潜めた。

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