ナルシス
笹十三詩情
ナルシス
ナルシスは神話によればセフィーズ川の息子。或る泉の水に映るわれとわが
姿に心を奪われ、その水底へと身を投げた。彼は、その名で呼ばれる花にされ
た。
堀口大學訳ジャン・コクトー『用語集』「小鳥は雪で」
における堀口大學による訳注より
空の向こうのほうで、金星が宇宙の底へ墜落するのをベランダから眺めている私は、何となく物語の主人公のような気がする。幼いものは、皆物語の主人公であることを願うと言うけれど、私のそれは他とは違うのだと言って許されたかった。物語に憧れているんじゃない。私こそが物語なんだ。そう、言いたかった。
みんな自分が主人公だと思っている。私もそう思う凡人の一人なのだと、思う。しかし、私だけは違う。そう思うことで生きている。特別であること。それが私を生かす。
でもたとえ特別でも、生きることは救いではないし、死ぬことも救いではないんだ。私が薬飲むのも、手首切るのも、特別が欲しいから。でもそんなことをしても特別は手に入らないし、生きていることは特別であっても、ただそれだけで地獄みたいだ。
死ぬことだって、本当にあの世はあるのだろうかって、考えて、まず死のうとする第一歩が苦しそうだし、死んで救われるかどうかは分からない。
ならば、意味のある死だけが輝いていた。物語として死ぬことは、詩情だ。「死は救済」ってネットを見ているとよく書かれているけれど、それだけではなんにもならない。今ある苦痛から逃れられたら、それは救済って言うけれど、死後に救いがあるかどうかなんて分からない。今、この今、から逃れられたらいいけれど、それは逃避であって、救いかどうかは分からないんだ。
私がいる団地の前の公園で、街灯がぼんやりと光を放って、家出したくなる。味の薄い洋たばこを吸って、煙を空に吹きかける。
太陽の焼け跡はあの辺だろうかと、西の地平線を眺めて、この街に地平線なんてものは無かったことに気付く。背の低いビルと民家の下に、地平線は全部生き埋めにされてしまっている。
生命活動未遂。怠惰未満。
自殺しないで自殺する方法はあるのかな、なんて。
大気も、星も、水も、空転している。人も輪廻という空転をしている。それを循環と呼んでしまうのは、なんだかずるい気がする。なにもそんなに立派な意味を付けなくたっていいのに。そんな大そうな意味をつけるなら、私にも立派な意味をくれよ。
そう思いながら、たばこの火を消して外へ出る。この部屋には私しか住んでいないのだから、家出というより散歩か外出だ。そう分かっているけれど、階段を下りて、公園。オレンジ色の街灯の明滅は木々の陰影に染み入って、濡れている。私の影もその中の一つになって、濡れている。水漬く影は、家出という幻想を刻銘に浮かび上がらせる。家出という響きを自分のものにしたくて、私は公園を歩く。
金木犀の香りは、陶酔の香り。家の目の前の公園へ行くだけのこの行為を家出と呼ぶなら、世界中みんな家出をしている。そんなことを考えたら、世界中のみんなで一斉に家出をしてみればいいんだと、思った。
時々公園の向こうを自転車が通り過ぎる。錆びたピンクの自転車と「愛羅武勇」なんてステッカーの貼ってある自転車が二台一緒に通り過ぎて、犬が吠え。
明日入院するのが嘘みたい。入院したくてすることになったのに、いざとなったら逃げだしてしまいたい。そんなことを考えて、散歩なのか家出なのか分からない外出を続ける。
そのままコンビニへ行って缶チューハイ。歩きながら飲んで、今なら全部ができそうな気がして、たぶん何にもできないんだろうなって、思う。みんな一生そうなんだろう。
宝石のような盛夏が過ぎ去って、秋の惜別。欠けない宝石が存在しないのと同じように、傷つかない普遍の季節なんてありはしない。だから、私は、朽ちて行く夏が、いとしいのだと思う。そうした全ては詩で、人を愛せなくとも、詩は愛せる気がする。自分を愛せなくても、詩情の中にいる自分なら愛せる気がする。
酔いがまわって、公園の柵に腰掛けてたばこ。ふかした煙が、空に染み込んでいく。明日、私は私の中のかわいそうになりたい私によって幽閉されるのだ。解放病棟。かわいそうな特別を手に入れるために。
お酒が足りなくなって、またコンビニ。蝉の遺骸。金木犀の花びらの遺骸。夏の遺骸。道路のそこここには、死に絶えた季節が落ちている。踏みつぶされた蝉は土の中にある故郷の歌を歌って、辞世の句。
公園まで帰って来て、買ったワンカップ。家出と夜の親和性について考える。答えは、出なかった。もうこのままここで暮らしてしまえばいいような気さえする。部屋に帰らなければ、ずっと逃げていられる気がする。明日も、明後日も、百年後も、逃げていられる気がする。私の嫌いな世界から。
そう思って、私は公園の片隅で仰向けになる。このまま寝てしまえばいいんだ。そう考えてから、眠らなければ、明日は来ないような気になる。もちろんそんなことはないのだけれど、夜を観測している私の意識が途切れたら明日になっている、という習慣から抜け出せたら。夜を観測し続けていれば、それは朝になったとしてもそれは昨日の連続で、今日を続けていられるんじゃないか、なんて思う。
そんな言葉遊びをしていたら、気付けば朝まだき。昨日という今日を連続させることはできなかった。夜露が服を濡らして、暁。まだ眠気から抜け出せ切れない中で、自分の酒くさい息が、白い。
そういえば、昨日は薬を飲んでいなかった。家出するというのに持ってきてもいなかった。精神がぐらぐらして、結局、家に戻って薬。「ぐらぐら」としか形容できない、この精神のぐらぐら。エビリファイ。レキサルティ。デパケン。セディール。ワイパックス。
全部口の中に放り込んで、唾液で溶かす。そうした方が効きがいいって、ネットに書いてあったから。薬の味。粉っぽい味。少し甘い。暗い台所でコップに水を汲んで、映画のワンシーンのようにわざと少しこぼしながら飲む。そんなところまで、陶酔。滴る水のつめたさ。二日酔い気味の濁った体が、ほんの少し純度を取り戻していく。
持っていくものは、全部旅行鞄に詰めてある。ばかみたいに大きい鞄を持って、あとは病院へ行くだけ。入院に必要なお薬手帳や印鑑と一緒に、たばこもカートンで入れてある。あとはたばこを取り上げられた時に吸う用の、紅茶の茶葉と、ちぎって巻き紙にする用の英和辞典。紅茶なら吸ってもいいでしょって。
入院、なんて言っているけれど、こんなのただの外泊みたいなもの。「あの子精神病棟に入院したんだって。やさしすぎたんだよ」なんて、みんなが言ってくれるのを期待して、私は今日入院する。「入院するほどつらかったんだね」ってみんなが言ってくれるのを期待して、私はこの部屋を出て行く。
病院の予約の時間まで暇だから、口笛を吹いて玄関の金魚の水槽を眺める。鱗が薄明かりを反射して。愛はあるけど、ないよ。都合のいい愛はね。何となく生きづらいから、それは愛が足りないのだと、全部愛の不足のせいにしてる。この入院は、生きやすくするための入院。楽して生きやすくするための。
「さよなら。さよならさよなら。さよならさよならさよなら」
名前も付けてない金魚に向かって、繰り返す。できるだけたくさん。特に意味はないけれど、そう言っておいたら、なんだか意味ありげな気がして、そんなもの憂げな自分がいとしく思えるから。でも、私がいなくなるから「さよなら」じゃない。「私はここからいなくなる」、のさよならじゃない。金魚は私が入院している間に死ぬだろうから。「金魚さん死んじゃうね。さよなら」のさよなら。別に金魚なんて、かわいそうでもないんだ。手首切って、薬飲んで、これから入院する私の方がかわいそうなんだ。
明るくはなったけれど、それでも時間はなかなか来なくて、退屈。金魚を見るのも飽きて、玄関から部屋に戻って敷きっぱなしの毛布の中。首だけ出して、視界には擦り切れた黄色い畳と、光の漏れる黄緑のカーテン。
「ただいま」
布団は私の故郷。毛布の中には、早死にした友達の遺影を眺めているような、抱きしめたくなるなつかしさとぬくもり。私が眺めているものは、もしかしたら、夏の遺影なのかもしれない。だから、丸くなって膝を抱くのと一緒に思い出まで抱きしめているから、秋の布団の中は、こんなにも熱が心地いいのかもしれない。
「ではご案内しますね」
入院手続きが終わって、疲れた顔の看護師が部屋へ案内してくれる。明日から「なんとか療法」っていうのが始まるらしい。その時間以外は自由。たばこは没収された。
三階の「この部屋で」って案内された部屋では、空きベッドが二つ。窓側の一つは私の。もう一つのベッドは空いていて、隣には、天井を見つめながらぶつぶつ言っているおばさん。
窓には鉄格子。どうせ私はここから飛び降りはしないんだ。薬も管理されて、今までのように睡眠薬ODしたりもできない。でも、「入院」という行為は、ODによって得られる「かわいそうだね」よりも「かわいそう」が得られる気がする。ただ、寝ているだけでいいんだ。スマホの連絡は一日十分だけ。まあ、私には連絡する相手もいないけど。
解放病棟だから、散歩は自由で、廊下に出てみるけれど、そこにはうつろな目でうろつくじいさんばあさんがいるだけ。
白い廊下を歩いて、歩いて、歩いて。自分から入院したのに、ここは退屈。どこまで行っても続く、くすんだ白さ。社会から見たら自分はこんな退屈な色なのかもしれない。談話室まで行ってみる。
お水のサーバーがあって、それだけ。あとは椅子と机。その部屋の隅っこには、私より若い女の子が一人。パジャマを萌え袖にして、お茶を飲んでいる。
「どうせあんたもかわいそうが欲しいだけなんでしょ? 本当に精神参ってたら、とっくに閉鎖病棟か自殺だよ」。そんなことを考えると、話す気にもなれない。
私は一人、部屋へ戻る。部屋、窓からの日光に透かされて、大気中の塵が沈殿していくのが、見える。私もここに沈殿するのだ。どこにも行けなくて、この密閉された精神のサナトリウムから、抜け出せない。
隣人の独り言が止まらないから、私はこっそり持ち込んだMPプレーヤーに繋いだイヤホンで音を遮断する。私は人が嫌いなのに、人が作った音楽は好き。特に古い音楽。ビル・エヴァンスとか、ビートルズとか。漫画も読む。小説も。絵画も好き。それらを作った人、あれはもう人じゃないんだ。なにか、人であって、神話のような気がする。あるいは叙事詩。神話の中に出てくる人。それは、この世界でうごめいている愚かな、私にとって都合の悪い、私に無償のやさしさを向けてくれない人々とは違うんだ。芸術と、彼等の愚かしさを見たことがないことと、同じ時代に産まれなかったゆえの遠い時代への羨望とが、私の中で彼等を神話にする。
私にとって一番やさしいのは、他の誰でもない私。私は、私を修飾することで、最愛の自分を神話にすることができる。神話になれれば、自分をいとしいと思える気がする。今のままでも自分は大切だけれど、同時に、自分が嫌いでもあるから。
なぜ、そう思うのか、分からない。なぜ私は自分が嫌いなのか。どうして私はそれでも私が好きなのか。自殺したい程、自分が好き。そんな、大好きな自分には、神話であって欲しい。一番好きなものには、世界で一番きれいであってほしい。
神話によれば、ナルシスは自らの美によって殺された。だから私達、神様を飾り立てるんだと思う。美しくなるように。逆説的に、私は美しく殺されることによって神話になれる。詩人、レイモン・ラディゲが死によって神話になったように。
空調の効いた病室は快適で、布団の周り、病室、病棟、全てが午睡の眠気に包まれている。清潔な布団のにおいが、感傷に染み入る。固い布地のシーツの感触。漂白されすぎた無臭。
私は布団を頭まで被って、私の体を想像する。他者を愛せないのならば、私は私を愛せばいい。胸を触ってみて、柔らかい。この胸のやわらかさが、生物学的女ならだれもが持っているやわらかさ。それでもこの膨らみ方、押した時の肉の沈み方、両の乳首の向き、はたぶん私だけのもの。
布団の中のあたたかい吐息が、空転する。私の吐き出した息が、私の中に戻って行って、私になる。それは性行為に近い。私はそれで満足。他者と性交できる気がしない。異性はもちろん、同性も。自分以外の人間が、気持ち悪い。
私にできるのは、愛せないのに、愛するふりをすること。それは裏切りで、裏切ることによって誰かに憎まれ、憎しみという観念によって私の中の「私」という観念は殺される。
私の中にある、私が創り出した「私」。それは形而だから、いくら殺しても、私は死なない。「『私』、死んでよ」ってだれかに言われたら、「私」はすぐにでも自殺できるし、或は、私が「私」を殺す理由が作れる。
神話が空想の中にのみ存在するというのなら、空想の憎しみという観念によって殺されることで、ワタシは完成する。そうしたら、私は自分を愛せる気がする。
私は、架空の「私」という幻影を生贄にして、差し出して、引き換えに小さな神話を作ればいい。それにはまず、誰よりも私が「私」を愛する必要がある。最愛の恋人である「私」を失う悲劇によって、物語は完成する。
もう一つは、「誰か」を愛すること。最愛の誰かによって殺されることで、私の悲劇は完成する。本物の愛なんて必要はない。ただ、「あなたを世界で一番愛しているよ」という仮説を一時信じるふりさえすればいい。憎しみに、偽りの愛で応えるのは、最高の皮肉だよね。
「誰か」と手を繋ぐ時、私は「私」の存在を意識して昂ればいい。「誰か」とキスする時、私は「私」の顔を想像して昂ればいい。「誰か」と性交する時、私は「私」の性器を想像して昂ればいい。私は、誰かの中に架空の「私」を創り上げ、それを愛しさえすればよかった。
であれば、私には「誰か」が必要だから、この病棟でその誰かを探そうと思った。ここに収容されている不幸な誰かは、私の理想的な仮想恋人になりうる。その前に、と思って私はセックスをした。イマジナリーラバー。つまり「私」と。
病的に変な奴なら、周囲から同情をもらえるっていうのもあるけれど、私は私を、ひいては「私」を愛している。手首を切るほど愛しているから。いとしくて、いとしくて、いとしいから、かわいそうな私は、「私」は、もっとやさしくされるべきなんだ。
吐息が漏れるのを押さえて、全部が終わると、私はやわらかい性器から出た粘液で濡れた指を舐める。なまぐさい。味はしない。
私が一番私を気持ちよくできる。私が一番私をかわいいと思っている。私が一番私を好きなんだ。私は私への恋を、「私」への恋情を、奇跡が訪れるまで、この一連の焦がれ続ける時間の連続を時の神への貢ぎ物としてささげ続ける。そうすることで生きて行く。でも、もしそうだとしたら、奇跡の訪れは、永遠に来ないんじゃないか。奇跡とは、起こらないことで全ての人々の理想の上に成り立つものだとしたら。そんな思考が、私を不安にさせる。いや、それはない。それはけっしてないんだ。
奇跡とは、宗教だから。奇跡は、神を疑う人間のもとには現れない。信仰とは、そういうもの。「信じる」という行為によって神を自己の中に生じさせる精神世界の儀式。私は、神話がこれから紡がれることを信じてさえいればいい。信仰の対象たる神は、水槽の中の金魚にだって宿るんだ。今、私がえさをあげないことによって金魚にもたらされた現在進行の死という連続は、換言すれば即身仏になるということも言えるのだから。生き物の生は、どう意味付けたかで神話にも戯作にもなる。私は、ある程度私の生の舵を取りはすれど、神話になるための信託という意味付けをすればいいんだ。
そう考えて、窓の外。閉め切りのガラスから、少しだけ紅葉した銀杏。昔、まだ大学に真面目に通っていた頃、夕暮れの校舎から見たあの日の銀杏を思い出す。黄色く染まって、冷たい風。退屈な哲学の授業。教室に遍満する眠気と、そこから眺める清澄そうな景色の対比。ここから見る窓の外の様子では、まだその季節には早かったけれど、眠気を催す空気はここにもあった。
昼間はいくらでも眠れる。なぜか、眠くなる。代わりに夜になると、いやなことばかり思い出して、考えて、思考がぐるぐるして、眠れない。まだ昼。だから、眠くなる。それを生きるのに向いてないという言い訳の材料にして、私は眠る。
目が覚めて、宵闇。古びた病棟の床にも闇は区別なく満ちて来て、情緒。廊下の隅の自販機まで缶コーヒーを買いに行って、戻る途中でキャスター付きの銀のコンテナが運び込まれるのを、見ていた。コンテナの鈍い光。車輪の軋み。たべもののにおい。囚人の気分。
特にたべもののにおいが、気持ち悪い。においは、そのにおいのするものを口に入れるのは、生きている証拠。病院は病気を治療するところ。病気を治療して、他の生物の一部を自分の内臓の中に入れて。そうまでして生きたいという欲望が、気持ち悪い。
今まで何の疑いも無くそうしてきた行為が、「病院」という場所によって、自分の病的な部分をより意識させられる。そんなエゴ。「今日から食べるのやめる!」、そんな宣誓を私はしてみる。「私」は無言。無言は肯定。
部屋に戻る。私のベッド以外三つのベッドの周囲を、薄い緑のカーテンが囲んで、私も自分の領地に入るとカーテンを閉める。食事が運ばれてくるのをしばらく待つ。待っていないのに、待ちたくなる。それが食事で、同時に、待っている自分が嫌。私は欲望なんて醜いものは持ちたくない。生きることはそれ自体がエゴだけれど、もしそれが人の宿業であれば、高貴なエゴを仰望する人であれ、と私は「私」に言う。「私」は無言。無言は肯定。「私」は私のお人形。理想通りの思索を抱き、理想通りに変化する存在。
私は「私」という精神の人形を、彫像を創り上げる。「私」という精神は私の中に存在する以上、私の「理想」に概念的「実像」を与えてくれる。私は私の高貴なエゴイズムによって、「私」という存在を得、私は「私」という意識によって、この世界で存在している確証を得るんだ。
部屋の中の住人全てに食事が行き渡る気配がした。私のテーブルにも食事が置かれて、焼き魚の焦げたいいにおい。私はそのにおいを無視することで、死んで欲しい部分の「私」を殺す。ゆっくり。ゆっくり。「私」に不用な部分を、そぎ落とす。
そんな自意識に満足。お茶だけ飲んで布団を被ると、向かいの領土で大きな音。その音から皿を床に落とした音だと分かった。学校の給食の時に時々響く、プラスチックの乾いた音。異常だったのは、一つの音ではなかったということと、故意に落としたと分かる程大きな音だということ。同時にたくさんの皿が地面に叩きつけられる音がして、最後にトレイが床に落ちる音がした。「はいはい、ここは精神科だからね」と、私は一人で納得する。
その音を聞いた看護師がやってきて、「神崎さん! また!」と言った。
「いらないってば!」
「ごめんね。でも食べないと、ね」
「は? いらねーつってんの」
カーテンの向こう。「ごめんね」と言っておいて、看護師のその口調は淡々としている。でも、もっと馬鹿みたいなのは「いらないってば!」という女の、もっと言えば少女らしき声の方。あれはただ騒いで、気を引こうとしているだけのわがまま系精神疾患。治す気の無い、幼稚な演技。そんなにかわいそうになりたいなら、早く閉鎖行けよ。でも医者も馬鹿じゃないから、閉鎖病棟には入れないんだろう。だって閉鎖に行ってもまたごねるだけなんだから。ああいう奴は。
そう思って、私は? という考えが擦過する。私は違う。違う。違うんだ。私は演技じゃない。本当に生きにくいから、生きやすくするためにここにいる。何が悪い? 手首切ってるし、首吊りしたし、眠剤たくさん飲んだし。健康ならそんなことしないだろうけれど、私はした。私はやっぱり健康ではないんだと、ここにいるべきなのだということを確認して安堵する。
カーテンを少し開けて、隙間から様子を見る。談話室でお茶を飲んでいた少女のものと同じパジャマが見えた。早く死ねばいいのに。
そんなことを考えていたら、朝から何も食べていなかったのを思い出す。空腹すぎて我慢できなくて、お吸い物だけ飲んでしまった。「明日から頑張るね」、と思考の中で「私」に言う。食器をさげに来た看護師には、鬱が酷くて食欲がない、ということにしておく。
食後の薬を飲んで、酒が飲みたい、と思った。消毒用エタノールの容器の中身を入れ替えて持ち込んだ安価なスピリタスを歯磨き用のコップに注いで、部屋に備え付けの流しの水で割る。質の悪いアルコールのにおい。飲むと酷い味。安酒より酷くて、エタノールよりまし。ただ、アルコールへの欲求は若干満たされる。
コップのアルコール臭を落とすために洗剤で洗って、ついでに歯を磨く。寝る前に外が見たくて、窓際のベッドなのをいいことに勝手に窓を開ける。清澄な風が、酸欠気味の室内にいる人間には心地いい。歯磨きをした後の唇に風が触れて、清涼感。それが思った以上に気持ちよかったから、口を開けて、深呼吸。
宇宙を見上げる。あそこは誰一人として、人間は住めない。酸素はなく、生きて行けないほど熱い星か、生きて行けないほど寒い星。或はブラックホール。ロマンチックな地獄。明滅する地獄を観測していると、後ろから「ねえ」と呼ばれた。
「寒いんだけど?」
振り向いて、そこには萌え袖メンヘラ。
「そう」
私は観測に戻る。
「あんただけの部屋じゃないんだけど?」
「お前もさっきうるさかったよ」
「わたしはしょうがないんだよ。看護師が悪いんだから。いらないって言ってるのに飯出してくるんだもん」
「なに、拒食症なわけ?」
なんだか少し笑えてしまう。
「そうだよ。なんか文句ある?」
「別に」
本当に興味がないから、「別に」と言うことすら億劫。そいつは拒食症にしては普通の体格。細いと言えば細いけど。
何となく、私はこいつを愛することができるだろうか、と仮に考えてみる。こいつに「私」を殺させようと思った。単純だからすぐに思うようになるだろう、と。それに愛にしろ友愛にしろ、古典的美意識から見て、それらが輝くのは若さによるところが大きいことは確かだ。私の知る限り、こいつは若いのだ。
私はこれ見よがしに、そいつの前でさっきのスピリタスをコップに注ぐ。
「なにそれ。エタノール飲んでる私はかわいそうって?」
「まあそう言うなよ。これ、中身入れ替えたスピリタスだからさ」
「お前もコップ持って来いよ。注いでやるからさ」と言うと、そいつ、もとい「神崎さん」は嬉々として歯磨き用のコップを持ってくる。
「まあ、仲直りしようや」
私が言うと、彼女は「ん」と、何かを差し出してくる。見覚えのあるマイスリーのシート。
「あげる」
「酒代ってか?」
「そんなとこ」
私が飲むと、神崎さんも飲む。
「この酒、くそまずいよ」
「そりゃそうだよ。ここは戦時中なんだから」
「戦時中なわけないじゃん」
「いや、そうなんだよ。ここはいつだって、時代に取り残された場所なんだから」
神崎さんは「なんで?」と言いたそうに酒を飲む。
「戦ってるでしょ? 自分と、社会と、世界と」
そんなありきたりなことを言ってやると、彼女は満足してまずい酒に口を付ける。
自傷行為は、それに伴う陶酔によって救われなければならない。こういう人たちを満足させるものは、自分が特別だという自意識を認めてもらえること。自傷行為のように、自分をかわいそうにするために入院するこういう人たちには、あなたは戦っている少数の選ばれた人間であるという言葉を与えてやるだけでいい。
なら私は? 私は彼女達と同じ? かわいそうになりたいだけ? 私のかわいそうは誰が保証してくれる?
それが不安なら、私には彼女とは違う特別が必要だ。彼女を愛し、愛された果てに殺されるという計画の他に。それは、世界を変えるほどの悪か、世界を変えるほどの善になることくらいしか思いつかない。そんな大きな主語。そうあれと願うことでしか、私は私を救えないんだ。
「窓開けたままでいようよ」
「さむいって」
まあ、正直言えば私だって寒い。だけど、彼女のような自意識を持つ人間を飼いならすには、さっきと同じように陶酔を与え続けていればいい。簡単なことだ。
「見て」
「なに?」
「金星」
金星と月くらいしか見えない汚い空。と言っても、私にはきれいな空も汚い空も分からない。ただ、星がよく見えるか見えないか、くらいの判断しかできない。でもそれでいいんだ。
「特に何ってわけでもないよ」
神崎さんは「何言ってんだこいつ」って顔をする。
「いずれ大気汚染で見えなくなるかもしれないからね。そうして何千年も経って、金星についての記録も閲覧できなくなったら、人は星さえ殺すことができるんだよ。忘却と死の親和性。そうなった時に、私だけ金星の記憶を持っていたら、あれは私だけの金星だよ。星さえ自分のものにできるんだ」
「なにそれ」
そう言いつつも、神崎さんはさっきよりも興味ありげな顔をする。
「人類の最初になれなかったら、人類の最後になればいいんだよ。問題はどうやって自分を永遠にするのか」
「でも人類の最後になんてなりたくない。さっさと死んじゃえばいいんだよ。自分なんて」
「ま、そりゃそうだよね」と私はまたスピリタスを飲む。
「でも死ぬのは怖いでしょ?」
「まあね」
「それはどうしてだと思う?」
そう言うと神崎さんは黙り込む。
「自分の意識が無くなるかもしれないからだよ。死後に意識が連続しなくなるかもしれないから」
「そういうもん?」
「そう。もし、自分の意識が死後も連続するなら、死んだ後の世界が今よりいい世界だったにせよ悪い世界だったにせよ、人は救われるんだよ。自己の消滅っていう恐怖はなくなるんだ。悪かったら、また死ねばいいんだから」
「なら死は救済だよ」
こいつ、あたま悪い。意識が連続するならって話しなのに。それなら早く死ねよ。私はそう思って、それを悟られないように窓の外を見る。
「仮に、人類最後の記憶にならなくても、私の瞳の奥に焼き付いた金星は、私だけの金星の記憶。自分だけの観念の星。意識の中でなら、人は星さえ自由にできるんだよ。そんな、ロマンチシズム」
「ふーん」と言って、神崎さんは窓の外を見る。もっと分かりやすい陶酔でも与えてやらなければ分からないんだろうな、と思って、私はコップの中を見せる。
「ここに金星が映ってるでしょ? これ、飲んでみようよ」
無粋な月見酒。もとい星見酒。でも神崎さんは喜んで、スピリタスをあおる。ロマンスに酔う愚かさは多かれ少なかれ、人間が持って産まれた病だ。
そんなことを思って、ふと、人間の幼ない愚かさを愛することができれば、私は「私」を利用することなく私を愛せるのだろうか。自分の幼さを受け入れて。それもまた、ロマンチシズムかな、と考えたり。
「まださむい?」
「さむい」
「私にはね、寂しさが必要なんだよ。秋の風の抒情。過ぎ去った夏への追憶と、物憂げに死を迎え入れる儀式のような寂しさに浸る時間が」
神崎さんは無言。無言は肯定。煙に巻くのは得意。
「もし、今が夏という季節のお葬式だとしたら、どれだけの人が死んだ夏のために泣いたと思う? 人の世は、誰かが死んでも、どんなに悲しくても、その営みは続いていくんだ。それはとても悲しいことだと思わない? たまに死が受け入れられなくて営みが続けられなくなる人が居るけど、社会はそれを良しとしない。ましてや、季節の死に泣く人はあれ、営みを続けられなくなる人は少ないよ。なら、私は、夏という一つの死のために泣きたい。泣いて、悼んで、その死は意味あるものだったと証明したい。私がこうしていることによって、季節は記憶に埋葬されるんだよ」
「ふーん」
ここまで煙に巻いて、あと一押し。
「死にたい気持ちに『感受性』と安易な名前を付けて、簡単に廃棄して生きて行きたくないから。人やものの死に対しても」
そう言ったら、「それ、いいね!」と、初めて全面的な肯定を示す。
「でしょ?」
それから私と神崎さんは、窓辺でそろって星の観測。冷たい大気。名前も知らない木々の影。病棟の非常灯の緑の光。中庭のベンチの湿り気が、ここまで伝わってくる気がする。遠くに聞こえるまばらな車の音。私はここに閉じ込められているという自意識。
あの車の音が聞こえてくるあたり。病院の外。それは健康な世界で、健康な世界はつまり理想郷。そこから遠ざかっていることは、理想郷を追放された者の見る孤独な夢を意味する。孤独は、感傷を満足させるに足る感情なんだ。
さっきそぎ落とした、「私」の欠落を、感傷で埋めていく。神崎さんは私の思い通りになりそう。簡単に煙に巻かれるのだから。そうして私は神崎さんに「私」を殺させる。それにはもっと、もっと彼女に私を愛させる必要があるんだ。
しばらく星の観測をして、「今日はもう寝よう」と促す。死は、周到に用意された物語でなければならない。私の詩情がそう訴える。
「お酒、ありがと。レナって呼んでいいよ」
「うん。おやすみ、レナ」
「おやすみ、えっと」
「私、夏美」
「おやすみ、夏美」
そうして私達は、窓を閉めてお互いの領土に戻る。ベッドに入ると気が抜けて、眠くなる。酩酊の中で、眠りに落ちて行く感覚が、分かる。ゆっくりと、ゆっくり、と、意識が暗い思考で創り上げられた空間を落ちて行く。考えが上手くまとまらない。私と「私」が混じり合う。そのうち意識の塊が、分散し、攪拌され、無意識の中に溶けて行く。病院によくある布団の寝心地の悪さはささやかな幸福の欠如で、思考とは関係のない、触覚から伝わってくる感覚が、私の「かわいそう」に実体を与えている気がした。
朝。レナは大人しく朝食を食べている。結局、彼女の癇癪はただの気まぐれ。それは分かっていた。やっぱりね、と一人で頷く。私はまた味噌汁を飲んでしまって、私自身、彼女と同じなんだ。気まぐれなんだ。問題はそれを受け入れられるかどうか。そう考えて、やっぱり受け入れられない。そう思えたら、残りの朝食の時間、急いで食べられるだけ胃に詰め込む。そうやって詰め込んだ食べものは、不純物。純粋な「私」を構築するために不必要な不純物。今はその不純物が必要だった。
食べる、という行為が気持ちが悪い。生きたい、という欲求だから。生きたいという欲は、人間の悪意を生み出す感情のように思える。よりよく生きたいと思うから、電車で席の取り合いをしたり、コンビニでガムを盗んで満足してみたり、盲導犬を連れている人に散歩禁止だと言ったり。悪いことの理由は、全部それなんだ。みんな自分の悪意を、何かに抑圧された結果にして、実行する。
私は、善良でありたい。その善良が、神話の中にしか無いのだとしたら、私は理想という神話になるしかないんだ。そのためには、犠牲が必要。「私」の死と、「誰か」の殺意という生贄。
レナは自分のエゴでここにいる。だから悪い人。私は違う。違うんだ。その証として、この不純物は口にするべきじゃない。本当なら。でも、生存本能は強すぎて制御できないから、一旦食べて、空腹感を紛らわした後吐き出すべき。
人の欲求を否定し続けていたら、そのうち体が透き通ってくるんじゃないかな、なんて。無垢な透明になれた頃、私は私を許せる気がする。
そんなことを考えて、部屋の隅のトイレ。指を喉の奥に付き入れて、便器にさっき食べたものを吐き出す。でもそんなことをしても吐ける量はたかが知れていた。胃液か唾液か分からないものが大半をしめていて、嘔吐の不快感が、ただ、ただ、それだけが、こみ上げてくる。無為に等しい。吐こうとしすぎて胸と背中のあたりが、痛い。頭に血が上ってめまいがする。なによりみじめだ。そのうちに喉か食道か分からないところから血が出て、吐くのを諦めるしかなかった。
昨日レナが夕食を床にぶちまけたのと、何が違うのだろう。全ては思いつきと、エゴと、自己満足。そのことが頭から離れなくなる。私が創り上げるはずの、生きたいという本能の「私」に引きずられている。私は「私」に裏切られているのか。いやだったもの達と、忌避していたもの達と、同化していく。
「私」は自我を持っていた。私が殺そうとしていた「私」は、私を殺そうとし始めていた。ナルシスは自らの美によって殺されたという神話の本当の意味。
もし、彼を殺したのが肉体への陶酔ではなく、その観念への陶酔だとしたら……
もし、彼の中にあった形而によって、実存が殺されたのだということだとしたら、「私」という形而によって私という実存が殺されることもまたあり得る。
「私」は生きようとしている。私を殺し、「私」として生きようとしている。ならば、私は早く「私」を殺さなければ。
朝食の時間が終わる。少ししてから、「治療」が始まった。植物に水をやったりする。レナも同じプログラムで、また喚いていた。私は事前にそのプログラムを調べて、嫌なことを無理やりやらせて少しづつ社会に適応させる「治療」だと知っていた。私にとって、特に嫌なことは無い。あるとすれば、食べること。でもそれは、食べるふりで乗り切っていける。それに、食べたくないのはここに来てからの気まぐれ。全てのことにおいて、大人しくしていればいいのだ。
午前中の「治療」が一旦終わる。私は、たばこを吸おうと思った。
「レナ」
私はレナを誘って、部屋へ歩く。廊下には、誰かが漏らした小水が黄色い水たまりを作っている。解放ですらそうなのだから、閉鎖には行きたくないな、と考えたり。話しには聞いていたけれど、解放もなかなかの場所。そこに閉じ込められている私は? やっぱりかわいそうだ。そう思って満足。
「たばこ吸おうよ」
「たばこ持ってるの?」
彼女は嬉しそうに言うけれど、そんなものとっくに没収されている。
「あるよ。紅茶なら」
「だめじゃん」
「紅茶吸うんだよ」
そう言うと、彼女は「面白そう」と乗り気。部屋に戻って、暖房の暖かさ。昼前の日差し。死ぬのが怖い。死んでしまうのが。ふと、そんなことを感じさせる、もの思いにはちょうどいいこのぬくもり。人は、安息の中でだけ憂鬱を感じることができるのだという誰かの格言の意訳。それを、今この病室そのものが抱懐しているような錯覚。それは錯覚でありつつ、真実であったかもしれない。だからこそ、私は憂鬱に包まれて眠ったように幸福に生きられる。太宰が「眠い神経衰弱」と書いていたような気がする。それは幸福なんだ。
ベッドの横には私とレナ。紅茶の缶を開けて、芳香。辞書を破いて、なめらかな紙の質感。辞書に、指の油が染み込むのが分かる気さえする。時間の流れと、鋭くなった指先の感覚。穏やかな時間の材は、やっぱり「憂鬱」なんだろう。
茶葉を巻いて、ライターは無い。代わりに紙の先をマジックで黒く染めて、虫メガネで燃やす。少しづつ煙が立って、そのうち紙が焦げる。私は紅茶を吸いこんで、「たばこ」に酸素を送る。
「はい」
火が出たところでレナに渡す。
「ありがと」
レナが吸う。もう一本作るのはめんどくさいから、同じ一本を分けて吸う。彼女が少し吸った後、私は「それ、少しちょうだい」と言って「たばこ」をもらう。
情緒的、と、言ってしまった瞬間に、情緒は消え去ってしまう気がする。文学的、と言ってしまった瞬間に、文学は消え去ってしまう気がする。だから、私はこのサナトリウムでの出来事を口に出して語りたくない。
「わたし、こういうのしてみたいなって思ってた」
レナはまた一口「たばこ」を吸う。
「それは」
「それは……」
こんなの、架空の現実を夢見ているだけだよ。そう言ってしまおうかと思ったり。それは決して現実ではないんだ。現実に似た、架空の理想を現実と混同してしまう行為だよ、って。
現実が情緒を、文学を侵食するならいいけれど、その逆は、全て台無しだ。現実が全て夢想で終わってしまうことになるのだから。現実、幻想、それすら超えて、現実すら眩む幻影。それが、必要なんだ。
「いや、そうだね。私も思ってたよ。こういうの、いいなって」
その肯定は、現実を否定する。それでも、その先にある「私」の死には、必要だ。彼女に「私」を殺させるためには。
その時、冷たいものがたくさん顔にかかって、私は驚いた。サイレンが鳴って、初めて煙に火災報知器が反応しているのだと気付いた。「どうすんの⁉」、というレナに、私は「大丈夫だよ」と根拠も無しに言う。濡れた手巻き紅茶の紙は透けて、中の茶葉の形が浮かび上がる。私はそれを見つめていた。
「レナ、愛してるよ」
私は濡れながら、レナに言う。仮説の嘘。
「なにそれ」
そう言いながら、彼女はまんざらでもなさげだった。それは破滅という現実感を薄める麻酔。夢。物語のような現実に酔っている彼女の眼。私はいずれあの眼に殺される。殺されなければいけない。
色んな人に怒られて、私が病院を追い出されるまで、レナは私の側を離れなかった。
強制退院する直前、レナと私は連絡先を交換した。
〈早く死にたいね〉
彼女からのラインには、そんなことが書いてあった。私は戻って来た自宅、腐った水の満ちた水槽の中で沈殿している金魚を眺めていた。夜。金魚の表面を、白いカビのようなものが覆って、その肉は膨張していた。死は、決して甘美なものでは、ないんだ。
死は、救済足りえるのだろうか。目の前の金魚を見て、思った。生あるものから見た死が穢れで、死の先から見たら生は地獄かもしれない。そうしてその逆もまたあり得る。死は救済ではない。生もまた救済ではない。輪廻もなければ、解脱もない。天国も煉獄も。あるのはただ、目の前の地獄だけだ。
〈そんなに死にたいなら、早く死ねよ〉
私はその決定的な一言を、放った。「『私』、死んでよ」っていう殺意が欲しくて。あのスプリンクラーの水を浴びながら、私とレナは愛し合っていた。だからこそ、その愛を裏切り、彼女に「死んでよ」って言われることを期待した。そうすることで、私は何者かになれるはずだった。
〈死が救済だって、誰に断定できるんだよ。生も死も、地獄でしかないよ〉
それからしばらく、彼女からの連絡は無かった。「私」は、死んで欲しいと思われたのか。それとも……
そう考えて日々を過ごしていたら、金魚の肉は水に溶けて、骨。私は、生きたいと思う。同時に死にたいとも。それは死だ。肉体の有無ではなく観念の。怠惰という 死。
私に「死ね」と言われても、レナは死ななかった。たまに〈死ねよ〉と送ると、既読が付く。「私」は、彼女に死ねと思われているのだろうか。もし、そうだったとしても、「私」が死ぬことは、ない。なかった。「私」は消え去りはしなかった。
「私」を殺したい私と、私を生かしたい「私」の間で、ワタシはただ存在していた。存在するという怠惰。死。
観念で死んでみて分かった、というより、前からそんな気配があって、何となく分かっていた。私は、「私」は、生きていても死んでいても、英雄にも神話にもなれない。
めんどくさかったけれど、さすがに匂いが酷くて、水槽を片付けたら、レナからライン。
〈神崎怜奈の身内の者です。このたび、怜奈が亡くなりました。 云々〉
そういうラインが来て、私には「早く死ね」ってことを言った罪だけが、残った。その罪は、「私」を断罪し殺すのに必要十二分かもしれない。それでも「私」は、消えなかった。どんな呵責が「私」を殺そうとしても、私の意識という「私」は死ななかった。
私の理想は、「私」が生き延びたことによって裏切られた。私の理想に裏切られることで、私は全てに、「私」にさえ裏切られたという悲劇。
私は、「私」を裏切ろうとして、いつの間にか「私」に裏切られた。死ぬのは、「私」ではなく私の方。
架空の「私」、観念の「私」に、罪はない。罪はあっても、「私」の罪を誰が知るだろう。断罪されるのは、私という肉体。私という実存は、「私」という湖面に映った観念によって死ぬ。私の愛した「私」によって殺される。
私は、死のうと、思った。
裏から、表から、ロシアの橇が狼を照らし出すように、
ナルシスよ、そなたの非情な処女膜は戻って来る、
(別に罪ではないはずだ?)
そなたが手を洗う冷たい水の宝物よ。
堀口大學訳ジャン・コクトー『用語集』「小鳥は雪で」より
ナルシス 笹十三詩情 @satomi-shijo
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