鬼:日常ー間章ー

 危機を告げるアラートが脳内に鳴り響いていることに気づき、は目を覚ました。

 彼女の外見は十代半ばであり、室内の明かりに黒い髪が照らされている。

 ここはどこか    ――わからない

 今は何時いつだ ――わからない

「ん…」

 体を起こそうとすると手足がピクリとも動かすことができなかった。

 しばらく体を動かそうと試みるも、自身の手足を縛り付けているものがと音が鳴るかなり重厚な鎖であることに気づき、すぐに抜け出すことは難しそうであると判断した少女は情報収集を優先することにしたのか、身じろぎをやめて聞き耳を凝らす。

 微かな振動とモーター音から大きなトラックのような乗り物で移動していることを彼女が理解すると同時に頭上から

「お、ようやっとお目覚めかいな」

 という男の声が聞こえたので首をそちらに向ける。

 彼女の視線の先にはソファに腰かけ、こちらをみる20代半ばの少し着崩したスーツ姿の男。

「…」

「あれ、聞こえへんかった?まぁどっちでもええけど」

 細目が特徴的なその男はきさくに話しかけてくる。

「あんた強いなー、これまで戦った中ではピカイチ。危うくこっちがやられるところやったわ」

「…」

「あんたを捕まえるのに何人使ったことか。でも恨まんといてな?こっちも仕事やさかい」

「…仕事?」

「そ、あんたはこれからある場所に行ってもらう、何があるかはそこでのお楽しみや」

「…」

 男の声を聴きながら彼女は眼を閉じ、深呼吸する。

 すー、はー

 うん、ギリギリいけそうだ

「というわけや、しばらくおとなしくしといてくれや」

「そいつは無理だ」

 彼女の声が男を遮る。

「…どういうことや?」

「あたしにあたしが誰か知ってんのか?」

 言葉を紡ぐたびに室内のはずなのに風が彼女を中心に少しずつ渦を巻き始める。

「あたしは鬼麟っつーもんだ。老若男女が縮み上がるってなぁ!」

 その声と共にどこからともなく金棒が出現し、彼女の背中に収まると、彼女は自身の手足を縛っていた鎖を飴細工のように引きちぎった。

 いつの間にか室内は強風が吹き荒れ、わきに積んでいた荷物が崩れ始めていた。

「あたしが大人しくなるにはちょっと檻が脆すぎるみてーだな?」

 という彼女の見かけは先ほどの10代前半の小柄な姿から20代後半の大人びた姿へと大きく成長していた。何より男の目を引いたのは彼女の前頭部であり、そこには風にたなびく紅の髪の中、朱殷色で硬くとがった角と呼ばれるようなものが1本生えていた。

「こんな柔らかい檻じゃ人の子くらいしか捕まえられねーぜ?…そらっ!」

 彼女は男から背を向けると大きく成長した自身の腕を振りかぶり、目の前の壁を殴りつけた。車内に轟音と大きな揺れが襲い、横っ腹に大穴が開いた。

「じゃあな。もしまた出会うことがあればその時は全力でってやるよ」

 彼女は最後に友人と再開の約束をするような気安さで男にあいさつすると、自身がこじ開けた穴に身を投じた。

「…」

 突然のことに車を急停止させ、こちらに駆けつけてくる部下たちを他所に、細目の男はしばらく無言で頭をかいたのち、大穴から身を乗り出して外の風景を見る。そこは高速道路であり、下にはうっそうとした森が生い茂っていた。

「こりゃー追っても無理そうやね―」

 というと男はスマートフォンを取り出し、どこかに電話を掛けると数コールで相手が出た。

「どうも、僕です。…えーっとですね…、逃げられたんですけどー…はい、はい、…いわれた通り血は抜きましたー…え、小さくなった後も抜かなきゃダメ?聞いてませんがなーそんなん」

 軽い調子で話を続ける男。

「…え、とりあえず血だけあればいい?…そんじゃ我々はそちらに向かいますわー…はい、はい、ほな、所長さん、また後程ー」

 と電話を切り、その間に集まっていた部下に向けて、目的地への到着を優先する指示を出し、自身は大穴の開いた車に戻った。

「しっかしさすが、手負いとは思えん膂力やのー」

 空いた穴をから除く夜景を見ながら男は無感情に呟いた。


 一方

「くっそー、こりゃちょっとやばいかも」

 脱出に成功した彼女はなぜか捕まっていた時の姿よりさらに2.3歳ほど若返ったような姿となっており、その小さな体躯を使い森の中を駆け巡っていた。

も使っちゃったし…リソースもほとんど残ってねーでやんの。しばらく充電しないとだめだな…」

 そう呟く声は先ほどの深みのあるものとは異なり子供のように幼く、前頭部に生えていたはずのものも見当たらなかった。

「あの細目ヤロー、中々やるじゃねえか」

 足を緩めずに彼女は頭の中で記憶をたどる。

 あの男は大勢の部下を率い食事中の彼女のねぐらに押しかけてくると、何かよくわからないことを言った後いきなり襲い掛かってきた。

 最初は彼女も適当に相手していたのだが、個々では弱いくせに倒しても倒して延々と湧き出てくる彼らを相手にしている内に何故か彼女のリソースが切れてしまい、気絶したところを捕らえられたのであった。どうやら部下と戦っている間に細目の男の能力で徐々に力を奪われていたようだ。

「こんなにカラカラなのは玄葉の奴とって以来かもしんねぇ…久しぶりにやんなきゃダメかもなぁ…」

 ま、しょうがないか、と彼女はあっさりと自身の中で結論を出した。

 今の自分が生命の危機に瀕していることを理解しているのかこうしている間も本能が強烈に欲求を主張している。現在それを押さえつけている理性の分が悪く、負けるのは時間の問題であることは彼女も理解していた。

「どうせならあいつら襲って喧嘩売ってきやがった理由も聞いてみるか」

 そう呟いている内に徐々に彼女の移動速度が落ちていき、視界で最も大きな木の頂上に登ったところで足を止めた。

 彼女の目には少し直進した先に小さな集落が存在し、点在する家から微かな明かりが灯っているのが見えていた。どの家も自前の畑を持っているようで、周囲には野生動物の気配もした。

「食べる分には困らなさそうだし、しばらくここで休むか」

 そういうと彼女は手ごろな枝の上に寝転がり、休息をとることにした。

「あとはにいつまで耐えられるか…待ってろよ…」

 細目の男が名乗っていた名前を思い出した彼女はつぶやいた後、ゆっくりと瞳を閉じた。

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