平凡な日

@offs

雪の日

大学2年の期末試験も終わり、僕は少し背伸びして入ったテニスサークルの集まりに誘われていた。正直、会わない人達ばかりだし、普段は行っていないのだが、今回は勇気を持って行ってみる事にした。なぜなら、僕の憧れの同い年の椿がいるからだ。椿は東北の出身で、雪のように白い肌をした僕なんかではとても手が届かない美人であり、サークルの連中からも人気がある。ちなみに僕は頭の中では椿と言っているが、実際には苗字である佐藤さんと呼んでいる。そんな椿の家で今回はホームパーティをしようという事だったので、今回は行ってみようと思った。もちろん、付き合えるなどとは思っていない。ただそばにいてみたい。話してみたいという思いのみで行ってみた。


会がなんだかんだ進行していく中でふと外を見ると、雪が降っていた。近頃では東京で雪が降る事なんて年に1,2回である。生まれてからずっと東京住みの僕は少しだけテンションが上がってしまい、「あ、雪だ」と言ってしまった。すると、椿は「あ、そうだね。うちからすれば雪なんて日常だわ」と少し冷たく返し、また別の奴らと話に行った。それが今日初めての僕と椿の会話であった。僕は雪でテンションが上がっている事を馬鹿にされたかなと心配しつつも、それ以上に椿と会話できた事が嬉しかった。

それ以降、椿と話すことはなく、サークルの連中の話に何となく頷き、少しのいじりをかわしていった僕はただひたすらに終わる時間を待っていた。雪が次第にはっきりと見えてきた頃、会はお開きになった。僕は安心感と少しの後悔を引きずって帰り支度をして、みんなで雪の中駅に向かった。少し田舎に住んでいる僕は都会にある椿の家から電車で帰れるのか不安になりつつ、周りに同調しながら歩いて行った。携帯電話で調べてみると僕の最寄り駅につながる電車だけが雪によって運休になっていた。どうやら田舎は少し雪が強いみたいだ。しかしなかなかその事実を言い出せず、駅に着いてしまい、続々と周りが改札に入る中、僕は立ち止まってしまった。

みんなを送りに来ていた椿からどうしたのかと尋ねられたので、事情を話した。すると、椿から「じゃあ家に泊まれば」と、さも彼女がいつも授業をさぼる時のような軽い口調で言った。僕はしばらくその言葉を受け止めきれなかったが、同時に小さな希望を感じた。ば改札の向こうに残っていた数人の男子から冷ややかな目で見られつつ、僕はありったけの勇気を持って「じゃあそうしようかな」と言えた。「じゃあそれで」と軽く椿は返答し、「じゃあみんなまたねー」とすごく明るい口調で言った。

来た道をまた帰りながら、僕は椿と二人きりの時間を手に入れた。雪で電車が動かないなんてどんな弱い電車だよやサークルの話なんかにただ頷くだけであったが、行きよりもうんと時間が早く流れた。


家に入って僕は事の重大さに気づいた。女子の部屋に泊まるどころか入ったことすら今日初めてなのにこの一晩をどう過ごすのかが正解なのか全く検討もつかなかった。椿は部屋に入ると、すぐに風呂を入れてくれ、てきぱきと皿の片付けをした。「先、お風呂入っていいよ」と言われ、さすがに尻込みしたものの反抗するまでの力はなく、気づいたら椿の家の風呂にいた。そこでこの後どうするべきかを散々考えた。

こんな機会は二度とないのだから思いを伝えてしまおうや大人しくすぐに寝るべきだと頭の中をぐるぐるし、人生最大の長風呂となった。「思ったよりお風呂長いんだね」なんて言われ、嫌味なのか単純な驚きなのか迷ったが、彼女がお風呂に入ったので先ほどまでみんなで囲んだテーブルの前で体育座りして彼女を待った。さすがに1人暮らしであるから広いとは言えないが、先ほどよりも心地よさを感じた。


風呂から上がった彼女はいつもよりも優しい顔つきに見えた。「すっぴん嫌なんだけど」と悪態つきながらもいつもよりも語尾がやわらかいような気がした。そのいつもとの違いにしばらく彼女を見つめてしまった。そして、彼女は僕の隣に座った。


僕は緊張からか外の非日常を眺めるしかできなかった。すると、「そんなに雪好きなの」と聞かれた。僕はこの時初めて「うん。好きかな」と自分の言葉を口にした。椿は「私日常になっちゃったんだよね」と言い、だから好きとか嫌いとか気にしたことがないと伝えてくれた。それから彼女の家にあったトランプとかをしながら、彼女の地元の雪の話や僕の地元の事を話した。思えば、サークルの人と自分の話をしたのはこれが初めてだったと思う。ゲームを終え、少しの沈黙が続いた後、椿は慣れた手つきで机をどかし、僕のために布団を敷いてくれた。聞けば来客用の布団でよく使うそうだ。じゃあここで寝て良いからねと告げ、椿は自分のベットに行こうとした。僕は意を決して「あ」と呼びかけた。椿が振り返った時、僕は彼女のあまりに白く透き通った美しい姿と少し微笑んだ雰囲気を見て言葉をしまい込むしかなかった。「あ、ありがとうね」とやっとの思いで口に出し、彼女は向こうへ消えた。


僕はベットをかぶり、椿にとって異性を家に泊めるという行為が日常であるのかが気になり始めた。僕にとっては非日常のこの体験も彼女からしたら雪と同じように日常なのでないかと思った。彼女は僕とは全く違う次元にいる。常に大学では誰かと一緒にいるし、サークルでも役職を持っている。一方で僕は毎日1人で大学に行き、少しの友達とちょっとだけ話すだけである。そういえば、椿はいろんな男子と仲が良い。その屈託のない笑顔を僕以外の誰かに向けている。僕は思い上がっていた。全てにおいて僕の今日のような非日常は彼女の日常だ。明日起きたらすぐに帰ろうと思い、その日は眠れぬ夜を過ごした。


朝になっても雪は降っていたが、僕の最寄りにつながる電車は復旧していた。椿はパンを用意してくれたが、すぐに帰ることにした。このままここにいたら分不相応な事を言ってしまうと思ったからだ。彼女の別れの言葉を遮るかのように短く感謝を伝え、渋谷駅から電車に乗り込んだ。車内から見た景色は今まで見たものの何よりも白く、そしてぼやけて見えた。


最寄りに着くともう雪は止んでいた。もう積もった雪には人々の通った跡があり、本来の白さを失っている。家まで歩いていくと、いつも通る道にまだ誰の足跡もない真っ白な雪が積もっていた。僕はその前に立ち尽くし、その道を通るかどうか迷った。この道を通らないとものすごく遠回りをする必要がある。でも、この白さを汚しても良いのか迷い、その純白をただ見つめた。


しばらくすると、少し年上のスーツを着た男が怪訝そうな顔で僕を見て、その道を何の気なしにずけずけと歩いて行った。僕にはその勇気がなかった。綺麗なものを自分なんかが汚してしまってよいのか、その勇気を持てなかった。ただ、このような人になりたくないとも思った。少し遠回りをしてもその美しさを守っていたいとも思った。


仕方なく、なるべく汚さないようにサラリーマンの足跡に合わせて、その道を通ると、雪の薄くなった道に何かが落ちていた。よく見ると、指輪のようである。僕はアクセサリーに詳しくはないが、その見た目からこれが相当な価値のある物であることの検討はついた。


僕はそれを見て重要な何かに気づいたような気がしたが、まだ足跡に沿って歩く事を優先してしまった。

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