第2話 出会い

「失礼いたします、探し物ですか?」


訝しげな目が、フィオナを捉えた。


フィオナが図書館に通うようになって一年半ほど経つけれど、その青年は見たことがなかった。上等な身なりに端正な顔つき、フィオナよりは年下だろうが、高位の貴族に違いなかった。あいにくと夜会に顔を出さないフィオナは青年がどこの貴族かわからなかったけれど、恭しく礼を執った。


「こちらの図書館では検索魔法は使用できないのです」

「何故だ、ここは王立図書館だぞ」


鋭い視線はじろりと無遠慮にフィオナを指した。青年もまた身なりからフィオナが貴族と気づいたようだが、態度からするに自らより下位であると判断したらしい。あきらかに年上である女性への態度にしては、適していないようにも思えた。しかしフィオナは怯むことなく、困ったように笑いながら顔を上げた。


「蔵書自体に、魔法がかけられていないんです」

「……なんだって?」


フィオナたちの暮らすこの国では魔法が日常に溢れているが、その対象は限られていた。絵本に出てくるような人を操る魔法なんてないし、大きな炎や水を起こせる人もほとんど居ない。荷担ぎが使う運搬魔法や浮遊魔法は、まずその荷に魔法が通じるための魔法をかけなければならない。それを付与魔法と言う。けして難しい魔法ではないけれど、少し手間がかかる。つまり、検索魔法を使うための魔法がかけられていない蔵書は、検索魔法には引っかからないのだ。

王立図書館にある蔵書に付与魔法がかけられていないという事実に、その青年はひどくショックを受けているようだった。たしかに、いくらなんでも時代遅れだとはフィオナも思っていた。


「蔵書を収める際にかけるべきだったんじゃないのか」

「そうですね、ですがそれをしなかったのは図書館職員の貴族ですわ」


その言葉に、青年はぐ、と息を詰めた。王立図書館ということは蔵書まですべて王の資材であるということ。平民が王の資財に魔法をかけることは許されていない。蔵書が増えるたびに職員たちは貴族に付与魔法をかけてほしいと懇願した。しかし、忙しいの一点張りでそれが叶うことはなかった。

検索魔法が使えない。それがいかに不便かはフィオナはもちろんだが、平民の図書館職員が一番わかっていた。そんな中でもジャンルごとや作家ごとに並べられているのはひとえに職員たちの努力の結果だった。

一年半前はすべての本がバラバラだったのを、フィオナが声掛けをして、一年弱をかけて今の形にしたのだ。


「どちらの本をお探しですか?」

「……言ったところでわからないだろう」


フィオナの言葉にすっかり臍を曲げてしまったのか、青年は不機嫌を隠しもせずに言い放った。貴族の女性は本を読まないと思っているのだ。実際、フィオナの母であるエレノアは学院を卒業して数十年経つが、その間に読んだ本は五冊にも満たないといっていた。お茶会や夜会、買い物に観劇、本を読まなくたって楽しめることを女性たちは知っている。だからこそ、本の虫ともいえるほど本を読んでいるフィオナは、学院のころから少し変わり者だと言われていた。

青年の態度にフィオナよりも司書のほうが不満そうに眉を顰めた。それに苦笑を返して、司書を宥める。


「お力になれるかもしれません」

「……『現代の長期的な魔法運用術』だ」


少し考えたあと、青年は本のタイトルを言った。期待はしていないが、使えるものは使おうと言う腹なのだろう。フィオナはその本のタイトルに覚えがあった。読んだことがあるわけではない。しかし、ちょうど四年ほど前に、学会で少し話題になっていたのだ。司書が困っていた理由がやっとわかった、とひとり納得する。


「そちらの本、現在は題名が違うのです。 ねえ、『シューツァルトの魔法運用研究論文』は地下よね?」

「は、はい。 保存指定図書ですので、地下の書物庫にあります」

「『シューツァルトの魔法運用研究論文』?」

「四年前の学会で題名の変更がされたんです。 もう七十年も前の本に『現代』という名はふさわしくないと」


シューツァルトという研究者の論文は初めて書かれた一冊目から学術的価値が高いと後世に語り継がれていたが、どれも後に残すために書かれたものではなく、『現代の』や『最近の』などが題名に使われているものが多い。四年前の学会でそれが指摘され、改題されたのだ。改題されたところまではよかったが、それで満足したのか周知されるところまでは至らなかった。それ故に、青年も知らないまま本を探していたのだろう。

分かりにくい本ではなくてよかった、とフィオナは内心ほっとしていた。声をかけたはいいものの、これでやっぱりわかりません、と言えば青年はそら見たことかと益々態度を硬化させていたはずだ。


「それでは、地下へ案内してさしあげて。 わたくしはこれで失礼させていただきます」

「わかりました、こちらです」

「ああ。 ……あの」

「はい」


フィオナに言われ、司書はまだ少し不満そうな表情を残したまま、それでも青年の案内をしようとカウンターから出た。少し時間を取られてしまったけれど、新刊の残りを読んでしまおうと礼を取って立ち去ろうとしたところで声を掛けられた。ぴたり、と足を止めてゆっくりと振り返った。生意気だとでも言われるのかと身構えたけれど、フィオナの想像は外れた。気まずそうに顔を顰め、何かを言おうとする青年の意図はすぐに読み取ることが出来た。無遠慮なだけの人間ではないようだ。


「その、すまない、感謝する、ミセス」


司書がマズい、という表情を浮かべた。ぴしりと空気が固まる。笑顔を張り付けたままのフィオナの表情と、不思議そうな青年の顔を司書が恐る恐る見比べる。素直に謝り、感謝を述べた青年にフィオナは素直に感心したけれど、残念ながら訂正をお願いしなければならない部分がひとつある。きっともう会うことはないから無視をしてもいいかとも思ったが、それでは司書の居心地の悪さも解消されないだろう。


「申し訳ありません、わたくし、まだミセスではないんです」


なるべく青年の矜持を傷つけないように、と控えめに言えば、青年は一瞬驚いたような顔をした。それもそのはず、フィオナは青年よりも年上に見えるし、普通ならその年齢で結婚しているはずである。自分の言った言葉が間違っていたことに気付き、カッと顔を赤くした青年の視線に困ったように眉を下げれば、もう一度礼を執って踵を返した。

新刊は残り数十ページ、何だか集中できそうにもなかった。

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