第5話 びっくりした?

 1972年のミュンヘンオリンピックの選手村で立て篭もり事件が発生した。

 その頃は交渉術などの概念的な物はなく、強行突入の結果、人質だった選手9人が殺害された。

 そして1970年代は人質立て篭もり事件が多発していた。その度に強行突入をした結果、多くの犠牲者を出した。

 その結果、FBIをはじめとした世界各国の警察は、凶悪犯罪者やテロリストに対する交渉術の研究を行った。そして70年代後半に、ネゴシエーターが交渉の全てを担う様になったと言われている。


 ◇◆◇◆◇◆


 「びっくりした? でもね、犯人との交渉を成功させる為には、会話を継続させる事が重要なんだよ」

 くるみは一時間も犯人と会話をしていた。だが、途中で俺のコーラを飲んだ。

 この緊迫した場面で、なぜわざわざ犯人に聞こえる様にフタを開け、コーラを飲んだのか? 

 その俺の問い掛けに対して、くるみはそう答えていた。

 「猫田さんは興奮していたでしょ? だから喉が乾いているかなって考えたの。コーラの音をたてれば飲み物の要求をするかなって思ったの。そして、猫田さんは食欲があったのを思い出したかの様に食べ物を要求してきたでしょ?」

 「ああ。だが、それと会話の継続にはどんな意味があるんだ?」

 「聞きたい?」

 「…………」

 「ウソウソ。会話の継続にはまず、冷静な話し合いが出来ると言う利点があるんだよ」

 「なるほど。確かにそれはそうだな……結果的に猫田は冷静さを取り戻した気がする」

 「犯行の真っ最中だよ? 冷静にならなきゃちゃんとした判断出来ないじゃん。そんな状態じゃ交渉なんて出来ないよ」

 「そうだな……会話さえ続けてれば、自分の要求を突きつけるだけの状態から、冷静に物事を考えられる様になるな」

 「そだよ。冷静に話が出来る様になって初めて、交渉と言う時間に入る事が出来るの。それに冷静になれば、人質に危害を加える可能性は低くなるじゃん」

 「ああ。くるみの言う通りかもしれん」

 「あとは、猫田さんの性格や心理状態を知る為だよ。長く話せば話すほど、相手の事を知る事が出来ると思わない?」

 「ああ」

 「知る事が出来れば、犯行の動機、生活環境や知的水準――」

 「く、くるみ。ちょっと待て」

 「なあに?」

 この娘は一体何者なんだ?

 だが、今はそんな事を追求してる場合ではない。

 「いや、なんでもない……続けてくれ」

 「うん。わかった。春男が駄目駄目だから続けるね。交渉って言うのは、お互いにとって最善の策を導いていかなくては意味がないんだよ? だから、会話を継続することで、犯人の色々な事を推測しやすくなって同調も出来る様になるの。そして、それが信頼感を生むんだよ、春男わかった?」

 「お、おう……」

 「まだ終わりじゃないよ。ところで犯人は今何を考えてると思う?」

 「え?」

 「車を用意しろって事は、まず逃走する事は考えてるじゃん。後は、食事に下剤を心配してたでしょ? だから恐らく逃げようと外に出た瞬間、スナイパーに射殺される……くらいの罠は想定してると思うよ?」

 「あ、ああ。実際狙撃班も待機してるからな」

 「ラジオの件もあるけど、極論勝つか負けるか……猫田さんならそう考えてると思うよ。でも少し冷静になったから、これからは猫田さんに取って最善の選択を一緒に模索していくね」

 「最善? どう言う事だ?」

 「かなり大騒ぎになってるけど、今の猫田さんにとって最善の選択は、これ以上の犯罪を起こさなければ軽い罪ですむ――って思ってもらう事。それが最大の利益って思わせなきゃね」

 くるみは再びウインクをした。

 「…………」


 こいつは中学生だろ?

 だが、恐らく友達はいないだろうな。

 


 



 


 

 

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