第3話 神器管理官 蜂屋史桜

 『氷華の一族』こと、神器『椿』の守護を司る氷室一族には、氷見家と氷川家という分家が二家。この氷見と氷川の分家として、碓氷家と垂氷たるひ家とが存在している。

 神器『椿』の執行人は、代々氷室・氷見・氷川の三家のいずれかの長子から選定し、碓氷・垂氷家のどちらかから護衛官を選定するという仕組みで回っていた。古より続くその法則に則れば、氷見家の者が神器執行人に就くことは何ら問題ではない。

 しかし、今世の神器『椿』の執行人に選ばれた氷見晶臣という子どもは、特異な出自の持ち主であった。

 彼の母親は氷見家の一人娘、父親は海外から御播へ研究に訪れた学者。男が女の元へ話を聞きに行ったところから、道ならぬ二人の恋は始まった。互いに一目惚れ。限られた時間の中で愛を育み、束の間の逢瀬の中で身を寄せ合っていた。きっと彼女がどこにでもあるような一般家庭に生まれていれば、結婚して家庭を築き、共に子を育てて暮らしていたことだろう。しかし、彼女は氷見家の子。血縁の定めには逆らえない。

 女には、婚約者がいた。相手は氷見家よりも下の家格の長子であったが、氷見には娘以外に子がいない。そのため、比較的家柄の良いところから、婿養子という形で向かい入れるための婚姻だ。彼女が物心つくころに両家の親が定めた契約である。時代錯誤も甚だしいが、守護の一族において家柄重視の見合い話というのは珍しくなかった。恋愛して結婚する方が稀なのだ。

 周囲の反対を他所に、二人の恋は燃え上がった。反対されることによる逆境というものが、より二人の恋に油を注いだのかもしれない。いずれにせよ、女は婚約者がいる身でありながら、男との子を身籠った。

 当然、女との婚約を予定していた家からはどういうことか、婚約は破談とする、という声が上がる。味方となるはずの家の中でも、女と男との関係は非難された。しかし、彼女はそれら全てを無視し、跳ね退けて十月十日後。元気な男児を産んだ。そして、その子どもを置いて男と駆け落ちした。己の罪の何もかもを、生まれたばかりの我が子へ押し付けるように。

 生まれたばかりの男児に罪はないとはいえ、氷見家にとっては一族の恥そのもの。彼は氷見家の離れにて乳母に育てられ、日の目を浴びることなく生涯を終えると思われていた。


 が、つい二ヵ月前に執り行なわれた椿繰りの儀にて事態は一転する。


 椿繰りの儀は、神器『椿』が執行人を選定していない際に行なわれる執行人選定の儀式。氷室家の子どもが十六歳になった年の時の当主らや血を分けた子ども達が、順に神器『椿』へ触れていくというものだ。冴和当人の心の内はともかく、周りの誰もが彼女が選ばれるだろうと思っていた。しかし、神器が自ら選んだ使い手は、一族の恥だと誰もが突き放した男児――晶臣であった。

 予想を裏切る結果だ。氷見家は想定外のことに驚くやら家格の向上に喜ぶやら。完全に晶臣へ対する今までの扱いを棚に上げていた。一方の氷室家一族と鎮守衆らは新しい執行人に対して猛反発。とはいえ、神器は執行人を選び終えた。選び直させるには、挿げ替えを行なうしか手立てはない。

 そのような目論見が水面下で動く最中、渦中の氷室家当主である冴和はといえば、その騒動の全てを放っていた。どちらかというと、己の人生の行く末を決定する儀式を無事に乗り越えられた安堵感が大きい。現代では法律の縛りもあるため、挿げ替えを実行することは不可能に近い。となればあと一年。選ばれた晶臣が死亡しなければ、比較的思うままに冴和の人生を生きることが出来る。それが決定しただけで、先行き明るかった。しかし、その考え方でいられたのは、数日のこと。

 幼い頃から冴和と共に過ごしてきていた碓氷飛鳥へ、執行人護衛官として白羽の矢が立ったのである。

 碓氷家の生まれであること、見鬼の才の持ち主であること、剣の腕に秀でていること。飛鳥はその全てを備えていた。護衛官として申し分ない逸材。

 それに反発したのが、冴和である。


「飛鳥は、私の従者として幼い頃から仕えてくれている人。その人を彼の護衛官になんて。ただでさえ、挿げ替えを起こそうかとしている最中なのに。それへもし飛鳥が巻き込まれたらと思うと……」

「……冴和様」


 少女主従らの睦まじいやり取りを、史桜は苦虫を嚙み潰したような表情で見つめる。

 皆、自分自身の利益ばかりだ。人一人の命、一人の人生を犠牲にしておきながら、考えるのは新たな執行人を支えることではなく、己の都合ばかり。とはいえ、こうしたことは珍しくない。どこの神器の守護の一族であろうとも、大なり小なり運営に関わる問題は抱えている。史桜も何度か見聞きしたことはあった。

 無言のままの史桜の名を、冴和は呼ぶ。


「今、これほどの好機はないのです。全ての罪を賊へ押しやり、私達が自由を手にできる手立ては。分かっていただけますよね」

「……悪いですけど、俺も仕事です。賊の手に落ちているのであれば回収しますし、まだ執行人も神器も無事であれば助けます。それだけです」

「…………私達の人生など、どうでもいいと」

「俺達の人生は常に何かの犠牲の上に成り立っています。アンタらに対して同情はしますが、だからと言って特別扱いすることは出来ません。他の神器執行人にも不義理なんで。……俺への話は、以上ですか? なら、今日はもう休みたいんすけど。あと、潜入するにあたって、本殿の地図もいただけますか」

「うちが案内いたしましょう。……いいですね、冴和様」

「…………」

「冴和様」

「分かった。……お願い、飛鳥」

「承知。……こちらへ、蜂屋様」


 飛鳥は冴和の傍から離れ、さっと襖を開ける。史桜は冴和に頭を下げてから、『応接の間』を出た。


「蜂屋様にお泊りいただく客間へ、まずはご案内させていただきます。その後、お部屋の方へ本殿の地図を持っていきますね」

「ありがとうございます」

「……あの、申し訳ありませんでした。嫌な思いをされたでしょう。どうか冴和様の無礼をお許しください」

「や……。そんな気にしてないっすよ。その、アンタらにも事情はあるでしょうし。ただ、俺ら側にもそれなりの事情がある。それだけです」


 飛鳥はぱちぱちと目を瞬かせて、再度深く頭を下げた。

 それから二人は無言のまま屋敷を歩き、客室へ通される。広々とした畳敷きの和室。内装も細部まで緻密な細工が施された調度品に溢れている。一等級の客室だ。


「今日はゆっくりと休まれてください。……神器の件についても、鎮守衆などの人手が必要とあらば、冴和様を通せば滞りなく蜂屋様の手足として動かせるよう手配はしておりますので、ご活用ください」

「どうも、ありがとうございます」

「いえ。それではまた来ます」


 飛鳥が襖を締めて出て行った後、ようやっと史桜は詰めていた息を吐き出した。どっと疲労感に襲われる。始発列車に揺られ、この地に着いて早数時間。あまりにも濃密すぎる時間だった。

 史桜は差していた刀を机の傍に置き、その横へ腰を下ろす。僅かにネクタイを緩め、部屋の窓から外を眺める。ちょうど御播山が屋敷の塀の上から顔を覗かせていた。あの麓に本殿はある。


「さて、どうやって攻略していくか」


 史桜の目的は、賊によって安否が分からなくなっている神器の奪取。それだけだ。その後の執行人騒動にまで首を突っ込む気はさらさらない。が、しかし。顔も知らぬ執行人のあまりにもな境遇には幾分か同情する。史桜自身の境遇も、そこへ重ねてしまっているからかもしれないが。


「一族の恥、か……」


 史桜は僅かに目頭を指で揉み、飛鳥が地図を持って部屋を訪れるのを待った。

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