後編

 翌日、宏明はいつも通り祐介を保育園へ送り出社した。

 会社のパソコンをつけメールをチェックするが、内容がまったく入ってこない。頭の中は昨日祐介を叱った光景が、ずっとこびりついていた。

 宏明が口の縛られたレジ袋を突きつけると、祐介の顔色はさっと青白くなった。

「なんでこんなとことをしたんだ!」

 宏明の怒声に祐介は泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返すだけだった。とりあえずその日は祐介を寝かせたのだが、悪い空気は一晩では晴れない。保育園に祐介を送る道中も、お互い話すことはなく重い空気のままだった。

 電話の音で宏明の思考は途切れた。どうやら内線のようだ。受話器を取ると上司の大野おおのの声が聞こえた。

「悪いけど席まで来てくれるかな?」

 先日のプレゼンの結果が出たのだろう。祐介のことをいったん頭から追い出し、大野の席へ向かった。

「ああ、呼び出して悪いね。それでね、この間のプレゼンの企画なんだけど、いったん白紙ということで」

 白紙。

 宏明は一瞬、大野の言葉が理解できなかった。

「なぜでしょうか?」

 動揺が悟られないよう、声のトーンを抑えて聞き返す。

「最近円安で海外の物価とかサービス料が軒並み値上がりしてるでしょ。それに燃料代も上がってる。そうなると今の料金プランやツアーコースじゃ採算が取れないって話になってさ」

 大野は淡々と理由を説明し終えると「まあ、次頑張ってよ」と言って、パソコンの画面に目を戻した。

 宏明はかろうじて「ありがとうございます」と返事をして自分の席にもどった。

 三日後、祐介は美紀が入院している病院を訪れた。

 病室に入ると、美紀はベッドの上で横になりながら雑誌を読んでいた。

「美紀、調子はどうだ?」

 尋ねながら差し入れにコンビニで買ったお菓子や雑誌の入った袋を渡す。

「調子は……足以外はまあまあかな」

 美紀は包帯で固定された自分の右足を憎々しげに見やる。

「私よりそっちの調子はどうなの? プレゼンの結果はでたの?」

「ああ、ダメだった」

 宏明は自然な調子を装って言った。

「そうか、残念だったね……。ごめんね、私がケガしたせいで集中できなかったよね」

「いや、それは関係ない。元々の俺の予算の枠組みが甘かった」

 宏明は苦笑いするが、美紀は浮かない表情のままだ。

「それよりも相談したいことがあるんだ」

 宏明は先日のハンバーグの一件を話した。

「それでどうなったの?」

「正直、今も空気は重いよ。叱らない方がよかったかな……」

「そんなことはないと思うけど。でも祐介がハンバーグを残すのは変だね。味付けとかちゃんとした?」

「普段の美紀の作り方とかネットのレシピも参考にしたし、俺が食べても変な味はしなかったんだがなあ。それに祐介って好物は慌てて食べて、むせることがよくあるだろ? 俺が洗い物をしてるときに、その音も聞こえてきたぞ」

「私の作り方を参考に……」

 美紀は考え込むように天井に視線を向けた。数秒ほど間があり、再び宏明に視線を向ける。

「もしかして、ピーマン入れた?」

「ああ、入れたけど」

「祐介の分も?」

 うなすくと美紀は「ありゃー」と言って顔をしかめた。

「どうしたんだよ?」

「私って宏明と祐介のハンバーグは別々に作ってるの。祐介はピーマン食べられないから」

 初耳だった。そうなると祐介がハンバーグを残した理由は……

「ピーマンが食べられなかったから、半分だけ食べて後は捨てたってことか」

「だろうね。祐介がむせたっていうのも、いきなりピーマンが口に入ってびっくりしたからじゃないかな」

 宏明は納得するとともに、思わず天井を見上げた。ここ最近空回りばかりだ。プレゼンは失敗し、祐介に苦手なものを食べさせ、事情も聞かず叱りつけた。

「でも祐介は、そのハンバーグを半分食べたんだよね」

 落ち込む宏明に美紀の声が耳に入る。

「それってすごいことだと思うよ。あの子本当にピーマンは一口も食べなかったから。きっと宏明の気持ちがうれしかったから、半分食べたんだよ。だって最近までずっと忙しそうだったお父さんが、自分のために料理してくれたんだから」

 病院をあとにして保育園に祐介を迎えに行った。祐介は今日も後部座席で黙りこくっている。

 宏明は小さく息を吸い「お母さんに聞いたけど、祐介ってピーマンダメだったんだな」と話しかけた。

 祐介は少しだけ目を見開き、小さくうなずく。

「そうか、ごめんな。そうとも知らずハンバーグにピーマンを入れて。しかも事情も聞かずに叱って。怖かったよな」

「別に……せっかくお父さんが作ってくれたから」

 祐介は相変わらずうつむきながら返事をする。

「まあ、確かに好き嫌いは良くないけど。でもゆっくりでいいんだよ。お父さんはうれしかったよ。嫌いなピーマンの入ったハンバーグを半分も食べてくれてさ」

「うん……」

 祐介はうなずくと顔を上げた。バックミラー越しに視線がぶつかる。しかし祐介はすぐに視線をそらした。

「どうかしたか?」

「うん、お父さんもゆっくりでいいと思うよ。お母さんが入院してから、ずっと仕事もおうちのことも一生懸命だったから」

 祐介はぶっきらぼうに早口で言った。

 ゆっくりか。

 プレゼンにしろ、ハンバーグにしろ早く結果を出せねば、と焦っていたのかもしれない。だから、予算や祐介の嫌いなものに目がむかなかった。

 しばらく車を走らせていると、ファミリーレストランが見えてきた。たまには外食もいいか。

 宏明はウインカーを点滅させた。今日はピーマンの入っていないハンバーグを二人で食べよう。

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ハンバーグをゆっくりと(ショートショート) くりごと さと @kurigotokatagi

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