宿主

本条想子

第1話 来栖社長の宿主計画の始まり

 回虫は今日も鳥たちを誘っています。回虫は子孫を残すために、宿主であるでんでん虫の体内を移動し、触角へ向かいます。触角に入り込んだ回虫は、姿形が虫の幼虫のように見えるのです。そのような姿を鳥たちに見せ付け、さも美味しい幼虫のような動きをし、食べてくださいとばかりに誘います。鳥はそれに易々とはまり、でんでん虫の触角を目指し突進するのです。そして、回虫はまんまと鳥の体内に進入できるのでした。

 鳥の体内で回虫から飛び出した卵が、鳥の糞便と共に散らばり、回虫の思惑通りに事が運びます。飛び散った卵は、再び食物や飲み物からでんでん虫や他の動物たちの体内へ入り込み、宿を借りるのです。



 私はあまり競争心がある方ではありません。言わば、長い物には巻かれよとでも言いましょうか、虎の威をかる狐とでも言いましょうか、また寄らば大樹の陰とでも言いましょうか、自らの力だけで何かに挑むような冒険はして来ませんでした。ですから、トップに立つことは今後ともないと思われます。こんな具合に人の後ろに付いてきた人生でした。取り立てて優れたものを持ち合わせていない私としては、上々の結果だったと思われます。という風に自分を慰めるしか、闘争心のない私は、生きる道がなかったのです。私は経営者にはなり得ない存在なだけに、いかに上手く上司に付いて行くかが、私の最大のテーマでした。そこで、上司には逆らわないばかりでなく、自分より優れた部下を見抜く力もなければなりませんでした。追い越された時に、敵意を持たれないための予防策でもあるのです。

 その点では、野崎社長は違っていました。それゆえ、栗栖前社長は株式会社ロード発足に際し、野崎現社長をロードの部長に据えたのでしょう。人一倍やり手で野心家の野崎現社長は仕事に燃えました。

 私は、現在のロードでも課長ですが、この役職は前社長から拝命されたものです。言わば、私は万年課長ということになります。このロードは、前任の栗栖社長が全額出資で設立した会社でした。そして、不可解な経緯で、現在の野崎社長へ引き継がれたのです。 



 栗栖社長は、雑貨の卸商で若い頃から働いていて、ある程度ノウハウを持っていました。そんな栗栖社長が、前の会社から3人を引き連れて、発足したのが株式会社ロードです。発足メンバーは、栗栖社長、浦辺部長、野崎部長そして和田課長の4人でした。野崎部長の20歳代に始まり、他の3人も30歳代と若々しい会社でした。設立当初、銀行が見向きもしませんでしたので、栗栖社長は資金繰りが大変で自転車操業でした。資本金1千万円では、仕入が大変だったと思われます。

 しかし、社長は部長以下なうての営業マン揃いの布陣で臨みましたから、営業力には自信を持っていました。あとは、得意先と商品さえあれば完璧と思っていたのです。

 得意先開拓には、若い女性営業社員の電話攻勢を使いました。ある程度、得意先を増やしてからは、女性営業社員の辞めるに任せて、自然淘汰されて行きました。


 得意先が増えたところで、社長は仕入を強行しました。掛け仕入が出来る、以前から取引のあった仕入先に頼み込み、短期で販売できる商品ばかりを仕入ました。その商品はことごとく当たり、商品回転率が抜群でした。支払いは長期で、入金は短い回収で、資金の効率化を図りました。社長は主に仕入を担当し、大口の営業もこなしていました。そして、他の3人は営業の傍らで必要な仕入もしていました。大きな営業をこなすには、仕入も上手にならなければなりません。

 そして、1年が経過した頃には月間3000万円以上を売り上げ、1000万円もの粗利を上げるまでになってきました。これまでになるには、弱小資本の企業にとっての命取りになる、売れ残りをなくす事に全力を注ぎました。社長の寝る間も惜しむ頑張りには、3人とも高給取りですから利益が上がらないという事が許されない訳で、営業成績を上げるという事で応えてきました。


 そして、1年が経過した頃から栗栖社長がいなくても会社が動くようになって来ていました。そうした中、栗栖社長は浦辺部長と野崎部長そして和田課長の3人、つまりロード発足メンバーを社長室兼応接室に呼びました。

「ロードも業績が順調に推移している。そこで、私は当初から計画していた事業に着手しようと思う。それで、そちらの事業が軌道に乗るまで、3人に、これからのロードを任せたいと思う」


「突然で、何と答えたらいいか分かりませんが、今まで通り、職務を遂行するだけです」

 と、野崎部長は応えました。その返事は嬉しそうなのが誰の目にも明らかでした。


「浦辺部長はどうかな」


「ロードにしても、軌道に乗るまで1年が掛かっていますよね。その間、社長は不眠不休という感じで働いておられましたから、こちらにあまり来られないのですか」

 と、浦辺部長が尋ねました。


「そうだね。ほとんど出社できないと思うよ」

 と、あっさり答えました。


「私は、社長に付いて来たのですから、早くロードに戻ってこられる事を願うだけです」

 和田課長は寂しそうに言いました。


「あちらが軌道に乗ったら、私はロードに戻るつもりだが、それまでは月に1回出社するだけになるね。給料日だけは出てくるよ」


「ロードの経営は3人の合議ですか」

 浦辺部長が尋ねました。


「それでいいだろう。私は忙しいから3人で上手くやってくれ、問題が発生すれば私が出てくるから」

 と、安心させるように言いました。


「そうですか。分かりました」

 と言ったものの、浦辺部長は野崎部長との攻防を心配していたのでした。


「では、みんなで協力して業績を上げていってくれたまえ」

 と言って、栗栖社長は会社を出て行きました。



 栗栖社長は、別会社設立に向け、体制が整ったロードを3人に託し、給料日と銀行からの借り入れぐらいでほとんど出社しなくなったのでした。社長の抜けた穴は、相次いで入社した浅沼君、荒木君そして藤井さんという人材で埋める事ができました。それは、営業課を編成し、競争システムにより営業成績を上げたのでした。募集で入社した3人は、順調に営業成績を伸ばしていき、新入社員も増え、相次いで昇進も果たしました。



 浦辺部長の営業1課と野崎部長の営業2課は最初、良い意味で競い合いました。しかし、主導権争いも起こり始めて、二人の仲は険悪になって行きました。営業1課は和田課長と荒木主任、そして新入社員3人がいます。営業2課は浅沼課長と藤井主任、新人の鳥居君ともう2人の新入社員がいます。


 営業成績は次第に水をあけられて、浦辺部長の立場が危うくなって来たのです。その差の原因は、粗利成績順位に如実に現れました。1位は野崎部長、二位は浦辺部長という構図がはっきりして来たのでした。3位は浅沼課長、4位は荒木主任、5位が和田課長、6位が藤井主任、7位が鳥居君そして、新人が続いていました。もう女性営業社員はいません。


 浦辺部長と野崎部長の差は、仕入先の活用の仕方にあったと思われます。和田課長もその点では、浅沼課長に一歩も二歩も遅れを取っていました。仕入先を持っている部長や課長は、仕入先を大口得意先に繋げる事ができるのです。営業マンは、持ちつ持たれつの関係を築き、お互いの売上を伸ばしていくのです。そのためにも、良い商品を仕入れるセンスを持ち合わせなければなりません。



 栗栖社長が経営の圏外に退いてから、4年もすると粗利は優秀な社員が揃い急激に上昇して、月間2000万円にもなりました。問題は野崎部長と浦辺部長との収益力の差が顕著になって来た事でした。浦辺部長は、前の会社では野崎部長の上司だったというプライドが負けを認めさせなかったのでした。


 また、浅沼課長は、営業成績で和田課長に追い着き、遥かに追い越し、自分にも迫って来る荒木主任が目障りでした。それで、営業でも世渡りでも抜きん出ている浅沼課長が、荒木主任の追い落としに躍起になったのでした。まずは、自分とはライバル関係にないという事を印象付ける方法でした。

 それは、荒木主任より藤井主任を出世させ、ライバル心を駆り立てる手段でした。案の定、藤井係長が誕生してからの荒木主任のライバルは藤井係長へと変わっていき、大人しい藤井係長が荒木主任を目の敵にするようになって行きました。そして、浅沼課長と荒木主任の間には越えられない高い壁が張り巡らされているように見えました。


 浅沼課長は、藤井主任が荒木主任の営業成績を抜いた時に、野崎部長にそれとなく推薦して、栗栖社長に昇進を申請してもらったのでした。藤井主任の営業成績が上がったのは、多分に浅沼課長の後押しがあった事は間違いないのです。そのうち、会社発足メンバーの和田課長もその標的になると覚悟をして置かなければならないでしょう。



 そして、野崎部長と浦辺部長との意見の対立も際立ってきました。堅実路線を歩もうとする浦辺部長は、無茶な取引で多額の利益を出す、会社の仕組みに疑問を持ち始めたからでした。栗栖社長は、会社に出勤しなくとも当然のように月額350万円の役員報酬を受け取っていました。会社は何から何まで栗栖社長のものですから、誰がそれに対して口を挟めるでしょうか。

 しかし、浦辺部長は無理を重ねて利益を出すのには反対でした。そんな意見が栗栖社長に対する反逆と野崎部長に騒ぎ立てられ、浦辺部長は苦境に立たされました。それからというもの、会社運営は外部の会合で決まり、社内会議では結論が出ていました。浦辺部長はロードの取り決めからも外されていました。会社の運営は野崎部長の独断で決まり、和田課長を見方に引き入れ、いつも多数決で優位に進めていたのでした。


 和田課長にしても、栗栖社長の意向と言われては野崎部長に賛成するしかなかったのです。野崎部長は、我々は雇われている身なので、社長に逆らうつもりはないと言って、一笑に付しました。そして、栗栖社長に反旗を翻すのなら、自分で会社を興し独立したらと不穏分子のような扱いをするようになりました。それは、栗栖社長にしてみれば好都合だったのです。居場所のなくなった浦辺部長は、退職して行くしか道がなくなりました。

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