5章幕間-1

「……ん、んん……ううーん……」


 ――ダメだ、眠れない。

 もう夜も半ばというところだが。目を閉じることすら諦めて、アーシャは自室のベッドの上で身じろぎした。頭も目も妙に冴えてしまって、どうにも眠れそうにない。むっくりとベッドから体を起こすと、アーシャは深々とため息をついた。

 原因は分かっている。今日から開催された入隊テストだ。

 警護隊所属の、上級生のノーブルたち。カスタム機を含んだノブリスと、一年生を始め警護隊入りを目指す挑戦者たちの戦い。出場者の多くは警護隊相手に敗れたが、アーシャの目に焼き付いたのはとある同級生の姿だった。


 ムジカ・リマーセナリー。錬金科一年。ノーブルではなく戦闘科でもないが、凄腕の傭兵。そして――いつか超えたいと願った憧れの一つ。

 前衛機“クイックステップ”によるほぼ一対三の大立ち回り。敵の真っただ中に飛び込んで、一度も被弾しない踊るような戦闘機動。魔弾を叩き落す刹那の見切りと、一瞬の隙から敵を崩す近接戦闘術。

 目を閉じれば、鮮やかに思い出せる――まあそのせいで、寝れないのだが。


「これはダメだなー。当分は眠れなさそう……なら、仕方ないか」


 他人事のようにつぶやくと、アーシャはすぐに決断した。

 寝間着から着替えて部屋を出る。故郷にいた頃からずっと一緒のクロエと借りた借家だが、クロエは現在自分の部屋で睡眠中。夜更かしがバレると怒られるので、アーシャはこっそり家を抜け出した。

 夜のセイリオスは眠りについて、当然のことだが静まり返っている。人気も明かりもほとんどなく、当たりは静寂に包まれている。湿ったように冷えた夜気に少しだけワクワクするものを感じながら、アーシャは歩き出した。

 

 目的地は錬金科棟、アルマ班の研究室だ。眠れない時間がもったいないので、どうせならエネシミュで訓練する。アルマ班は本来アーシャには縁もゆかりもない研究班だが、入隊が開催されている間だけ、エネシミュの利用を理由に入室許可をもらっていた。

 昼の姿とは打って変わって喧騒一つない学園を抜けて、錬金科棟へ。誰とも会わないまま、アーシャはアルマ班の研究室にたどり着く。


 無人の部屋の中にそそくさと入ると、アーシャはすぐにエネシミュを起動した。中の寝台に寝そべって、バイザーを被る。

 ノブリスの起動シークエンスに似た起動画面を経て、バイザーのモニターに表示されたのはリストだ。アーシャ用にピックアップされた初心者用演習チュートリアル集――ただし、全部クリア済みだ。


(ムジカもスパルタなんだか緩いんだか。


 あの憎き指導教官、オールドマンの課した最終試験――つまりはオールドマンとの一騎討ち。ひいこら言いながら学んだこと全てを発揮して彼に魔弾をぶち当てた瞬間、アーシャのチュートリアルは完全に終わった。

 そしてエネシミュに保存されている、仮想戦闘プログラムへのアクセスが可能となった。チュートリアルではないし仮想空間での話だが、実際に敵と戦うことが許可されたのだ。

 ずらりと並ぶ、誰かが作った戦闘シチュエーションリストを眺める。リストは難易度順に並んでいるようで、最初のほうは小型メタルが一機、二機、三機……と単純に敵が増えていく。途中から少しずつ敵の種類や状況が複雑化し、中には僚機まで設定されているものもある。


「いきなり途中から始めるのも、なんか違う気がするし。最初からやってけばいっか」


 呟いて、アーシャが選んだのは小型メタル一機撃墜のプログラムだ。想定された敵の種類や数、周辺環境の概要説明画面を超えると、エネシミュが稼働を開始する。

 瞬間に、意識は空に飛んだ。

 寝台に寝そべっていた体は<ナイト>を纏い、静止した時間の中で敵を正面に見据えている。小型メタル――本来メタルにはこれといった形はないが、目の前の敵は虫と四足獣とを掛け合わせたような姿をしている。訓練の中で何度も見た姿だ。エネシミュ上での小型メタルはこれと定義されているらしい。

 この敵を撃墜する。ミッションは簡単なものだ。バイザーのモニターにカウントダウンが点滅。これがゼロになった瞬間から、戦闘が開始する――


 戦闘は始まってすぐに終わった。真正面から飛び込んでくるメタルをガン・ロッドで撃ち落として終わり。それだけだ。

 他愛もないと思う間もなく、アーシャは次を選択した。メタルが二体に増えて戦闘が始まる――が、これもさほど苦戦しない。三体、四体に数が増えても同じだ。正面から突っ込んでくるだけなら、接近される前に撃ち落とせる。

 ただし、五体に増えてからは話が変わった。戦闘開始と同時に後退しつつ敵を撃ち落としても、捌ききれない。接近されてから乱戦になって、勝利をもぎ取ったが何回か殴られた。損傷はそこまで大きくないが、初めてのダメージだ。思わずムッと唇が曲がった。


 そしてその辺りで集中が切れた。

 意識が空からエネシミュに戻る。アーシャは現実に戻ってきた体でバイザーを剥ぎ取ると、一息ついた。休憩も挟まず五連戦。体の疲れは一切ないはずなのだが、不思議と疲労を感じる。頭の感じ取った疲労感が、そのまま全身にのしかかったような違和感。

 あえて逆らうようなことはせず、アーシャはしばらくぐったりと寝台に倒れ込んだ。

 ついでにだが、愚痴も自然と口から漏れた。


「強くなってる……はずなんだけどなあ……」


 チュートリアルを受ける前後で比べたらの話だ。あの演習が有用だったのは間違いない。

 事実、アーシャは敵の攻撃を慌てて避けるのではなく、どう避ければ相手の優位に立てるかを考えようとする程度には意識も変わった。射撃の安定性も、減速のない機動の取り方も。初心者から初級者に変わったといえる程度にはなったと思うのだが……

 また唇をへの字に曲げて、アーシャはまたバイザーを被り直した。

 睨んだのは、先ほどのメタル五機撃墜のプログラムだ。プログラムはそれがクリア済みかどうか、わかるように表示がされている。最速撃破タイムと被弾率のリザルトもだ。既にこのプログラムはクリア済みなのだから、当然それらも表示されているが……今そこにあるのは、先ほどのアーシャのリザルトではない。

 アーシャよりも圧倒的に速いうえに、被弾もない。おそらくはムジカだろう。使用機体は<ナイト>だ。つまりアーシャと同条件。


「……同じ<ナイト>で、どうしてこんなに差があるんだろ?」


 どういう戦い方をしたのかを見たかったのだが、リザルトログは残っていない。むー……と呻きながら、アーシャはリストの流し見を始めた。

 並ぶリストの順序が几帳面なら、それを全部こなしたムジカも几帳面と言えるのか。対メタル戦闘は全てのプログラムがクリア済みで、かつ被弾なし。プログラムのシチュエーションが単純なメタル撃破から過酷な条件に変化していってもそれは変わらない。

 さらにリストをしたまで移動させていくと、ノーブルだろうか、人の名前が混じり始めた。それが終わると、これまでとは別の人物が設定したらしい、比較的新しめの戦闘プログラムが並ぶ。

 別の人物が作ったと考えた理由はプログラム名の雑さだ。対メタル群想定1、2、3……対グレンデル1、2、3……

 名前が適当なら中身も雑で、戦闘シチュエーションの概要説明はなく、敵の種類や数も不明。細かく説明されていた、先ほどまでのプログラム群とは明らかに作られ方が違う――


「……ん?」


 と、そこでアーシャはきょとんとまばたきした。

 リストの終わり際のほうは、難易度が高かったのかムジカも無傷ではなかったが。正真正銘ラストのプログラムだけは、ムジカもクリアしていなかった。

 最終起動日は二年前。タイトルは――……


「……“超えるべき壁”?」


 アーシャはその戦闘プログラムの概要を表示した。といって、概要説明はやはりない。対メタル戦闘ではなく対ノブリス戦のようだが。表示されているのはその敵ノブリスだけだ。

 たった一機のノブリス――それも、奇妙なノブリスだった。

 見た目には真っ黒な<ナイト>……というか、<ナイト>の形をしたただの影だ。“機体データにエラーあり”と警告が出ている。外観データが壊れているらしく、その姿は便宜上のもののようだ。機体の等級は<カウント>――


(ムジカの超えるべき壁……? なにそれ。すんごい気になるんだけど)


 うずいた好奇心に従って、アーシャは戦闘プログラムを起動した。

 気になったのは、アレだけ強いムジカが“超えるべき壁”と呼んだ相手だ。

 ノブリスの等級差を思えば、まず勝てない相手ということはわかっている。だがそんなことは関係なく、ムジカが“超えたい”と思った相手がどれほどのものかを知りたかった。


 意識が空に飛ぶ。

 <ナイト>を纏ったアーシャの眼前に、その“敵”がいた。

 やはり、見た目には真っ黒一色の、影が浮き上がったような<ナイト>。ただしデータが壊れているせいか、時折その姿が揺らぐ。かすかに見えるのは蒼だ。黒くかすみがかってぼやけた機体の中に、時折薄く蒼色が覗く――どこか、懐かしい気のする色のように感じたが。

 その本体とは打って変わって、武装ははっきりと見えた。標準の――<カウント>級なら控えめとも言える――ガン・ロッドと、大剣型のイレイス・レイ用共振器。


(……? “クイックステップ”に似てる?)


 今時珍しい格闘機。それも、<ナイト>と<カウント>で等級に差こそあれど、同じ一銃一刀流のイレイス・レイ用共振器装備。“クイックステップ”を順当に<カウント>級にアップグレードしたら、こんな武装になるのではないか。

 と、モニター内でカウントダウンが表示された。戦闘開始の合図だ。

 5、4、3、2、1……


(あ、やば――)


 0のタイミングと、まばたきのタイミングがうっかり被った。

 一瞬視界が真っ暗に染まる。戦闘開始を告げるブザー。慌てて目を見開きながら後退する――


 ――


「えっ」


 そして次の瞬間には、アーシャは真っ二つだった。

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