3-4 嘘をついてる目だ
「あんたも人が悪いな。ただの学生なんて嘘を堂々とつきやがってさ」
おかげで探すのに苦労したよ、などと。
おどけるようにしてこちらにやってくる青年を、ムジカは目を細めて見返した。春の陽気の中外套を着こんだ、見慣れない青年。見て取れる情報などその程度だが。
「失礼ですけど、あなたは――」
「悪い、俺の客だ」
怪訝に誰何の声を上げかけたサジを遮って、ムジカは一歩前へ出た。
(スバルトアルヴ直属の傭兵団……ドヴェルグとか言ってたっけか?)
その団長――確か、フリッサと名乗っていたか。
うろ覚えなのは、どうにも相手に興味が持てなかったからだ。リムにも知っているか聞くのを忘れていたほどだ。理由は簡単で、同業者などと言っても所詮は傭兵。仲良くなる理由も価値もないからだ。
むしろ競合した依頼を巡って争ったりそもそも受注の時点で揉めたりと、他の傭兵などライバルというより敵と言ったほうが近い。そして敵なら個人として相手を知る必要もなく、だから相手のことなど頭の中からほとんどすっぽ抜けていた。
「……“あの”ってのが、何のことだかよくわからねえが」
改めてその青年――にやけ面のフリッサを軽く睨み返して、ムジカは淡泊に告げた。
「探したってことは、何か用か? こっちには心当たりがないんだが」
「そうだなあ。ま、用ってほど大したもんはないんだが――」
距離は微妙に遠い。五メートルかそこらか。
その辺りから、不意にフリッサはムジカに何かを投げてきた。放物線を描いて飛ぶそれを掴む。
そう大きなものではない――ナイフだった。鞘に納められたままの。
そして怪訝に顔を上げた先――
「――ちょっと、味見しておこうかってさあ!!」
フリッサが、突然駆け出してくる!
「……ッ!」
「ムジカっ!?」
逡巡は一瞬。唐突な脅威に意識が切り替わる。戦闘用へ。咄嗟に後ろへ飛んだ一歩の時間が、相手を待ち構える猶予を作った。
迫るフリッサは鍛えているのだろう、人間にしては早い――だが当然、ノブリスやメタルよりは遅い。
工夫もなく放たれたナイフの刺突をナイフで捌いて、踏み込まれた分だけムジカは後退した。
相手の姿勢、勢い、踏み込み。そこからギリギリの間合いを逆算して維持する。回避にも反撃にも移れる距離だ。引いた分だけ前に出る、フリッサに合わせてムジカは下がる。
二度、三度と振るわれる脅威に、だが心はフラットに冷えていく。見据える視線の先にはフリッサがいる。軽薄な笑み、細められた冷たい瞳がムジカを見ている。
そしてまた、踏み込んでくる。振り下ろされるナイフを前に――
今度は、ムジカは引かなかった。
軌道にナイフを合わせて受け止め、一歩。引くのではなく、前に踏み込む。ナイフ同士を軋らせて、拮抗を作った。
その中で体を滑り込ませるようにして、更に一歩。左の拳で腹を狙う――
だがフリッサは読んでいたらしい。拳を掌で捕まえて、受け止める。
完全な拮抗状態になってから。
顔にだけは欠片も闘争の気配はなく、好戦的な笑みと共に彼は言ってきた。
「へっへえ……やるねえ。ガキのくせに、小生意気な。流石は“先駆けの傭兵団”ってかねえ? 噂になるだけのことはあるってことか」
「……?」
言っていることは理解できなかったが――合わせるように二人、背後に飛んで距離を取る。
ただしムジカは下がり際、下方から振り上げるようにしてナイフを投擲した。
そのままなら顔面にでも当たっただろうが、フリッサは涼しい顔でナイフを捕まえる。その間に二度、ムジカは背後へと飛んだ。
そしてその場で足を止め、二人、睨み合う。距離は先ほどと同じだ。ムジカが後退し、先ほどまで彼がいた場所にフリッサがいる……
だが続きはない。仕切り直すこともなく、フリッサはそこで一つ息を吐く。
“お開き”ということだろう。その証拠にというわけでもないだろうが、フリッサはナイフを懐にしまう――
「う、う――わあああああっ!」
と、意識の外だったので忘れていた。何のことかと言えば、サジのことだ。
成り行き上置き去りになっていたが、ようやく状況に追いついてきたらしい。勇敢なのか無謀なのか、彼はフリッサの背後から、畳んだノート型マギコンを武器のように両手で掲げていた。
荒事に慣れてないからか、悲鳴じみた雄叫びと共にフリッサの頭上へ振り下ろすが。
「――おっと」
気づいていたらしいフリッサは見もせずそれを避けると、空振りして前のめりになったサジの背中をどんと押した。
あうっと情けない声を上げて、つんのめりながらフリッサから離れる。幸いサジは転ばなかったが、そんな様子を見てフリッサは笑い声をあげた。
「おいおい少年、そんなに顔真っ赤にして怒るなよ。ただのじゃれ合いだぜ?」
「こ、これがじゃれ合いって――何言ってるんだあんたは!? いきなり襲ってきておいて!!」
振り向くサジは怒鳴り返して、またマギコンを構えた。といってマギコンは明らかに武器ではないので、どうにも構えが不格好だが。
そのシュールさのせいか、あるいは当人の比較的弱々しい見た目のせいか。小動物が威嚇してるようにしか見えない光景に苦笑すると、サジの肩を掴んで告げた。
「サジ、マギコンがもったいねえから下ろせ。大したことじゃない」
「え? でも――」
「ザラにあるんだよ、傭兵やってると。相手も本気じゃない」
何故ならフリッサもムジカも、ナイフを鞘から抜かなかった。お互い殺す気などない、本当にただのじゃれ合いだ。
相手のことを知らないからだろう。「傭兵?」と首を傾げたサジに頷き返す。そうして不安そうに戻した視線の先で、フリッサは大仰に一礼して見せたが。
フリッサを半眼で見つめたまま、困惑するサジに説明した。
「相手の力量を図るためだとか、仕事で競合しそうだから先に牽制しとくとか、まあ色々あるんだけどな。傭兵は同業者見かけると、こうやってアホなケンカ仕掛けてくるやつが多いんだ。目くじら立てて怒るだけ無駄だ、コイツらそういう生き物なんだから」
「まるで自分は違いますーとでも言いたげな発言はよくないなあ? 傭兵なんてどいつもこいつも似たようなもんだろうに」
「それは否定しないが……悪いが俺は、自分から誰かにケンカを吹っ掛けたことなんか一度もねえよ」
「……ええ?」
これはサジのうめき声だったが。
どういう意味だと半眼で一睨みしてから、フリッサに視線を戻した。一応は満足したらしい。もう襲ってくる気はないようだが。
「それで? 結局何の用だったんだ? 手合わせが目的だったってんなら、もう帰ってもらいたいもんだが。そういう付き合いは望んでないし」
「つれないねえ。こっちはせっかく“あの”ラウル傭兵団に会ったんだから、顔つなぎでもしとこうと思ったのに。不愛想なのはよくねえなあ、そんなんじゃモテねえよ?」
「……さっきから気になってたんだが。なんなんだ? その“あの”とか変に意味深な奴」
「おんや? 自分らのことだってのにご存じない? そこそこ有名なんだぜ、あんたら」
「有名?」
思わず顔をしかめたのは、その言葉と実態が見合っていないと感じたからだ。
もしラウル傭兵団が有名だったなら、<ナイト>級ノブリス一機の整備に困窮するほどの貧乏暮らしにはならなかったはずだ。あるいは悪評として有名だったのかとも思うが、これまで浮島への入島を断られるほどの悪さはしていない。
だから有名などと言われても困惑するしかないのだが、フリッサはそうは思っていないらしい。
こちらの言葉を肯定するように頷くと、面白がるように――そして詩人が吟じるように言ってきた。
「――死地を求めて流離うが如く。誰よりも早く、誰よりも長く、誰よりも強く戦場に在る。先駆けの傭兵団、一騎駆けのラウル傭兵団――ってな。誰も受けないようなドギつい依頼ばっかり受けて、難なくこなして返ってくる。巷じゃ噂だぜ? 命知らずのバカどもがいるってな」
「……知らない話だな。俺たちは普通に依頼をこなしてきただけだし」
「難しい依頼ばっか?」
「報酬がよかったからな」
それにしたって実態はひどいものだったが。なんだかんだで金払いが悪かったり、意味の分からない理由で減点されたり。ひどいものになるとそもそも報酬が支払われなかったりと、これまで散々だった。
当然、報酬が支払われなければ困窮する。だから余計に金が必要になり、高難度・高報酬の依頼に飛びつくようになる。思えば悪循環だったのだが。
有名というのは嘘でもないのかもしれないと思ったのは、その辺りの事情までフリッサは知っているらしい様子だったからだ。
その上で、彼が言ってきたのはこれだった。
「イケねえなあ。お貴族様の顔潰しておいて、知らんぷりってのは」
「……?」
今度こそ本当に理解できず、眉根を寄せる。
そんなこちらの反応が予想外だったのか、フリッサは一瞬目を丸くしたが。
「本当にわかってなかったのか? 撤退も許容される規模のメタル群討伐、大規模空賊殲滅、単騎フライトシップ護送。ああいった異様に難度の高い外注依頼はな、ノーブルの箔付けのための見せ札なのさ。傭兵ですら避ける小難しい任務を、うちの子は立派にこなして見せましたーって言うためのな。それをお前さんがこなしちまったらどう思う?」
「……まあ、いい気分じゃないだろな」
「当然だろ。わざわざ大事な仕事を外注したノーブルがバカにされるわけだ。傭兵にすらできる仕事を、なんでお前はやらなかったんだってな。箔付けのつもりが一転、仕事から逃げた腰抜け扱いだ。お前さん、その辺り考えたことなかったのか?」
「……金払いが悪かった理由がようやくわかったよ」
苦々しく呻く。実際にそんなノーブル側の事情など知ったことではなかったので、考えたことなどなかった。知らず知らずのうちに逆鱗をべたべた触っていたわけだ。
仕事した以上は金払えと言いたい気分だが、一方で相手の気分がどんなものかも察せはする。まあ今となってはもはやどうでもいいことだが。
と。
フリッサが目を細めてこう囁くのを、ムジカは聞き逃さなかった。
「俺が気になるのは、だって言うのに何であんたらがまだ死んでねえのかってことなんだがね……」
「…………?」
その言葉の真意を測るように、ムジカはフリッサを睨むが。
当のフリッサはと言えば、パッと表情を和らげて、何事もなかったかのように笑ってみせた。
「ま、なんにしたところでだ。そんなアホみたいなことばっかやってる面白そうな傭兵団が同じ島にいるんだ。ツラ拝んどいて損はねえだろうと思ってな」
「だから、襲いかかってきたとでも?」
「傭兵らしいだろ?」
茶目っ気か、ウインクまでしておどけてみせる。先ほど見せた冷たさなどなかったかのようだ。
どうにも気の抜ける相手だなと、ムジカは冷ややかに相手を見返した。気安く軽薄な笑みにおどけた仕草。それだけ見ていると、いかにも気のいい青年というようにしか感じないが……
小さく嘆息すると、ムジカは断言した。
「……嘘だな」
「嘘?」
意表を突かれたのか、フリッサがその時初めて笑みを消したが。
「嘘をついてる目だ。何についてかは知らないが。傭兵始めてから、そういうの、鼻につくようになってな。そういう手合いは信用しないって決めてる」
「――ふうん?」
突き放すように告げる。単に嫌なものを感じたから拒絶した。意味としてはその程度のことだが。
フリッサはむしろ、面白がるように笑みを取り戻した。
口元を掌で隠し――だが唇を、頬を吊り上げて大きく笑う。隠した掌の上からでもそれがわかった。
「……なるほど、なるほど。そう言うお前さんは、そういうタイプか」
見透かすようにこちらを見据え、フリッサは冷たく言ってくる。
「人の目、人の顔、人の動き。そういうのはよく見てる。だが……お前さん、“人”のことは見てないんだな。お前は“俺”を見ていない。嘘を見抜いても知ろうともしない。どうでもいいと思ってるんだろ?」
「…………」
「よくないなあ、よくない。そんなんじゃ簡単に足元をすくわれるぜ……安心したよ。お前を敵に回しても、手玉に取るのは苦労しなさそうだ」
「敵になる予定があるのか?」
何の気もなしにそう訊いたが、返答は『さてな?』とおどけたものだ。
答えは期待していなかったが、その返答はある意味ではそれが答えでもある――是、だ。
そうして後はなんの言葉もない。現れた時と同じほどの唐突さで、フリッサはムジカたちに背を向けた。
サジと二人、その背中をしばし見送るが……
視線を離すと、ふと思ったことをサジに訊いた。
「そういやサジ。お前、人とケンカとか殴り合いってしたことねえの?」
「え? いや。うん、ないけど。普段一緒にいるのってアーシャとクロエだし。あの二人とケンカなんてしないよ、うっかり勝っちゃってもろくなことにならないし。でもなんで?」
「……度胸は買うけどお前、素人が玄人にケンカ挑んじゃダメだろ。危ないし。なんならケンカの練習でもするか? 暇な時間あれば付き合うぞ?」
「そういうの、ボク求めてないんだけど……」
「だったら荒事に首ツッコむのはやめとけ。お前にゃ向いてないよ――感謝はするけどな」
困ったように頬をかくサジに苦笑を投げて、視線を空へと向ける。
空ではまだ、二機のノブリスが訓練を繰り広げていたが――
『ねえちょっと! 休憩! セシリア、休憩っ!! そ、そろそろ、息が――』
『甘い、甘いわ! むしろ今、今こそが好機! 訓練は限界を超えてこそよ――さあ、もっと早くっ!!』
「……放っておいていいの? あの傭兵。最後、すごい不穏なこと言ってたけど」
「問題ねえさ。どうせ大したことにはならねえよ……浮島の中にいる限り、大げさなことはできねえしな」
考えられるのは荒事だが、それにしたってできることなど限られている。
一番の大事は人殺しだが、そんなのやらかせば即死刑だ。浮島内で罪を犯したら外に逃げるしかないが、浮島の中枢管理システムは島内のインフラ全てに及んでいる。罪を犯しても逃げるのが難しい、ここはそんな場所だ。
加えて島内では余所者はノブリスを起動できない。何故なら入島時に傭兵団のノブリスは浮島の中枢管理システムからプロテクトをかけられるからだ。セイリオスではノブリスの盗難防止のためにかけられている起動プロテクトと同質のものだ。こちらはシステムと紐づけられたノーブルであればプロテクトを突破できるが、傭兵たちのノブリスは、そもそも起動承認権を浮島の管理者に預ける形でのプロテクトとなる。
つまり、余所者は浮島内ではノブリスを使えないのだ。だからこそ浮島内での犯罪は、どんな無頼漢でも絶対にやらない――
楽観視するつもりはなかったが、さりとて脅威にも感じない。ともすればそれこそが楽観視なのかもしれないが、ムジカは欠伸と共に呟いた。
「敵に回るったって、こちらを殺したいわけでもないだろうし。せいぜい仕事で面倒が増えるとか、その程度のもんだろ」
「そうかなあ……ホントにそれくらいで済めばいいけど」
まだしばらく訓練は続きそうな訓練を見つめながら、男二人でそんなことをぼやきあう。
そしてその頃にはもう、フリッサへの興味などほとんど残っていなかった。
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