2章幕間

『――うわああああああああっ!?』


 演習場の空に一機、制御不能に陥って“溺れる”ノブリスを見上げて――


「……こうも、無様とはな……」


 空域警護隊の副隊長、ガディ・ファルケンは暗澹たる気持ちで呻いた。

 無様な結果だと言わざるを得ない――ノーブルなどと気取った若造共が、たった一機のノブリスを御することすらできないというのは。それも戦闘の結果としてではない。ただ動かすだけという、それだけでこうも苦戦している。

 どうにか姿勢の制御を取り戻し、宙に留まろうとするのは漆黒色のノブリス――<ダンゼル>級と称される、技術試験用のノブリスだ。

 それも、奇妙なノブリスだ。ガディたちが作ったものではないそれは、装甲板の類がほとんどなく、左右の手は不揃いにサイズが異なり、ブーストスタビライザーの背部レイアウトに至ってはおざなりもいいとこ。内部もライフサポートシステムの類は一切積んでいない、ずさんとも言える有様だ。


 急ごしらえの機体だという話は聞いていた。稼働テストもまだ未実施で、実質的に動かせるようにしただけの代物だと。今回はテストのためにライフサポートシステム周りの組みつけを行ったが、それでも操作性は劣悪と言わざるを得ない。簡単な姿勢制御すらおぼつかず、<ダンゼル>を操る部下は、今は空で制止しようともがいている。

 と、隣でガディと同じようにして<ダンゼル>を見上げる、技術屋の部下がつまらなそうにつぶやく。


「やっぱりダメですね、これ。いろいろと言いたいところはありますが……問題の筆頭はフライトグリーヴですね。低速度域がほとんどないくせに加速性能が高すぎて、ほんの一瞬で最大速度まで吹っ飛ぶ。基本性能の時点でイカれてますな」


 足元で爆発起こして、その爆風に乗って飛んでるようなものですよコレ、などと彼は呆れてみせた。

 あまりにもバカバカしい表現だ――が、それを笑えない。実際に爆発でもしているんじゃないか、そう思うほどに加速性能が高すぎるのだ。速度ゼロの状態から機体が吹き飛ぶように一瞬で動くから、わずかにでも機体の制御を失えば、その瞬間に空で溺れる。

 暴れ馬ムスタング。もしガディがこの機体に名をつけるなら、皮肉も込めてそう呼ぶだろう。誰にも御しえない、誰にも使えない、誰にも従わない極上のじゃじゃ馬。

 だが、それを操り切った者がいる――……


「背部レイアウトもひどい。背中に突き刺さってるみたいな、あのブーストスタビライザー。アレ、前へ突き進むことしか考えてないじゃないですか。あんなの、敵前に飛び込んで自爆してこいって言ってるようなもんだ。どこのバカです? コレ作ったの」


 同じ技術者として、まともな人間には使えない者を作った何某かに文句を言いたいのだろう。事実乗る側としてもこんな欠陥品、何を考えて作ったのかと言いたくもなる。

 眉根を寄せてマギコンと空とを交互に見上げる部下に、ガディは短く告げた。


「アルマ・アルマー・エルマだ。お前も知っているだろう」

「……ああ、あの。セイリオスの“便利屋”ですか」

「その一族の、はぐれ者だがな」


 部下の呆れに補足を入れる。彼の言い方だと、厳密にはアルマ以外の者も含まれてしまう。

 セイリオスの便利屋とは、セイリオスの土着貴族、アルマー・エルマ家のことを指す。この浮島“セイリオス”と、それを管理する一族のノブリス整備を筆頭に、この島のもの全ての保全を手掛ける一族だ。

 ノーブルと異なり、彼らはノブリスを操らない。だがこの島にとってなくてはならない存在であり、そのため貴族として扱われている。

 アルマはその一族に生まれた、ある種の“異分子”だった。アルマー・エルマの一族ですら持て余し、アルマ自身一族を見放して離脱した。


「ついでに言うならばかつて、レティシア・セイリオスが生徒会長に就任する前まで彼女のバレットだった。彼女がランク1になる直前まで、彼女の<ナイト>級のカスタムと整備を担っていた。腕は本物だ、頭のイカレ具合もな」


 それは今も空を飛ぼうとして溺れている、<ダンゼル>を見ればよく分かる。

 格闘機。それも、搭乗者たるノーブルの安全性をハナから度外視した設計の。機動性能だけに特化した究極の割り切りは、ゆえに一度でも被弾したら搭乗者を即死させることになる。常識ではあり得ない設計の機体だ。

 だがこんな機体が、このセイリオスを救ったのだ。頭のおかしい機体を作り、それを使える者に託した。

 ――たかが一介の傭兵が、それを成した。


(それを……認めてやるわけにはいかんのだ)


 この空で、人々を守るのはノーブルでなければならない。

 おそらくは、誰にも理解できまい。この苦悩の意味と、この焦燥の理由など――ノーブルが“ノーブル”としてあるべき姿を求めることの、困難さなど。

 と、そこで部下は一呼吸置くように、視線を空から離す。

 そうしてこちらを見つめて彼が言ってきたのは、おおよそ常識的なことだった。


「こんなことして、いったい何の意味があるんです?」

「…………」

「ハッキリ言いますが、あの<ダンゼル>、欠陥品ですよ? 結果を残したのは認めますがね。一人のノブリス・アーキテクトとして断言します――アレは一般化成し得ない、何一つ参考にならない機体です。データを取る価値すらない。あんなの、いったい何人のノーブルが使えるんです?」


 絶無とは言わないが、多いはずもない。問われるまでもなくガディにもそれは分かっていた。

 愚かしいまでの機動性能も、バカバカしくなるほどの加速性能も。全てはあの機体が格闘戦、白兵戦を指向したからこそ求められたものだ。

 かつての――あるいは“そうした遺産”を引き継いできたノーブルなら、まだ格闘機に適応できる余地はある。だが現代のノーブルは射撃戦、遠距離戦を前提として発展を遂げた。このノブリスの最大の欠陥は、そのコンセプトゆえに使えるノーブルが稀少に過ぎることだった。

 

 どれだけ輝かしい結果を残そうと、共有できない戦訓など何の価値もない。

 それでも、これは――結果を成したノブリスの調査は、ガディにとって必要なことだった。

 嘆息すると、ガディは未だろくに動けない<ダンゼル>を見上げて告げた。


「これ以上は時間の無駄だ。アレンを下ろせ……次は私がやる」

「……本気で言ってます?」


 技術屋は疑わしげだ。信じられないとでも言いたげな様子で、そして容赦もなく言ってくる。


「あなたの操縦特性じゃ、ハッキリ言って向いてないですよ。端的に言って、あなたに近距離適正は備わってない。超々高速戦闘機動の適正も。いいとこ振り回されて終わりでしょう」

(そうだ。あの機体は私には向いていない)


 そんなのはわかり切っている。だが、やらなければならない。

 この空に、自分たちがいる意味を示さなければならないのだから。


(強くあらねばならないのだ、私は……)


 もう二度と、“役立たず”などと呼ばれぬためには。自分は故郷の“愚物”たちとは違う。矯正の間に合わなかったダンデスとも。

 ――“ノーブル”であることを己に課した以上は。

 きっと、この焦燥は誰にも理解されないだろう。それでも、やらなければ――……


「――やあやあ、お取込み中のところ失礼!」


 ハッと。その声に背後を振り向いた。

 闖入者、と呼べるほどの者か。街から離れた演習場は人払いもしていないが、これまで自分たち以外には誰もいなかった。

 だが今は、人影が二つ増えている。男二人分の影だ。年若い青年のものと、年寄りに片足を突っ込み始めた壮年のもの。

 声をかけてきたのは、青年のほうだった。気安い笑みを浮かべ、上機嫌にこちらに近づいてくる――……


「や、麗しの兄上。ご機嫌麗しゅう? まあその顔見ればご機嫌のほどもわかろうってもんだけど」

「……フリッサ、か?」


 それが自分の弟だとすぐに気づけなかったのは、もう五年も会っていなかったからというのもあるが。

 最大の要因は、その瞳の暗い陰りが、かつて少年だった彼と重ならなかったからだった。

 その陰りの理由を、自分は知っている。その日が来たのだと思った。再会の喜びなど欠片もない。胸の内にあるのは痛みだった。

 それでも感情を押し殺して訊いた。


「……何故、お前がここにいる」

「おいおい、久しぶりの再会だってのに最初がそれかい? 相変わらずだなあ兄上は。学生生活やってても、頭は柔らかくならなかった――……」


 フリッサが途中で言葉を止めた。

 ガディは何も言わなかったが、こちらの表情を見て彼は苦笑したようだった。


「ああもう。怒んなって。ホントに相変わらず、軽口がお嫌いなようで……何故って、考えなくてもわかるだろ? 本島から仕事頼まれてんのさ」

「……ドヴェルグの仕事か?」

「正解。その様子だと、兄上のところには何の連絡も行ってないのかな?」


 来るはずがない。ドヴェルグの仕事とはそういうものだ。

 表には決して出てこない。だから手も汚れない。ハンカチと一緒だ。いざという時に使い倒して、それ以外はポケットの中。どれだけ汚れていたとしても本人は知らんぷりだ。

 そうして使えなくなれば捨てるだけ。

 そんなものに、本島のノーブルは頼り切っている。蔑みながらも依存している。

 感じるのは軽蔑だ。唾棄すべき怒りだ。そして……悔恨と、諦観だった。


「……お前が継いだのか」


 ドヴェルグ傭兵団をだ。スバルトアルヴの“恥部”。恥ずべき汚点。消し去るべき暗部。それらすべての集結点。

 呟きを、フリッサは聞き取ったらしい。返答は、苦笑と共に放たれた。


「他に適任がいなかったからな。適性も足りねえ奴が多いし。捨てるに捨てられないってんだから、誰かが受け継ぐしかない。そういうもんだよ、仕方ない」

「…………」

「ンな顔すんなよ。鏡いるかい? ひっでえ面だぜ?」

「……もう一度訊く。何の用でここに来た」


 この苦悩の意味など、誰にもわかるまい――先達を暗愚と蔑むしかない、後進の気持ちなど。

 苦みを押し隠して訊いた先、フリッサは苦笑から苦みを抜いて、気安く聞いてきた。

 こちらの悩みなどまるで気づいていないような、能天気な顔だった。


「――ラウル傭兵団、ここにいるんだってな? 同じ傭兵団として、よしみでも結んどこうかと思ってな……どこにいるか、教えてもらえるかい?」


 それでフリッサが本島から、何を請け負わされたのかを悟った。

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