エピローグ 後

 それから二、三話をして。それでレティシアの用事は終わりのようだった。


「それでは、ムジカさん。どうかお体はお大事に」

「仕事次第だな。次はケガしないやつを頼む」

「ええ。私としても、あなたにケガをしてほしくはありませんもの」


 軽口にそう答えて微笑むと、それを最後にレティシアは背を向けた。

 去る背中を、ムジカは無言のまま見送って――


「――ああ、そういえば」


 去り際、ふと彼女が振り向いた。

 どこか挑むように――だが面白がるようにして彼女が口にしたのは、これだった。


「最後に一つ、言い忘れたことを――


 その笑顔に、何も言えないでいるうちに。

 彼女はやはりくすりと微笑むと、一礼を置いて部屋から去っていった。

 しばし、レティシアがいなくなった扉の先を呆然と見つめていたが。


「……ねえ。今の、なに。どういうこと」

「……どういうこと?」


 最初はアーシャの、後のはクロエの疑問符。アーシャはジト目で、クロエはきょとんとこちらを不思議そうに見つめてくる。サジは我関せず――というよりは、嵐か何かから逃げ出すように、そっと隅へと移動していたが。

 噴火したのは、案の定アーシャのほうだった。


「ねえちょっとー! なにあれ、スカウト!? いつの間に!? というか、なんでムジカ断っちゃったの!? もったいなくない!?」

「あーあーうるせうるせ。こっちにだっていろいろ事情があんだよ。そう簡単に受けられっかよ、あんな話」


 なんで怒られているのかわからないので、憮然と言い返す。

 第一『なりますか?』と訊かれて『はいなります』なんて簡単に言えるようなものでもない。レティシアも本気で言っているとは思えないし、あの状況では断っておくほうが無難だ。

 と。


「……受けちゃえばよかったのに」


 ベッドに突っ伏したまま、顔だけ見上げてリムが言ってくる。その顔は不満げ――というよりは、不貞腐れているような表情をしているが。顔と表情、言動と内心が、たまに一致しないのがこの妹分の厄介なところだ。

 この様子だと、リムはレティシアの申し出を歓迎していないらしい。だからムジカが断ったことを評価している一方で、それを素直に言うのも恥ずかしいから、こうして憎まれ口を叩いている――そんなところか。

 察したことがバレるとそれはそれで面倒なので、ムジカは苦笑を知らんぷりで隠して訊いた。


「起きてたのか?」

「だって、うるさかったっすから……うるさい人もいるし」

「……リムちゃん? ねえリムちゃん? なんでそれあたしの顔見て言ったの? ねえ?」

「気のせいです。うるさいですよ」

「塩対応! やっぱり塩対応だよこれ!」


 やかましく騒ぐアーシャに、リムはむすっとした視線を投げる。そんな二人にクロエとサジは、これまたきょとんと不思議そうな顔をしたが。

 おや? とひっそりムジカも首を傾げた。

 リムにしては珍しく、他人にも少し素を見せている。ムジカとラウル以外で、リムがそうした態度を見せることはまずない。人嫌いが行き過ぎた彼女は、誰かと話をするときは微笑の仮面がデフォルトだ。

 なのにこの有様と言うことは、二人の間で何かあったようだ。それがいい変化かどうかはまたわからないが……

 

(まあ、悪かねえか。こういうのも)


 小さく嘆息すると、ムジカはベッドに倒れこんだ。

 熱は下がったから辛くはないが、体調がいいわけでもない。残っている疲労感のまま、ムジカは目を閉じて告げた。


「おら、今日はもう店じまいだ。俺はもう寝るから帰れ」

「え!? 嘘、もう寝るの!? 早くない?」

「仕方ねえだろ、こちとら半病人だぞ? 疲れてんだ。ほら、リムもだ。とっとと帰れ」

「え? なんであーしも? あーしはここでアニキの看病を――あ、もしかしてアニキ、説教のこと根に持ってるっすか!?」

「根に持ってはいないが、寝たくはある。お前いたら寝れねえだろ」


 リムは変にかいがいしいので、一周回って邪魔なこともあったりする。面倒見がいいのはいいところなんだろうが、世話されすぎても落ち着けないのだ。

 ちぇー、などと呟いて、リムもアーシャも帰る準備を始める。といって手荷物があったわけでもないので、大した準備もいらなかっただろうが。

 と。


「――あ、そうだ。ねえムジカ。この前のことなんだけど」

「……あん?」


 不意にそんな風にアーシャが声をかけてきたので、ムジカは片目だけで声のほうを見やった。既にアーシャたちは病室の入り口前まで移動していたが。

 アーシャが真面目な顔をして、こちらを見ていた。


「ほら、この前の、決闘の日の。“ノーブル”のこと、あたしの理想像、押し付けようとしたでしょ。あれ、ダメだったなって」

「ああ……んなこともあったか。別に、気にしてねえよ。こっちも意地が悪いこと言ったしな。だから……まあ、チャラでいいだろ」

「ううん。押し付けたのは、本当だから。だから、その……ごめんなさい。アタシが勝手だった」


 素直に、そして深くしっかりと、アーシャが頭を下げる。

 そして顔を上げると、“でもね”とアーシャは先を続けた。


「やっぱりノーブルって、ムジカが言ったみたいに卑怯な人たちばっかじゃないよ。それをね、今回の戦いで思ったの……だって、いたもん。

「…………」

「義務とか、責務とか、そういうのじゃなくてね? だから。だからね? だから、あたし――あたし……えーと……あれ?」

「……何言いたいのか、忘れちゃった?」


 とは、クロエの疑問符。そうしてクロエはサジと一緒にアーシャを見た後、ムジカのほうに“仕方ないね”と微妙な苦笑を投げてくる。

 その間もアーシャが必死に言葉を探していたようだったが、なくしたものは見つからなかったらしい。

 諦めて、こう言ってきた。


「あーもう! なんかかっこいいこと言いたかったけど、わからなくなっちゃったから言いたいことだけハッキリ言うね!?」

「あ、ああ……どうぞ?」

「あたし――!! !」


 ビシッとこちらを指差し、清々しいまでの挑戦を叫んで。

 じゃあお大事に! とついでに言い置いて、アーシャは部屋から走り去った。『あ、ちょっとアーシャ!?』と叫ぶサジが慌てて追いかけ、クロエがため息をついた後、こちらに手を振ってから後を追いかける。

 この勢いは、アーシャと初めて出会ったときのことを思い出すなー、などと、どうでもいいことを考えてから。

 ふと気づいてぼやいた。


「……なんで、どいつもこいつも俺に覚悟を要求してくるんだ?」

「………………」

「んでお前は、なんで俺のことを睨んでんだ?」


 ムジカと一緒に唖然とアーシャを見ていたリムだが。今は何やら、感情の知れないジト目でこちらを見つめてきている。

 怪訝に見つめ返した先、今度は正真正銘不貞腐れた様子で、


「……別に。兄さんのバカは、今に始まったことじゃないなって思い出しただけです」

「……お前、なんでいきなり不機嫌になってんだ?」

「知りません……兄さんのバーカ」


 言うだけ言うと、リムは“また後で来るっす”と元の口調で言い置いて、部屋を去る。

 一人、病室に取り残されて。ムジカは小さく嘆息した。

 目を閉じても、すぐには眠れそうにない。思い出すのは、去り際のアーシャの言葉だ。


(……“ノーブル”は卑怯な人ばかりじゃない……か)


 苦笑した。そして、その通りだと思った。

 確かに、卑怯な奴ばかりでもなかった――現に一人、いたではないか。

 それを当人に言うのはひどく癪だから、教えることは決してないだろうが。それでもほんの少しだけ、救われたような気がしたのだ。

 自分の信じていた“憧れ”が――父を通して見た“憧れ”の全てが、間違いでなかった一つの証明になった気がしたから。

 戦う理由は、まだ見つかっていない。それでも……


(父さん。俺は……もう少しだけ、“ノーブル”を信じてみたいらしい)


 ――だから今日は久しぶりに、いつもより少しだけいい気分で眠れそうな気がした。

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