5-5 虫唾が走るんだよ
「あ……ムジカ……」
控室に戻ると、出迎えてくれたのはアルマではなく、なぜかアーシャだった。
窓がないために少々暗く感じる控室に、影のある表情でこちらを見ている。浮かない顔で何か言いたげな様子だったが、ムジカは彼女を一度無視してアルマを探した。
アルマは部屋奥にある<ナイト>のハンガーの傍で、マギコンを叩きながら何やら喚いていた。どうやら、決闘委員会の誰かに詰め寄っているようだが。
すぐに興味を失うと、ムジカは部屋の中ほどにいたアーシャの横を通り過ぎた後、<ナイト>のバイタルガードを開放して外に出た。残存魔力があるうちに、<ナイト>にはハンガーへの移動を命じる。
ハンガーに<ナイト>が懸架されるところまでを見届けてから、ようやく口を開いた。
「何か用だったか」
振り向きもせずに、声だけで訊く。褒められた態度でないのは分かっていたが、今は誰かと長話をする気分ではなかった。
それが態度で伝わればいいのに。一瞬だけすくんだ気配の後に、空元気のような声が響く。
「え? あ……う、ううん? 用はもう終わっちゃった。決闘が不正されてるかもって聞いたから、それを伝えに来たんだけど……ムジカ、凄かったね! そんなの必要ないくらい強かったんだ! あたし、知らなかったから、ビックリしちゃって――」
「強いも弱いもあるか。甘ったれが相手だっただけだ」
アーシャの言葉を、途中で遮る。短く吐き捨てて、それ以上の会話を拒絶した。
こうまですれば、伝わるものもあるだろう。アーシャは小さく「あ……」と言葉を詰まらせて、そのまま黙り込む。
それで話は終わりと決めつけて、ムジカは懸架された<ナイト>の前まで歩き出した。
<ナイト>はほとんど、出場前と変わっていない。被弾していないのだから当たり前だが。唯一の損傷は左ガントレットだ。ガン・ロッドの暴発に巻き込まれて、ひしゃげている――意図してそれをやったのはムジカだが。
無言ですすけたガントレットを見つめていると、ぽつりと声が聞こえてきた。
「――ガン・ロッド、暴発させる必要はあったのかね?」
アルマだ。話も終わったのか、マギコンを畳んでつまらなそうに見上げてくる。
非難しているのかとも思ったが、彼女の顔を見て違うと気づいた。彼女は興味深そうにこちらを見ていた。観察の目だ――面白がっている目にも似ている。
だが言えることなどそう多くはない。ムジカは素直に告げた。
「必要なかったな。だけど、わかりやすかっただろ?」
「まあ、アレだけ不自然な爆発が起きればね。だが、メカニックには優しくないね。どうするんだい、あのガン・ロッド。原形とどめてないじゃないか」
壊れたガン・ロッドは持ってきていない。どうせ使い物にならないから、演習場に捨ててきた。今になって、持ってきておけばよかったかとも思わないではないが。
ムジカは皮肉っぽく笑うと、からかうような心地で訊いてみた。
「直せるのか?」
「無理に決まってるだろう」
「だったら、どうするかなんて訊くだけ無駄じゃないか? やらかしたのはあいつだしな。俺が怒られるわけじゃない」
「……まあ、私が怒られるわけでもないしな。別にいいか」
アルマもそれで納得したらしい。
が、まだ疑問があるらしい。興味の目はまだ終わっていなかった。
「にしても、あのガン・ロッドの細工、どうして気づけたんだね? 確かに決闘直前に私が警告を飛ばしたが、あれ、間に合ってなかっただろう。この部屋出る前の時点で勘づいていたようだが、助手には何が見えていたんだ?」
「別に、何も。単純な消去法だよ」
「消去法?」
「相手が真っ当な決闘を望んでるとは欠片も思えなかったからな。最初にノブリスを見て、何も仕掛けられてなかったからガン・ロッドだと思っただけだ」
「……その言い方だと、最初から相手が不正することを確信していたように聞こえるが」
疑いの目を向けてくるアルマに、ムジカは肩をすくめてみせた。
「
「……え?」
さすがにその答えは予想していなかったらしい。きょとんと呆けた顔をしたアルマに、ムジカは冷笑した。
ただ、アルマを笑いたかったわけではない。ムジカが嘲ったのは、これまで見てきた“ノーブル”という存在そのものに対してだ。
「どうせノーブルなんざ、エリート意識をこじらせた増上慢のバカどもさ。“ノーブル”なんて名前で呼ばれて、誰よりも立派な人間だと勘違いしてるから簡単に人を見下せるわけだ……ハッ。平民風情だってよ。何回言えば気が済むんだか?」
「…………」
「不正を確信してた理由はな。ああいう手合いは目下相手なら、なんだってやるって知ってたからさ。さも自分は“高貴な存在でござい”なんてツラしておきながら、薄皮一枚剥けちまったらあんなもんだ。それがノーブルだ。どいつもこいつも腐ってるのさ」
と。
「……違う」
ぽつりと場に落ちた呟きに、怪訝に声のしたほうを見やった。
そこにいたのは、アーシャだ。ほったらかしにしていたが、帰っていないことには気づいていた。
話を聞いていたのだろう。ムジカはノーブルを否定したが、アーシャもまたそのノーブルだ。彼女の目には、傷ついたような色が見える。だがそれ以上に強さもある――ムジカを否定するための強さだ。
「違うよ。あれは……あんなのは“ノーブル”じゃない! みんながみんな、あんなふうに腐ってるわけじゃないよ!」
弱々しかった声を、その強さで塗り替えるようにして、言ってくる。
だから、ムジカは呟いた。
「そうだな」
そして、即座に否定のための言葉を吐いた。
「だが、ならどこにいる?」
「え……?」
「その腐ってないノーブルってのは、いったいどこにどれだけいるんだ?」
答えがあるはずがない。これは詭弁の論法だ――
それをわかっていながら、ムジカは怒りを突きつける。
それは理屈ではなく、ただの経験だった。
「傭兵として三年間、旅を続けてきたよ。手柄欲しさに空賊扱いされて、殺されかけたことが何度もあった。いざ空賊退治を依頼しておきながら、報酬を出し渋られて飯が食えなかった日だってある。総じて、ろくなもんじゃなかった。地位に胡坐をかいて、名誉と欲に溺れてるくせに、プライドばっかり高くて人を見下してるような、クソみたいな奴ばっかりだった」
当然、自らの浮島に生きる平民に、優しい者はいたのかもしれない。
だが傭兵として生きたムジカにとって、ノーブルとはただの理不尽だった。ムジカたちは使い捨ての道具として酷使され、いざ必要なくなればボロ雑巾のように捨てられた。仮に満額報酬が支払われたとしても、その翌日には島から追放されるほどだ。
そこには悪意があった。異邦者を認めないくせに、その力だけは利用しようとする小汚い悪意が。
「メタル倒して空賊潰して、浮島のために戦ってるやつが“誇り高くて偉い”ってか。冗談言うなよ――高潔さや卑しさってのはな、そういうのとは関係ないんだ。役割として戦ってるノーブルが、なのに“だから立派”だなんてのは、バカどもの幻想に決まってんだろ」
心の底からの軽蔑を吐き捨てて、嗤う。
だがそれだけが理由ではない――ムジカがノーブルを軽蔑するようになったのは、傭兵として旅に出る前からだ。
「違う――幻想じゃない!! 私の知ってるノーブルは――私を守ってくれたノーブルは――」
否定のための言葉を吐くアーシャに、だがムジカは取り合わない。
彼女の言葉を最後まで聞くこともせず、冷たく吐き捨てた。
それがこの少女を傷つけるためだけの言葉と知りながら。
「――
「……え?」
記憶に思い出す光景がある――浮島グレンデルを襲った、メタルの大群。島中を囲う敵を前に、父は単騎で一角を請け負った。自分こそが、故郷を守るノーブルだという自負と使命感と共に。
七年前のことだ。そして、父は帰らなかった。
ムジカはその一部始終を知っていた。父の亡骸と共に回収された、“ジークフリート”の戦闘ログを盗み見た。
「メタルと戦ってた父さんを、背中からわざと撃ったのさ。家督を継げなかった叔父が、仲間引き連れて撃ち殺した……誤射だってことであっさり片付いたよ。どいつもこいつも顔見知りで、父さんの世話になってたやつだっていたのにな。あいつら、父さんの葬儀で俺になんて言ったと思う――“次はお前だ”だぜ?」
「……っ!?」
「その日のうちに逃げ出したよ。父さんの葬儀の途中だったか。その後行き倒れてたところをたまたまラウルに拾われてなけりゃ、俺は今頃死んでただろうな」
絶句するアーシャを嘲笑う。彼女が信じるものを、自分は信じないと冷やかに蔑んだ。
だがその一方で胸が痛んだ。アーシャがいいやつだと知っていたからだ。
仲間や戦えない人たちのために――フライトバスを守るために、戦う力のない<サーヴァント>で戦場に出た。正真正銘のバカ野郎だ。
彼女は善良な人間だった。
だから――あるいは、それでも。突き放すように冷たく告げた。
「お前がノーブルをどう思おうと、それはお前の勝手だ。好きにすればいいさ……だがそれを、俺に押し付けようとするな」
――虫唾が走るんだよ。
真正面から、仇敵を見据えるように睨んだ。
アーシャを憎んでいるわけでも、ましてや敵意があるわけでもない。ただ相容れないとわかっただけだ。致命的なまでに、ムジカはこの少女の考え方を受け入れらられない。
顔色を真っ白に漂白されたその少女は、しばらく何も言えずに立ちすくんでいたが。
やがて、目を背けてうなだれると、消え入りそうな声で呟いた。
「……ごめん」
「…………」
ムジカは何も言わなかった。ただ睨み続ける気力もなく、力尽きた心地で視線を逸らした。
そうしてその沈黙に耐えきれず、逃げ出したのは、アーシャのほうが先だった。
かすかに見えた横顔が、泣いているように見えたのは。気のせいだと、思いたかった。
わかっている。必要のない言葉を突き付けて、アーシャを傷つけた。彼女の信じているものに、ムジカが拒絶を押し付けた。やめろと言ったことを自分がしている。虫唾が走るのは自身のその行いだった。
いいノーブルだっている。そんなのは当たり前の話だ。そこにいるのは“ノーブル”なんてラベルがオマケでついているだけの、ただの人間なのだから。
だからこのやり取りは、本当にただの八つ当たりでしかなかった。
(……無様だな。頭に血が上って言い合いかよ、なっさけねえ……)
自嘲する。だが本当は羞恥に悶えそうだった。拳を握り締めて恥に耐えるが、みっともなさに身が焼けそうだった。
そんなムジカに冷や水を浴びせたのは、空気を読まないいつもののんきな声だった。
「――ノーブルに殺されたノーブルって言うと、有名な話が一つあったな……キミ、ジークフリートの縁者だったのかね?」
「……だったら、なんだ?」
つい険悪に訊く。冷笑か、哀れみか。なんにしても、向けられる何かしらの感情をけん制するように。
だがその虚勢が的外れだと気づいたのは、アルマの目に悪意めいたものなど何一つ見つけられなかったからだ。
本当に、ムジカの考えていたことなど欠片も気にせず言ってくる。
「いいや? あの初手突撃の選択肢に納得がいったってだけの話だよ。ノブリス“ジークフリート”は格闘機だったはずだからね」
「……知らなかったんじゃなかったか?」
「知らなかったよ。というか、最近知った。アレ、面白いノブリスだね?」
「……アホが作った、アホみたいな欠陥機ってだけだ」
アルマが気にしているのはノブリスと、それにまつわることだけだ。彼女は人間の機微などどうでもいいらしい。生粋のマッドだ、と思わず感心してしまった。それが救いになるわけでもないが。
そうしてふと、ムジカは顔を上げた。見たのは控室の出口のほう――アーシャの去った方向だ。
後悔先に立たずとは言うが、今更吐いたつばも飲み込めない。この決闘で味わったのとはまた別種の気疲れに、ムジカはため息をついた。
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