1-1 ノブリス・オブリージュなんざクソ食らえ
「――きゃああああああぁっ!?」
悲鳴と轟音。船体が揺れ、衝撃に少女――アーシャ・エステバンは悲鳴を上げた。
感じたのは、体が浮くような落下感――そして本能的な恐怖だった。固くすくんだ身にシートの安全帯が食い込んで、痛みに息がひきつった。
天井灯は赤く明滅し、緊急事態を船内に知らせている――緊急事態だ。
数分前までこのフライトバスは、各“浮島”を行き来するという役割を果たすために空を飛んでいた。空のはるか上、雲海上をすべるようにして飛び、乗客を次の浮島へと運ぶ。何も起きるはずのない、快適な旅が続くはずだった。
だがそれももはや遠い過去のよう。スピーカーからは焦燥をにじませた船員の声が響く――
『緊急警報、緊急警報! 現在当船はメタルの襲撃を受けています! 搭乗員は安全帯をしっかりと締めて、衝撃に――っ!?』
今度の悲鳴はそのスピーカーからだった。
次いでまた轟音。乗客の悲鳴――そして船体がまた傾ぐ。今度は横から殴られるような衝撃だった。
間違いない、何かが衝突してきたのだ。
だが、何が?
「おい、アレ――」
その声は誰があげたものだったのか。
声に強制されたように、一斉に皆がそちらを見やった。そこにあったのは窓だ。フライトバスの外。
襲撃に対応して覆いかぶさった、装甲板がひしゃげている。歪んだせいで出来た隙間から、外の景色が覗いている――
――そこに、それはいた。
銀色に輝く四足獣の巨躯。地上で学んだのだろう、それは百獣の王の姿をしていた。だが四足獣にはあるはずのない翼を広げて、フライトバスに併走している。
人殺しの獣――メタル。
間違いなかった。人類の天敵。メタリアル・ライヴズ――旧文明の負の遺産が、このフライトバスを見つけたのだ。
途端に船内はパニックに陥った。
悲鳴を上げる者、安全帯を外して逃げ出そうとする者、身を固くして祈る者。誰も彼もが混乱する中で、アーシャがしたのは決意することだ。
ここに戦える人はいない。自分以外には、誰も。
――なら、自分がやるしかない。
安全帯を外して席を飛び出した。目的地は貨物室の、更に奥。
「アーシャ!? なにする気!?」
同じ故郷から旅をしてきた友人の叫びに、アーシャは叫び返す。
「あたしが出る! 格納庫に<サーヴァント>があったの――時間を稼がないと、みんな死んじゃう!!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「――アニキー。また寝てるっすかー?」
その声に、ムジカは悪夢から覚めた。
頭痛をこらえるようにまぶたに力を込め、そしてゆっくりと開いていく。
視界に青い空が飛び込んでくる――どことも知れぬ空だ。フライトシップの甲板上。風を切る音とその冷たさで、ようやく覚醒を意識する。
たっぷり十秒。それだけの時間を待って、ようやくムジカは声を上げた。
「今起きた。通信担当が席離れんじゃねえよ……何かトラブルか?」
首だけ動かして辺りを探れば、船内に続く階段梯子から子供が顔を出していた。
真っ黒のデカ帽子をすっぽりかぶった、黒髪黒目のこまっしゃくれた子供だ。傍目にはその帽子のせいもあり、男か女かわからないのだが。顔立ち自体はまあ可愛らしい。
歳は今年で十二になったんだったか。これで言動も年相応ならな……などと思うのと同じタイミングで、その少女――リムは可愛げなく言ってきた。
「別に、トラブルってもんじゃないっすけど。いい加減、甲板で寝るのやめたらどっすか? 風邪引かれて困るの、あーしらだって言ってるじゃないっすか。今はアニキしかまともな戦力いないんすし」
「そこは素直に心配だからって言っとけよ、そうすりゃバカくらいは騙せる」
「だからバカなアニキに色目使えって? んなことしたらアニキ、あーしのことバカにするでしょーが」
よくわかってるな、などと言わない程度にはムジカは懸命だった。
そして忠告を無視すると後が面倒なのも知っている。
ため息をついて先に戻ったリムの後を追って、ムジカも船内へと戻った。
ついでとばかりに、階下で待っていたリムの頭をポンポンと撫でる。
「……なんすか、いきなり」
「ん。いや。随分でかくなったなってさ」
「……アニキがそれ言うっすか?」
半眼で呆れられて、ムジカは苦笑した。
まあ、確かに言う通りではある。この小娘と出会ったこと自体は遥か昔だが、彼女らと一緒に旅をするようになってそろそろ三年になる。ムジカが十二歳、リムが九歳の頃から始めた旅だ。
その頃から、この生意気な少女は変わらない――それで救われてきたところもある。
しばらく頭に手を乗せたままでいると、リムは何か諦めたらしい。「まったく……」と唇を尖らせて呟くと、そのままムジカを先導するように歩き出した。
向かった先はブリッジだ。顔を出すと、そこにいた船長に声をかけた。
「よお、ラウル。釣果はどうだ?」
「……ダメだ、オケラだ。空賊どころか、メタルの一匹もいりゃしない」
振り向きもせずに言い返してきたのは、操舵輪を握る大男だった。
筋肉質の壮年で、リムの父親でもある。加えて言えばこのフライトシップ、バルムンクの持ち主であり――さらに付け加えるなら、ムジカの雇い主でもある。
あるいは、持ち主か。
まあ、間違いではない。彼に拾われたおかげでどうにか今日も生きているのだから。その程度には恩がある相手だ。
そのラウルだが、ため息のように言ってきた。
「もうちょい飛んでみるつもりだが、これで当たりが出なけりゃどうしたもんかな……このままじゃ、近いうちに金欠だよ」
「近いうち? “もう”の間違いでしょ?」
と、これはリムのツッコみ。
ムジカと話すときのような手下口調ではなく、娘らしい普通の口調で唇を尖らせる。
「食料だってもう備蓄ないし、浮島の入島料だってバカにならないし。それだけならまあまだどうにかなりそうだけど、本当に問題なのは<ナイト>だよ。アレ、そろそろ限界だよ?」
「あん? なんでだ。<ナイト>はこの前直したばっかだったろ」
「応急処置は直したって言わないよ。かろうじてまだ動かせるってだけで、オーバーホールしないと危ないよ。それに本体じゃなくて、本当に問題なのはガン・ロッドのほう。アレ、たぶんあと数回撃ったら焼き切れるよ?」
「もっと大事に使えよ」
「アニキに言ってよ」
と、二人の視線がこちらに向く。一つはジト目、一つは苦笑だ。
どちらかと言えばムジカも苦笑したい気分だが、一応は真面目な顔して肩をすくめた。
「生きるか死ぬかの瀬戸際で、武器に気なんか使ってられるかよ。アレでぶん殴ってないだけ、まだ有情――」
「殴ってたっすよ、この前」
「……たまにはそういう日もある。命より大事なもんじゃないだろ」
「……それ、否定したらあーし鬼じゃないっすか?」
「似たようなもんだろ」
これはムジカではなくラウルの茶々入れ。
ムッとしたリムが父親を蹴りに行ったが、無駄にマッチョなラウルは蹴られても身じろぎ一つしなかった。
そこで三者、全く同時にため息をつく。
飯を食うにも金。空を飛ぶにも金。“ノブリス”を整備するのにも金。根無し草の流浪人が生きていくには、どうしたところで金がいる。
「そろそろ、身の振り方も考えなきゃならんのかもなあ……」
「“ノーブル崩れ”の傭兵なんて、誰が好き好んで拾ってくれるって言うのよ。アテとかあるの?」
「ないこたぁない。身売りみたいなもんだが――」
「……身売り?」
と、父親の言葉にリムが怪しんだ時だった。
――Beep! Beep!! Beep!!!
「――リムっ!」
「わかってる!」
緊急警報。ラウルのかけ声にリムが即応。
通信席に飛び込むと、ヘッドセットを被ってコンパネを叩き、ディスプレイに表示された情報を読み解く。
リムの情報把握は一瞬だった。
「周辺空域でエマージェンシーコール! 方角はここから南南東! 島間フライトバスが、メタルに襲われてるって!」
「――商機だ」
ラウルが頬を吊り上げるのと同時。
ムジカもまた、機敏に動き出していた。
ブリッジを飛び出して船内を走り、船体下部の格納庫へ。雑に固定された資材群の先、壁面のハンガー前に立つ。
そのハンガーに懸架されていたものを一言で表すなら、“末端肥大の全身甲冑”だった。
――あるいは人を丸呑みできる、鎧の形をしたお化けか。
巨人の手のような腕部、ガントレット・マニピュレータと、空を舞うための脚甲型機動モジュール、フライトグリーヴ。
腰部から後方へと突き出すように配置されたサリア内燃魔道機関に、重力を魔力的にキャンセルする
大げさなまでに異様な鋼鉄の四肢が繋がるのは、バイタルガードと呼ばれる胴体部だ。搭乗者を守るための鎧。今は、お化けの口のようにぽっかりと……そこに納まるべき人間を待ちわびている。
この異形の全身甲冑は、人が纏って空を飛ぶための乗り物だった。
メタルと戦うために、魔術師が生み出した力。“貴族の責務”を形にした、魔導式
その量産モデル――俗に<ナイト>級と呼ばれる――を纏うと、ムジカは<ナイト>に機動を命じた。被ったヘルム型バイザー内に、機動シークエンスが瞬く。
サリア内燃魔導機関、イグニション。M・G・B・S始動。各種システム並びに駆動系チェック実行。バイタルガード、感応装甲ウェイクアップ。ライフサポートシステム、レディ――
と、不意に通信音声。ラウルの声だ。
『――ムジカ。いけるか?』
「厳しいな。各部モジュールのコンディションは平均してイエロー、一部レッド。リムのやつ、よくこれで動かせる状態にまで持ってけたな……オーバーホールしなきゃマズいのは事実だ。そろそろマジでダメになるぞ、コレ」
『その金があるなら苦労はしねえんだがなあ……』
まったくだ。だからこの空で傭兵をしている。
通信先で、景気づけのようにラウルが笑った。
『まあ、仕方ねえ。それよりいつものやっとくか――俺たちラウル傭兵団のモットーは!?』
「“ノブリス・オブリージュなんざクソ食らえ”――三人しかいねえのに団もクソもあるかよ。毎度言ってるけどよ」
『いいんだよ、こういうのはハッタリが大事なのさ。オーケイ、いつでも出れる準備はしとけよ!』
その言葉を最後に通信が切れ、格納庫には自分だけ。
暗闇の中で、独り笑った。
ノブリス・オブリージュなんざクソ食らえ。出撃の前に聞かされるお決まりのフレーズだが、これがムジカは嫌いではない。
誇りのため、使命のため、顔も見えない誰かのため――そんな“
――“ノーブル”とは違う。
「そうだ。ノブリス・オブリージュなんて……“顔も知らない誰かのために”なんて生き方、俺にはできない」
皮肉に頬を歪めたが、不思議と心はひりついた。
それを戦場に臨む武者震いだとごまかして、ムジカはただ時を待つ。
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