翔ぶ彼女たち

藤井弘司

第1話

 ※この小説は、暴風雨ガール~続・暴風雨ガールの続編です。


 寒さが最も厳しくなってきた二月の半ば、大阪府下の一件の企業調査を終えて事務所に戻ると、「生駒から手紙が届いています」と律子さんが言う。


 有希子の四十九日の法要の知らせが元義父から届いていた。


 手紙には二月二十五日の午前十時から生駒の有希子の実家で法要が行われ、そのあと墓地へ移動することになるとあった。

 元義父母や親族とは会いたくもなかったが、有希子が眠る墓地の所在を確かめておきたかったので参列しようと思った。


「奥様の四十九日ですか?」


「うん、一応お墓の場所を確認しておかないとね」


「岡田さん、可哀相」


「えっ?」


「奥様のこと愛してらっしゃったんでしょ?なのに別居を奥様の実家から無理強いされて、そして奥様、癌で亡くなったんだよね」


 いつものように律子さんは丁寧語とため口を混合して言った。


 彼女は有希子が亡くなってから、普段はそのことに触れないように気遣ってくれていたのだが、この日は手紙の送付元が生駒市だったので、元妻の実家からのものだと思ったのだろう。


「亡くなった時は奥さんじゃなかったけどね」


「じゃあ、もっと可哀相」


 律子さんは今にも泣きだしそうな表情になった。

 演技でも何でもなく、彼女は私に同情してくれているように思えた。


 律子さんの兄の件が片付いたあと、彼女の家族のことには私も触れずにいた。

 落ち着いたら美味しいものでも食べましょうと言ってくれた彼女の両親だったが、もうそんな配慮は不要である。

 人は変化して、そして少しずつでも前に進んでいけばいいのだ。


 真鈴は有希子の葬儀が行われた日の帰途に、辛さに耐えられなくなって私が連絡すると、受験勉強の追い込み時期にもかかわらず、待ち合わせた京阪電鉄京橋駅の改札口に一時間足らずで駆けつけてくれた。


 そして、そこからひと駅、大阪城公園駅まで歩き、公園に入って寒空の下、ベンチに座って公園内を散歩している数少ない人々や、遠くに揺るがず構えている大阪城天守閣をしばらく黙ってふたりで眺めた。


 十五分以上も経ってから、「奥さんのこと、辛かったんでしょ?」と真鈴は言った。


 有希子のことに触れられて、我慢をせずに気持ちを緩めてしまえる相手は、律子さんでは勿論なく、遠くで頑張っている関さんでもない。

 真鈴以外に自分の気持ちを吐きだせる相手はいなかった。


「辛かったら我慢しなくていいんだよ。公園にはほとんど人がいないんだから」


「うるさいなぁ、我慢なんかしていないって。ちょっときつかっただけだから」


 強がって吐いた言葉が終わらないうちに、自分でも驚くくらいに涙が一気にあふれ出てきた。

 真鈴の隣で私の目は大量の涙で曇り、遠くの天守閣がまたたく間にかすんでしまった。


 私は我慢できずに体を折り曲げて俯き、流れ出る涙で地面を濡らした。

 真鈴が私の背中を撫ぜながら、「泣きたいときは泣いて。私が辛いとき、私の涙をいっぱい見てくれたじゃない」と言った。


 二十歳も年齢差がある男女の関係で、女性の方からこのような慰めの言葉をもらえる男は、この広い世界でどれくらい存在するのだろう。

 真鈴とは今年もお互いに様々な局面で、励まし合ったり喜び合ったりして生きていくのだろう。


「私で少しは気持ちが落ち着くんだったら、いつだって連絡してくれていいよ。前に言ったように、光一は私にとってはヒーローなんだから、遠慮しないで」


「生意気なこと言いやがって。しょっちゅう電話してやるからな」


「いいよ、待ってる」


 真鈴は受験前だからそういうわけにはいかない。

 でも彼女の言葉はありがたく、そして嬉しかった。

 抱きたいと思ったが我慢して、周りに人がいないのを確かめてから深く長いキスを交わした。


「凄いキスだね。抱いて欲しくなる」


「無事に合格したら褒美に抱いてやるよ」


「何だよ、その言い方」


 有希子の葬儀が終わった日、死の淵でさ迷っているような感覚の私だったが、真鈴が駆けつけてくれたことでどうにか蘇生することができた。


 有希子が旅立ってしまったことは少しずつ消化していった。

 だが、いつまでも、そしてこの先もしばらく悔恨の念として残るのは、なぜ有希子のラストシーンを見てやれなかったのかということだった。


 元義父母へは他に何も求めるものはなかったが、そのことだけが許せなかった。


 私が金融業を破綻したことによって、有希子にたくさんの気苦労をさせたことは間違いないが、少なくとも私たちは愛し合っていた。

 子供は授からなかったが、私たちはいつかふたりの分身が欲しいという気持ちで一致していたのだ。


 今さら何を言ってもどうにもならないことなのだが、フトした時に元義父母への憎しみを感じ、それと同時に旅立ってしまった有希子への様々な思いにしばらく包まれて、私は居たたまれない気持ちになるのであった。

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