バスの中で(モブ視点)

 私は市立病院に勤めるしがない事務職員。毎日、人の途切れない一般外来で受付入力と受付票をファイルに挟む仕事をしている。まだ勤続二年目だけど、人間関係にはげっそりだ。正直、仕事したくない。バスにだって乗りたくない。夏は特に。


 今日も天気だけはいい。バス停で待つ間にハンカチはしっとりしてしまった。期待する十分の一の速さでバスが近づいてくる。

 はぁ、今日はお弁当作る時間なかったからお昼は購買のサンドウィッチかな。うちの病院もスタバとか入らないかな無理だよね。

 呪いにも似た気持ちのまま、私はバスに乗りこむ。


 ……良かった、今日もいる!

 私の定位置は一番後ろの角。私立病院はこの路線の終点、だから誰にも邪魔されないこの席をここ一年ずっと死守し続けている。

 ごとんとバスが大きく揺れて「次は」と聞き慣れた地名のアナウンスが流れた。スピードに乗り始めたバスは、山を下り切るまで当分停まらない。

 私はいつものように、そっと前の席をうかがった。

 んん? 先週よりも距離近くなってる……?

 夏休み前はそこに座っていなかった高校生カップル。いつの間にか毎日仲良く通学し始めたと思ったら、一週間別々になってまた一緒になって——。

 しかもまだ付き合ってないっぽいよね!

 なんとなくヨソヨソしい雰囲気。でも毎日隣に座って通学って青春かよ。田舎でガラガラ、まだたくさん席はあるのに絶対隣って。しかもこのパターンは男子の方が押してるけど、女子が分かってない感じするね。

 く、と声が漏れてしまい、慌てて咳払いする。

 変に振り向く人もなくてホッとして、また飽きもせず観察に戻る。


 あのさ今日さ、脚がさ、すっごい偶然を装ってくっついてない?

 間違いない。女子の方はしらっと単語帳を開いて勉強してるみたいだけど、男子よ、その膝に全集中かそうなんだな。

 わかる、わかるよ。思わず私は肯く。

 だって一週間だけだったけど、彼が一人でバスに乗っている期間は他人ながら心配してしまった。

 相手の女子はいないのに空席は誰にも座らせないとばかりの、トゲトゲしたオーラを隠しもしないで前だけ睨んでた。ケンカでもしたのか、それとも別れちゃったのかと気が気じゃなかった。きっと心配してたのは私だけじゃないと思う。

 ——バスに乗るとき、女子が座ってるどうかは見えないけど、彼の表情で分かっちゃうのがエモい。女子がいるのといないのとじゃ別人だよ、あんた。

 この前の月曜、段を登り切ったときの景色にどれだけ感動したか。良かったね、仲直りしたんだね。そして付き合ってなかったんだね、はよ告れ男子。


 私はもはや母のような気持ち(独身だが)で脳内で二人にエールを送る。

「商店街前」とアナウンスが流れて、男子が女子の頭の上からボタンを押す。バスが停りかけるといち早く立ち上がって、彼女の手首を掴む。

 手首っておい! 情緒がないな、早く手を繋いじゃえって!

 吊り革組を牽制するようにして男子は女子を引っ張り、私の視界から姿を消す。いや待て、まだだ。二人はバスを乗り換えるために——。

 あぁ……今日も手首離しちゃってる……。

 男子は歩調こそ合わせているが、バスの外で手を繋ぐのはまだ許されないらしい。もどかしい。


 ふう、まだまだ進展はないか。

 バスは二人を下ろすと、途端にノロノロと進み始める。もしかしたら、バスの運転手も私の同志かもしれない。いやむしろ二人っきりで乗ってるときのエモエピソードを知ってる可能性もある、侮れない。

 仲良くなっておくべきかも。


 くたびれた病院の四角い屋根が見えてきた。

 私は握ったままだったハンカチをバッグにしまって、代わりに定期を出した。

 仕方ない、一日頑張るか。

 名も知らぬ男子よ。明日の進展待ってるぞ。

 私は祈るような気持ちであの黒髪の後ろ姿を思い浮かべる。高校生の青春は儚い。自分の青春? 過去は振り返らない主義だからもう忘れた。

 でもなんとなく覚えてるのは——。

 あの子たちも、きっと一生懸命に生きてるんだろう。うまくいかないことに反発したり辛くなったりして。

 今ごろ二人は乗り換えただろうか。あっちのバスは大入りのはず。きっと、女子を座らせて自分は立ったままとか、誰にも触らせないようにガルガルしてるんだろう。見たい。

 知らずニヤけてしまう口元を隠しつつ、私は『降ります』を押した。

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