恋慕

コウゾウ

序章 たね

――本当の『好き』とはなんだろうか。人生において、心から人を愛する回数は数えられるほどしかない。――



「付き合ってください…!」

少年は、頬を赤らめながら視線をあちらこちらに落ち着きなく泳がせる。

「え?」

流行のベージュのボブヘアを揺らしながら、二ノ宮 すいは戸惑いながらも訊き返す。

「いや、だからさ、俺と付き合ってくれない?ってこと。」

不満気に表情を歪める少年を目の前にして驚きを隠せない。

彗はこの少年のことを、ただ同じ学校の学生であることしか知らない。唐突に友人伝手に呼び出された夕方の教室で、先輩なのか、同級生なのか。それすらもわからない。戸惑いながらも言葉を返す。

「でも、わたしあなたのこと何も知らない。第一、まだ入学してからひと月しか経ってないよ。」

今はまだ5月。つい先日高校生となり、まだ学校の勝手すらわからない。

「いやいや、みんなそんなもんでしょ!みんな彼氏彼女作ってるし、これからたくさん知っていけばいいんだよ。」

押し切るように畳みかける少年は手持無沙汰に前髪をいじりながら訴えかけるように言葉を発する。

「でも…あなたの名前も、学年も知らない。」

「…。」

返す言葉を必死に見つけようとしているが、何も返せなくなったその少年の不満気な表情はさらに強まり、哀しさも混ざった顔をする。

「ごめんなさい。お断りします。」

知りもしない相手への申し訳なさと、行き場のない恐怖を覚えながらもその場を足早に去った。

たしかには軒並み恋人を作っている。正直焦る瞬間だってある。

ハブかれたらどうしよう。そう考えてしまう一方で、どうしても全く知らない相手と付き合うことは想像すらできない。

今回は難しかっただけ。きっとどこかでまた機会があるはず。

そう思いながら過ごすことにした。


その後も夏にかけて、何度か似たようなことがあった。

『好きです。』『付き合ってください。』

そう言葉を吐き出すのはみんな決まって

(私の何を知ってるの?何をいいと思ってるんだろう、わたしなんかの。)

呼び出され、告白される回数を重ねるごとに相手の目と合わせられなくなり、ただただ当たり障りなく断ることに慣れていく自分に嫌悪感しか抱けなかった。


「スイさぁ、まだ彼氏いないんだぁ、」

ある日の昼休み、くすくすと嘲笑しながら自慢げに声をかけてきたのは汐里しおり。普段はモデルもしているようで、彗がよく購入する雑誌でも時折見かける。クラスの中心的な存在で、どういうわけか自分と一緒に過ごす時間が多い。正直馬鹿にされているように感じるが、汐里に言い返すような勇気は持っていない。それに、汐里と一緒にいられているからこそクラスに馴染めているような気がしていた。

「みんなもう恋人いるんだってぇ、スイはぁ?あ、でもモテないもんね。私はね、こないだもまた告白されちゃって、彼氏いるからフッたんだけどぉ・・・」

いつものことだった。

そのまま自慢気に話を続ける汐里に当たり障りなく相槌を返しながら、自分がこのままだと仲間外れになるのではないかと焦りを覚えていた。ぼんやりと食べかけの弁当を見つめながらも気付くと昔のことを思い返していた。



物心ついたころから周りの顔色がひどく気になる性分だった。

自分が好きなことや心が弾むことより、親の希望することを喜んで選択するようにし、期待にうように過ごしてきた。

まだ両手で年を数えられる頃、仲の良かった友人がいじめられるのを目の当たりにして、そうならないようにと自分を取り繕うようになった。自分がいじめられたら親はどう思うだろうか。

いつだって自分のことは後回し。誰かの期待に副えない自分になるのが怖くてたまらなかった。湧き出てくる恐怖のせいで、反発するのも怖くて言い返すわけでもなくじっと黙るようになってしまった。

中学でも、今の高校でも例外ではなく、どうにかしてハブかれないようにと最適解を探しながら毎日を過ごしている。


その中で”流行”に敏感になるのは彗にとって一つの処世術になっていた。

流行りにのっていれば大丈夫なはずだと最初は少し無理をしていたが、今では苦も無く情報をリサーチするようになっていた。

今の高校でも、入学してからまだ3か月ほどしか経っていないが、彗なりに今までのスキルを活かし暗黙の学内階級ではそこそこ上に居られるようになった。

そのおかげもあってかいじめられることもなく過ごしてこれているが、どこか息苦しく、どこか、不安で、何か、おかしい。何かが。

何がおかしいのか彗にはまったくわからず、ただただ毎日を過ごすしかなかった。

できるだけ平穏に、安全に。



ふと気付くと、みな昼食をとり終わり昼休みも終わろうとしていた。急いで広げていた弁当に蓋をして包み、授業の準備を始める。

汐里の言葉が気にかかって仕方ないが、自分からどうするかなんて手立ても思いつかず心がもやもやとしながらもその日は帰宅した。


7月の頭、またいつもの光景が目の前に広がった。

「二ノ宮さん、さ。もしよかったら、僕と付き合ってくれないかな。こ、恋人として。」

そう彗に投げかけるのは少し背が高く、くせっ毛でラフにくずれたマッシュヘアの少年、佐久間 星壱せいいちだった。緊張した面持ちでこちらを見る瞳は明るい茶色で左耳のピアスが二つ小さく輝いているのが印象的だ。

佐久間のことは知っていた。隣のクラスで、よく休み時間には彗のクラスに遊びに来ていたのを見かける。仲のいい友人でもいたのだろう。何度か彗が汐里と話している場に後ろに居たのも覚えている。汐里に話しかけられれば返答していたが特に自分から話すこともなく、その時は何故彼がそこにいるのかわからなかった。

今まではよく知らない相手ばかりが声をかけてきていたが、今回ばかりは違った。

汐里にもついこの間チクチクと刺されたばかりで焦燥感も強かった。それにどこかこの人なら、自分を変えてくれるのかもしれないと根拠のない淡い期待で言葉が口をついて出た。

「いいよ。佐久間くんだよね、よろしくお願いします。」

取り繕った笑顔で答えてしまったが、彼を何となく知っているだけで好きでもなんでもない。でもその事実を知っているのは彗本人しかいない。

「ホントに?!いいの??よかったぁ、よろしくね!」

手を胸に当て、浮かべる無邪気な笑顔に胸が痛んだ。

心の中で今までに経験したことのない罪悪感が込みあがり、同時に彗には人生で初めての恋人ができたのだ。

本当ならこれからどうしよう、何をしよう、と期待に心を躍らせるだろう。しかし彗の心には"みんなと一緒"になったことへの安心感の方が大きい反面、自分に嫌気がさす一方だった。

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