『魔物に思いは遂げさせない』

 メリルはグリノールズに手を引かれながら王宮の使用人通路を進んでいた。王宮の裏手に出られる場所へ、ミゼルに会わないように歩いていく。

 通路の反対側から此方へ向かってくる背の高い人影が、メリルとグリノールズを認めるとゆっくりと近づいてくる。バラの花冠を彷彿とさせる美しい赤髪は、スカーレットのものである。メリルはグリノールズの手を離し、スカーレットに駆け寄った。


「姉さん!」「ハークネス中将! どちらへ行かれていたのです?」


 グリノールズがミゼルのことを伝えようとすると、すでにこの事変を知っていたらしいスカーレットはやんわりとグリノールズを制した。


「ミゼルのことなら聞いたよ、軍に顔を出していて遅くなった……すまない」

「軍ということは……クロード少将が何かしかけたのですか?」


 スカーレットは重々しく頷いた。赤い瞳に苦いものがかすめ去る。


「ミゼルが私を慕う軍の幹部たちに働きかけて、国民を扇動している……王宮前にひとが集まりはじめた」

「何てことだ」

「ミゼルが父親のクロード卿を殺害したことは軍に伝えた。ミゼルに従わないように指示を出したけれど……」


 メリルは黙して、スカーレットとグリノールズのやりとりを聞いていた。スカーレットこそ王にふさわしいという気持ちは未だ凍てついたままであったが、心を裂く逆棘のついた想いを飲み込んで、メリルはスカーレットの軍服のそでに触れた。


「姉さん……一つ、お訊きしたいことがあるの」


 長い睫毛を伏せがちに乾いた唇を噛んだスカーレットに、メリルは問うた。ずっと疑問に思っていたことがあったのだ。メリルには、スカーレットとバフォメットの関係に、未だ解せないところがある。

 血を暴かれて以来、スカーレットはバフォメットへの態度を硬化させている。誰の見方もしないバフォメットが唯一人後ろ盾となることを選んだスカーレット。メリルはスカーレットが、バフォメットという稀有な味方を得た経緯を知らない。まして次の王に推してくれる協力者を遠ざける、姉の思うところが分からない。


「姉さんはどうして、首席執政官に反抗するの? あの方からの支持は、祝福のようなものなのに」

「バフォメットは私が幼い頃から先帝……アルフレッドよりも父以上の存在で、私を守ってくれていた。よき相談相手だった」


 スカーレットの赤い瞳に暗い光が差し込んだ。仄暗い灯りは、言祝がれることのなかったスカーレットの幼少を照らしている……


「だが今のバフォメットは私に〝愛している〟と言いながら、その愛はもはや私以上のものにまで及んでいる。娘のようにみてくれていた私に向けるより大きい、国への愛を私に夢見ながら……それでいて個人的な感情が混ざった目で、私を見つめる」

「国への、愛……?」


 よく分からなくて、メリルは眉を寄せた。


「親以上に親でいてくれたバフォメットには感謝している……でも今の私は、バフォメットを殺す覚悟でいる。奴は国を、玩具にしているのだから」


 短く語ったスカーレットの悲しさと悲痛を混ぜた表情に、メリルは影のバフォメットを見た気持ちになる。


「姉さん、探しましょう……この国の未来を。わたくしは姉さんを守るし、わたくしと姉さんの手で、あの方から国を取り返すのよ」

「メリル……」

「姉さんも、わたくしと同じことを考えて、悩んだと思うの」


 スカーレットは切れ長の赤い目を大きく開いた。懊悩の残り香が漂白する瞳に影の残滓が、悲しげな笑みに溶けてほどけてゆく。

 メリルはグリノールズの方を見やってから、スカーレットを仰いだ。涙の匂いが晴れた美貌からは、あどけなさが遠く霞んでいる。


「わたくしたち姉妹が美しくなった国を統べる方法は必ずある……わたくしと姉さんの、何一つだって犠牲にはさせない」


 スカーレットは力強く口角を上げた。自分たちの現状は窮しているが、それを感じさせない口調で呟く。


「君の言う通りだ、メリル。私たちが手を取り合っていける未来を見つければ──バフォメットの想いを遂げさせることはない」

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