『悲しいくらいあなたは正しい』
親帝国派の集会に不吉な一報が飛び込んだ。次席執政官クロードの派閥が何者かによって殲滅されたという知らせは、メリルとグリノールズ並びにメリルの支持者を驚愕させた。落ち着いて進行していた話がざわめきに変わっていく。
伝令の兵士から話を聞くグリノールズが険しい表情で呟く。
「クロード卿を含めた派閥の全員が殺された……」
グリノールズはすぐに隣のメリルを見やった。メリルは危機感以上に複雑を噛むような表情でグリノールズを見据える。
「殿下、散会に致しましょう。ローランド大将を呼んで安全の確保を。賊はまだ宮殿の中にいるはずです」
メリルは頷いて、グリノールズからの提案を伝令に預ける。ダズマールの元へと発った兵士の背中を見送って、一同に散会を告げた。
「本日は閉会にします。ローランド大将が到着次第、此処を出ましょう」
少し収まったざわめきの中で、メリルは唇を噛み締めていた。事情を知るグリノールズが此方を見つめてくる視線に気づきつつも、一つの呆気ない幕引きを喜ぶべきではないと思ったのだ。
グリノールズは異母姉ロックハーティアがクロードと手を組んでいたことも、王家を廃そうとする反王家勢力の正体がクロードの派閥であることを知っている。メリルは周りに聞こえないように声を抑えて言った。
「次席執政官一派――反王家を潰すことを目的とした犯行だとしたら親帝国の何者かが犯人と考えられるけれど……そもそもわたくしたちの支持者はクロード卿の正体はおろか反王家の存在さえ知りません。反王家の存在を知るのはわたくしと姉、ローランド大将とクロード少将、グリノールズ公子……そして首席執政官……」
グリノールズは眉間を青くした。
「まさか首席執政官が動き出したのでは」
「動ける状態ではありませんわ。それにあの方は派閥を持たない。傘下の部下に命じることも考えなれない」
「……異母姉と次席執政官の結託は、我が公国でも公表していません。異母姉がぼくを隠していたことは明かしましたが……クロード卿を手にかけるような存在が此方(公国)にいるとは考え難い」
「では一体誰が」
メリルは額を押さえた。敵の思いがけない終焉に不安と、嫌な予感が蟠(わだかま)っていく。
議場の扉が荒々しく開いたのはそのときであった。現れたのはミゼル一人、ダズマールの姿はない。
ダズマールが先にミゼルを此処へ向かわせた――振り向いたこの場の誰もが、そう思った。メリル、ただ一人を除いて。
場内に歩を進めるミゼルの姿を認めた瞬間、メリルの背筋に冷たい衝撃が走った。心臓が痛むような予感の正体を、メリルは知っていた――味方ではない敵意が、此方を見ている。
ミゼルは負傷していた。ミゼルが手負いである気づいた者が徐々に増えていく中に、奇妙な不審感が募り出す。だが得体の知れないものが何なのか、メリルにも分からない。
言葉もなくミゼルが銃を構える。疲弊した影の落ちる端正な顔を引きつらせているのは、怒りに違いなかった。メリルは自分の盾になろうとしたグリノールズを制して、静かに、ミゼルの銃口と悽愴な表情を見つめた。
「……何のつもりですの、クロード少将?」
「親父が殺された、王女派を名乗る賊に!」
親帝国メリル派の仲間たちはミゼルの咆哮に動揺する。ざわめきが起こる中でミゼルは訴え続ける。血が噴くような震える言葉と共に細められた目には涙が浮かんでいる。
「何のつもりだ、次席を殺して権力を集めるつもりだったのか……?」
一人の貴族がメリル同様に奇妙な不審を覚えたらしい。激昂するミゼルに、確かめるように進言する。
「クロード少将、何を仰っているのです? クロード卿も我々も、王家に仕える者同士では」
「黙れ!」
投げかけられた疑問も空しく、進言した貴族の頭は弾丸の餌となった。貴族たちが悲鳴を上げる。ミゼルの銃口が噴く硝煙と同じくらい焼灼された息を、噛み締めた歯列からこぼしている。
引き金を引いた手は銃把を握って震えている。研ぎ澄まされた憎悪が、メリルを射抜く──
「殿下、伏せてください!」
ミゼルの視線に宿る毒めいた光に見据えられて、メリルは射すくめられていた。グリノールズの声が鼓膜に触れたのかさえ、遠のく意識が霞んでいて曖昧であった。
ばらばらと足音が続き、乱入してきた兵士たちが一斉に発砲し、大きすぎる轟音に何も聞こえなくなる。目を見開いたままのメリルをグリノールズが庇う。硝煙の中でもつれ合いながら倒れたメリルとグリノールズの上を、驟雨のような弾雨が過ぎていく。目を閉じることができなかったメリルの視界に、飛び散る肉片と血飛沫、そして断末魔の叫びが焼け残る――
グリノールズは片腕に銃創を作りながらもメリルの無事を確かめて、呆然としているメリルに進言した。
「殿下、今すぐ此処から……」
メリルは煤けたドレスを顧みる暇もなく、グリノールズに手を貸されて立ち上がる。
しかしその二人の前にミゼルが立ち塞がった。血煙を浴びたシャンデリアの光を背負うミゼルの顔は逆光で暗い。それでも鋭い両目は白々と不気味に輝いて、目障りなものに向けるような目線がメリルの存在を許していないという意思を放っていた。
「ミゼル、やめろ!」
ミゼルが何かを重々しく呟こうとするように口を開いた。だがそこへ、息急き切ってダズマールが議場へ飛び込む。ミゼルはダズマールを顧みた。
「先輩……」
ダズマールはこの惨状について何か知っている風情であった。眉間に深い皺を刻んで、ミゼルを見据える。
「こんなことをして、お前はどうなる」
メリルはミゼルの行動に違和感を覚えていたが、この軋轢の正体が見えなくて、行動の理由が報復ということを解せない。ダズマールの台詞がミゼルの何を諭しているのか――メリルは固唾を飲んだ。
ミゼルは変わらず、憎しみに灼(や)かれ溺れたままの口ぶりでいた。
「止めないでください、オレは親父の仇を」
「お前が父親のために復讐するだと……そんな理由でおれが納得するとでも思っているのか?」
ダズマールの言葉に、ミゼルの表情が固まった。ひび割れる衝撃を受けた、崩れる前の陶器にも似た、内側の痙攣があった。ミゼルは何か言おうと口を二、三度動かして、結局何も言わなかった。砕けた装いは倒れずに佇んだままであるが、ミゼルの静かな周章をダズマールは見透かしている。
ダズマールはじりじりとミゼルとの距離を詰めながら続けた。
「クロード秘書官が証言している」
ミゼルの片眉が不快げに持ち上がる。瞳に走った光が、嫌悪に淀む。
「ミゼル、お前がクロード次席執政官とその仲間を殺した、と」
クロード秘書官――異母兄の名を聞いて、ミゼルは笑った。今までの切迫が全て偽りであったことを明かすような笑声が、暗い呪詛を囁く。
「何だ……あの野郎、まだ生きてたんだ」
「お前を呪いながら、息を引き取った」
立ち込めた沈黙をミゼルは声なく笑っていた。メリルは声を出せなかった。グリノールズに支えらて、ミゼルを遠く信じがたいもののように見ることしかできなかった。メリルの中で蟠っていた思い――ミゼルが父クロードの悪事を知りながらも父の敵討ちを宣言した辻褄の合わぬ行為に対して抱いた不審は、今は恐怖に変わっていた。ミゼルは父親と異母兄を、手にかけたのだ。
「目的は何だ」
黙って笑みを滴らせるミゼルを、ダズマールが問い詰める。ミゼルは質問には応えず、ダズマールの内側を透かし見るように呟く。俯きがちの顔、三白眼が生気のない視線を投げかける。
「あんたも中将を王にしたいはずだ」
「おれはメリル殿下を推す」
「……先輩の優等生ぶりには参りますよ、今にはじまったことじゃないけど」
「それがスカーレットの意思だからだ」
ミゼルはもう笑っていない。限りない無表情でありながら、苦いものを噛むような沈黙を持つ。
ダズマールは毅然として言い放った。
「おれはスカーレットを愛している」
ミゼルの眼球が、地割れを起こしたように血走った。内に亀裂が入ってしまったように脆く、想いがぱらぱらと塵を吹く音が聞こえてくるような一幕ののち、ダズマールは凄まずに強く声を継いだ。
「だから、スカーレットの意思を、尊重する」
ミゼルはわずかにふらついたが、血まみれの絨毯を踏みしめて留まった。ぎろりとダズマールを見やるが、その瞳には光が朧ろに歪み漂っていた。
「お前はスカーレットを血まみれの玉座に縛り付けるつもりか。髑髏の冠を捧げるつもりか」
「……」
「お前のしたことは間違ってる」
「……羨ましいよ、ローランド大将」
ミゼルは仄暗い目元を病的に軋ませて、低い声で呟いた。
「あんたは……綺麗事、ばかり……」
浮き彫りになる立場の違いよりも、ダズマールの強さを感じているらしいミゼルの声音は、己を憐れむような気色が含まれている。
「ミゼル、銃を捨てるんだ」
ミゼルは渋るように静けさを噛み込んで、銃を捨てた。それを見計らって、グリノールズがメリルに退出を促す。
「殿下、走って!」
メリルはグリノールズに手を引かれて血まみれの議場を駆け抜ける。メリルは心中の痛みに引かれて振り返ったが、俯いたミゼルは舌打ち一つしなかった。
部下たちはミゼルの指示がないと動こうとしなかった。ぼろぼろの制服はダズマールもよく知る部隊のために作られたものである。
「その制服……四年前の戦で壊滅したスカーレットの部隊が着ていたものだな。どういうことか話してもらおうか」
ミゼルは観念したように溜め息をついた。投降の姿勢をとった──かに見えてだらりと下げた右そでから、何かがずるりと滑り落ちる。次瞬、ミゼルの手の中には銃があった。そでの中に銃を仕込んでいたのだ。
ミゼルは歯を食いしばって引き金を引いた。弾丸はダズマールの右胸を貫くが、連続発射できるはずの銃であるにも拘らず、ミゼルはそれ以上撃たなかった。胸に風穴を開けられて、ダズマールは膝をついた。俄かに青ざめた顔でミゼルを見上げる。
「おれを殺しても……殿下の、お命、は」
「頼むから、もう何も言わないでください」
聞きたくないのは一体誰の声なのか、苦い自問がミゼルを板挟みにしていた。自分は強くないのだと、ダズマールを見ていると思い知らされるのだ。虚ろなのは自分だ。そして現実はダズマールの方なのだ。羨ましく思うのは、自分が弱くて誤っているから──そこから先を考えるのは、ミゼルにはあまりにも酷すぎた。
「あんたがいつも正しいことくらい……知ってる」
自らの無様を見せつけられているようで、ミゼルは駆り立てられるように踵を巡らせていた。
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