『宮廷悪魔』

 きらびやかな金の装飾を施された屋根のない馬車に乗って、メリルは国民たちに手を振っていた。中将スカーレットを随行させて、やまない輝きに満ちた自らの名前を浴び、民衆に微笑む。

 パレードの様子をアルフレッド王はひとのいなくなったバルコニーから見つめていた。その側には黒いマントに赤い薔薇のコサージュをつけた、無造作な長い黒髪を伸ばした男が立っている。灰色の瞳をした垂れ気味の目には独特の温かみが一切なかった。不揃いな丈の長い髪は自分のことにあまり頓着していない証拠とも言っていいが、マントの襟には執政官の位を示す勲章が鈍く光っている。

 王の臣下の最上位である執政官、その中で王の大側近の座を占有する首席執政官〝宮廷悪魔〟ことバフォメットである。侍医たちが王の周りでなにやら動き回って作業を終えて退出すると、王に並んでバルコニーからパレードを見物していた。仄暗い視線の中にいるのは、しかし、メリルではなく赤髪を結わいた女将校の方である。


「……姫が十六歳の誕生日は、このように華やかな催事はありませんでしたな」


 あてつけの独り言に、アルフレッドは反論しなかった。信頼よりも強固な時間という権力が、バフォメットを臣下でありながら王の片腕以上の存在にしていたのである。メリルと、その傍にいるスカーレットを見やって、アルフレッドは悲しみのために目を細めていた。その腕には点滴の針が沈んでいて、管が懐の中に隠された薬液の袋につながっている。

 身体が弱ると心も弱るからか、アルフレッドは自分の横暴でつくられた喝采の中の光と日陰に、何年も昔の己を、最早どうにもできない自分を責めていた。


「バフォメット」

「何でしょう、陛下」

「……そなたは、余から王位を奪おうとは思わないのか?」

「陛下にしては愚かなことをお尋ねになりますな」


 バフォメットは落下防止の柵に身を寄せて嘆息した。目だけはスカーレットを追っていて、他のあらゆる物事に関心がない風情である。


「王位など、臣にとっては何の価値もないものです。そして王族ではない臣は王位を狙う資格がなく、そのような戦の駒にはなれません」

「ですが、玉座に座る者と国という生き物の生き死にを見守るのは楽しい……ゆえに駒になる資格を持たない臣は〝場の支配者〟としてのらくらとさせていただいております。臣には時だけがありますゆえ、歴代の王たちに何度同じことを申し上げたか……」

「確かに……愚問だったな」


 アルフレッドは民に手を振って微笑むメリルと、その傍で哨戒の姿勢を一分も崩さないスカーレットの二人を、遠いもののように見つめた。


「戦にかまけているうちに娘との接し方も分からなくなってしまうとはな……思えばメリルとさえ、親子らしい話をしたことがあったかどうか……」


 アルフレッドは消え入るように台詞を結び、努めて話題を変えるように傍らの寵臣に問うた。


「バフォメット、次の君主は誰になる?」

 バフォメットは黙っている。アルフレッドにとって意味のある沈黙であった。

「余が生まれて間もなく王太子として挙げてくれたそなただ……余の望む未来を、望む者に光を見出してくれると信じている」

「……臣は陛下の予想にも期待にも、応えられないでしょう」

「どういうことだ?」


 バフォメットははじめてメリルを、愛らしい王女を目の端に置いた。昏(く)い灰色の瞳が、無機質に温かみを欠いて、蔑むような光を称える。

 絵に描いたような愛らしい王女、蝶よ花よと育てられた純真、美しい気位、頭角を見せはじめた政治家としての一面――生まれ持った、或いは学び培った高い能力を、バフォメットはまるで最初から全てメリルの持ち物でなかったように一蹴した。


「臣は殿下を推すことは致しません」


 明日の天気を訊かれたような口調で返された言葉は、王の心に重く響いた。

 バフォメットは階下の華やかなパレードの主役を一片の興味さえ含まない視線で見下ろしたまま呟いた。


「臣の見立てを盲信する必要はないですが、メリル殿下ではないことは確かです」

「馬鹿な、メリルは次期君主になるべき王女、それをお前は」

「争いの種をまいたのは陛下、貴方の横暴だ」


 バフォメットは窘めるように言った。のらくらとしていた言葉が、次第に強くなっていく。


「次期君主が決まるときは必ず荒れる……エリク公国の併合を決めたときから、二十年近く昔から分かっていたこと」


 アルフレッドはまたしても言葉をのんだ。バフォメットの話に耳が痛む思いで黙り込む。バフォメットは意味深ではあったが、聡慧は過ぎて諦観を舌先に乗せているだけで、別段責めるわけでもない。過去を顧みて、王の暴挙と言っても穿ちすぎでない事柄を、淡々と詩を読むような口調で挙げながら、重臣なりに非力を嘆く。


「エリク公国との戦後講和で陛下の姉君を人質として降嫁させることも、陛下が自分の離縁のためだけに改宗し国教そのものを変えると仰ったときも臣は反対致しました。その結果が今、ゆえに臣はもう何も上申致しませぬ……ご静養を推奨しておきます」


 アルフレッドは咳き込んだ。口を押さえた手のひらは、生血で塗られていた。

 メリルを称える国民の声を、遠い歓声を霞ませて、アルフレッドはバフォメットを見た。バフォメットは力なく笑った。

 一体自分はどんなに弱々しい顔をしていたのかと、アルフレッドは血糊のついた手を見つめたのであった。寵臣であれ臣下の発言に惑い迷うような隙間を見つけて、この戦には勝てないのだと、皇帝の名に赦されもせず、何も考えられなくなるのであった。


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