14 スクランブル交差点にて/柵を越える黒ヤギ

 

 カヅヤが大きなスクランブル交差点の真ん中に立っている。

 空から降り続く雨は、まるでそれがガソリンであるかのように街をより燃やし続けている。

 ビルの壁に取りつけられた複数の大型ビジョンにニュース映像が流れている。〈ニュースキャスター〉自身がキューを出して連続殺人事件の被害者達を写真付きで次々と映し出している。

『〈警官〉ミウラケンジ、〈弁護士〉テラシマエイサク、〈食堂のオヤジ〉カナムラテツオ、〈メイド〉ツムラマミコ、〈客引き〉ヨシノノブユキ、〈占いババア〉シマダユキエ、〈探偵〉キミシマユウスケ』

 映像が切り替わり、交差点のカヅヤが映し出される。そこには白抜きで〈犯人〉の文字。交差点の真ん中のカヅヤも、それを囲む巨大なカヅヤ達も一斉に苦笑いしている。

「〈先生〉なんだろ? 意地悪だな、最初から知ってたんだろ?」

 カヅヤが虚空に向かって話す。

「そうだよ、僕が殺したんだ。みんな余計なことを知りすぎた」

 大型ビジョンでは再び変わった映像の中で〈ニュースキャスター〉がゾンビに襲われている。交差点のカヅヤに向かっても、通りという通りから合流した数千のゾンビが歩を進めている。

「分かるだろ? 僕たちはもう終わりなんだ。だからお願いだ、残った君らはあいつらにもう何も言わないでくれ。全ては〈殺し屋〉の仕業でいいじゃないか。それで全てうまくいくんだ。最後ぐらい僕のわがままを聞いてくれ!」

 カヅヤは涙を流している。

「聞いてるんだろ? おい〈先生〉さんよ、何か答えろよ! 何か言えって!」



「どうして──どうして助けないんですか!」

 狭い部屋の壁一面に並んだテレビモニターがそこで一斉に消される。キョウコは彼が画面に映った時から訴え続けるが、誰も何も答えない。キョウコは助けに行きたかったが、初めて見る場所でそこがどこだか分からない。助ける手段もない。

 キョウコは壁際のソファにゆっくりと腰を下ろした。自分の中から言葉が出てくるまで時間がかかった。

「どういうことなんですか? 彼は〈探偵〉じゃなかったんですか?」

 キョウコは電動ベッドに体を横たえている〈先生〉を見て聞いた。〈先生〉は生まれた時から首から下を動かすことができない。〈先生〉が動かすことが出来るのは口と瞳だけだった。

「彼は〈探偵〉やないですわ。〈探偵〉はんと長い間一緒に仕事した〈情報屋〉のわいが言うんやから間違いない」

〈先生〉の代わりに答えたのはベッド横に立つキーボーという変な言葉使いの男性だった。彼がキョウコをあのゾンビの群れから助けてくれた。秘密の地下道を使って助けてくれた。彼はカヅヤとよく似た黒いレインコートを着て現れ、キョウコはカヅヤが戻ってきたと勘違いしかけたが、その話し方ですぐに別人だと分かった。キーボーによると〈探偵〉も〈情報屋〉も仕事柄、目立った格好をしてはいけないそうだ。そんなことを言うからキョウコは今の今までカヅヤを〈探偵〉だと思いこんでいた。

「それじゃ彼──カヅヤは何なんですか?」

「カヅヤ君は本物の〈探偵〉を殺して名前だけの〈探偵〉に成り代わったんですわ。そのほうが彼がこれからやろうとすることに都合がよかったんやろね。だからカヅヤ君は最初にそうしたんですわ。で、本当のカヅヤ君はいうと──」

 キーボーがそこで言葉を止め〈先生〉を見た。〈先生〉は何かを祈るように一度目を閉じた。

「彼の人格は〈生贄〉だよ」

〈先生〉が口だけを動かして言った。

「〈生贄〉?」

 バカなキョウコでもその言葉も意味も知っていた。難しいというほどの言葉ではない。でもその言葉を持った仲間というのが想像出来なかった。

「彼は現実で暴力が振るわれた時に身代わりになる人格だった。彼はずっと我々の暗部でありその性質上、他の人格と交わることはなかった。彼は暴力を受けると自動的に出現し我々を救っていたんだ」

「それじゃあ、カズヤはこれまでずっと痛みだけを受け続けて──」

 カヅヤがこれまで過ごしてきた時を思いキョウコは言葉を失う。

「──だからカヅヤは殺したんですか? 〈客引き〉のヨシノさんや〈食堂のオヤジ〉のカナムラさんや〈占いババア〉のユキエさんを殺したんですか? あれは復讐だったんですか? でも私には彼はそんな悪い人に見えないんです。彼は私を助けてくれました。彼は悪い人じゃありません」

「そうだ、君が思っているとおり彼は悪くない。悪い男じゃない。悪いのは私達だ。カヅヤ君だけでなく、君にも我々は多大な苦痛を与えてしまっている。君達には感謝しかない。そして謝らなくてはならない」

〈先生〉は再び目を閉じ、キーボーは頭を下げた。

「じゃあどうして? どうして彼はそんなことを?」

「それはちょっとした運命の悪戯のようなものだったんだ。運命なんて私らしくない抽象的な表現に頼ったのは私にもそのきっかけや理由が分からないからなんだが、いつもは暴力を受けた時にだけ現実に浮上する彼が、通常の状態の彼女、つまり暴力的な行為を全く受けていない状態の彼女の意識に現れた。初めて接する暴力なき世界、そこでまた運命が悪戯した。彼はそこで恋をしたんだ。生まれて初めての恋をした。本当の恋をした。しかしその恋の先にあるのは破滅だった。彼はその事実を受け止めたが、恋をした相手が死んでしまうことは認められなかった。彼は恋をした相手を守るために、我々を殺していった。消去させていった。そうするしか恋をした相手を守る手段がなかったんだ」

〈先生〉は一息にそこまで話し、苦しそうに速く浅い呼吸を繰り返した。キーボーが酸素マスクのようなものを〈先生〉の口にあてる。

 セックスは分かるのにキョウコには〈先生〉が言った恋や愛などの観念がよく分からなかった。でも、ずっと孤独だったカヅヤがやっと見つけた大切なことっていうのは分かる。大切な人なんだっていうことも分かる。

 でも、なんだろう? このもやもやした気持ち──。

「その相手って?」

 本当はそんなことが聞きたいのか、聞きたくないのか分からない。

 呼吸が落ち着いた〈先生〉はキーボーが差し出したストロー付のコップで水を飲んだ。

「君の知っている人物だよ。いずれ知ることになる」

 強く聞けば二人のどちらかは教えてくれるかもしれない。でも今はこのままでいい。

「さっき君はどうして彼を助けないか聞いただろ?」

 キョウコは二人を睨むように肯く。

「本当は我々も彼を生かしておきたかった。ひどい話だが、我々の代わりに苦痛を受け入れてくれる〈生贄〉は彼しかいないんだ。彼が消した他の人格よりも必要だ。だからこれまでは彼がいくらこの街で殺人=消去という普段なら許されない行為を繰り返しても我々は監視するだけで彼に干渉しなかった。しかし彼の目的を知ってしまった以上、我々は彼をもう放置しておくことは出来なくなった。問題は我々の事だけではない。〈彼女〉の存在が危なくなってしまう。現実の中で彼女の命が奪われてしまう。〈先生〉と呼ばれる私の役割は君達に知識を与えるだけではないんだ。その知識を駆使して彼女を、そして〈彼女〉を守ることにある」

 〈先生〉はまた息が苦しくなったが、キーボーが差し出した酸素マスクを拒否した。

「でも彼、カズヤが言ったように私達はもうダメなんじゃないんですか? だって私達を生み出した〈彼女〉はもう──」

 キーボーの話によると彼が助けに行ったときには〈彼女〉はもう病院になだれ込んだゾンビによってその身を引き裂かれていた。〈先生〉もこの部屋のテレビでそれを確認したと言っていた。

「確かに主人格の〈彼女〉はもういない。でも我々にはまだ君がいる」

「私? 私がいたからどうだっていうんですか? 私はただの〈売春婦〉ですよ。セックスすることしか出来ないんですよ」

「私が見るに、君は〈彼女〉と共通点が多い。もしくは彼女の一部が君の中にも存在している。本来なら主人格の〈彼女〉が死んだ時点で我々全てが消滅していなければならない。でも我々はまだこうして存在している」

 キョウコは病院の〈彼女〉を訪問することを習慣にしていた。みんなはいつも怒ったような顔をして何も話さない〈彼女〉を感じが悪いだとか、エラそうだとか言って敬遠していたが、キョウコは〈彼女〉のそんなところまで含めて好きだった。なんとなく〈彼女〉が妹っていうものだったらいいのになと思ったこともある。だからって──。

「さぁ、君は向こうに行くんだ」

 再び壁一面のテレビモニターが点いた。それにはこのアパルトマンの玄関を打ち破ろうとするゾンビの群れが映っていた。

「私が分析したところゾンビの正体はおそらく〈彼女〉に投与されたリシンという毒物だ。トウゴマという植物の種子から抽出される。それをあの朝比奈という医者崩れに伝えるんだ。君だけは間に合うかもしれない」

 ゾンビが毒って? 何それ? キョウコは分からないことが多すぎてパニックを起こしかけていた。

「さぁ、早く」

 下の階からドスンという大きな音がした。テレビモニターには壊れた玄関に殺到するゾンビが映っている。キョウコは二人を見る。

「それじゃ、それじゃあなた達はどうするんですか?」

 そんなことあらためてキョウコが聞かなくても分かりきっていることだった。

「わいは〈先生〉とここに残りますわ。〈探偵〉はんがおらんようになった以上、わいの役割はもう〈先生〉を守ることだけです。同情はよろしいでっせ。向こうに行ってもわいはどうもあのスカートっちゅうのが苦手であきまへんねん。何かスースーしまっしゃろ?」

 キーボーはそう言うと何か思い出したように急に手を打った。

「そうや、大切なことを忘れてた。これをあんたにもろてもらわなあかん。〈彼女〉が最後まで大切にしとったもんや。ゾンビになる直前まで抱いとったんやで。あんたに持っといてもらうと〈彼女〉も喜ぶわ」

 キーボーが棚の上に置いていたぬいぐるみを手に取ってキョウコに手渡した。それは〈彼女〉がいつも側において大切にしていたウサギのぬいぐるみだった。

「元気でな」

「ほな、お達者で」

 キーボーが満面の笑みでキョウコに手を振り、〈先生〉は動くはずのない首をわずかに曲げてくれた。

 キョウコは泣き出しそうになるのを我慢して目をギュッと閉じた。そこからゆっくりと柵を越える黒ヤギを数えていく。牧場を逃げ出した黒ヤギはゆうに三十匹は過ぎようとし、そして訪れるのは眠りではない──。

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