2 雨の歓楽街を探偵する


『あんちゃんが〈探偵〉? 〈探偵〉なんて会うの初めてだけど、なんか想像していたのと違うなぁ。俺が思うに〈探偵〉ってのはさ、こうよれよれのトレンチコートなんか着て、シケモク吸って、いつも眉間に皺寄せて、なんちゅうかもっと渋い感じだと思ってたよ。でも、外見で人を判断しちゃいけねえな。俺の店もこんな感じで小汚なくて客もいねえが、味は高級店にだって負けねえと思ってる。まぁがんばりな、チャーシューおまけしといてやるよ』

 五分前に〈食堂のオヤジ〉と交わした会話。店主の〈探偵〉に対するイメージもどうかと思うが、それでもカヅヤは自分が〈探偵〉らしくないことは自覚していた。では〈探偵〉らしさとは何かと考えると、なかなか自分の中にうまい答が見つからない。そもそも〈探偵〉とは目立ってはいけない裏方の職業だと言われる。だからモデルがない。それならと映画やドラマの〈探偵〉を真似ようとすると逆に怪しさが増してしまうように思う。そういうわけで特に演出めいたことはしていない。〈探偵〉はそう名乗った時から〈探偵〉だ。だからこのラーメンの上に乗っているチャーシューも、どこか豚っぽくない獣っぽい味だったが、店主がチャーシューというならチャーシューなのだろう。味がいいなら問題ない。

 ラーメンのスープを飲み干していると、壁にずらっと並んだメニューの隣にある油まみれのブラウン管のテレビでちょうどニュースが始まった。トップニュースは小難しい政治の話で、続くニュースがこの〈街〉で連続して起こっている殺人事件だった。ついに組長の件が嗅ぎつけられたかと思ったが、まだあいつらはうまく隠せてるようだ。受信不良のノイズで揺れるニュースキャスターは新たな被害者を伝えている。名前は『寺島英作』、漢字ではこう書くらしい。彼は〈弁護士〉だ。確認するまでもなくカヅヤは彼を、テラシマエイサクを知っていた。カヅヤは舌打ちする。昨日会ったばかりだった。早すぎる。

「ごちそうさま」

 カヅヤは立ち上がり空っぽのがらんとした厨房に声をかけた。〈食堂のおやじ〉の言うとおり、店はお世辞にもきれいといえない有様だったが、味は化学調味料など使わない本格派だった。そしてどこか懐かしい味だった。伝わらなくても、声はかけておきたかった。



 生温かく細かい蒸気のような雨が降っている。この辺りの賑やかさは事件が続いても変わらない。カヅヤは表情のない人々の間を縫って目的の人物を探した。〈食堂のオヤジ〉の言ったことを信用するなら、そろそろ見つかるころだ。

「お兄さん、お兄さん、どう? かわいい女の子いるよ、遊んでいかない?」

 背後から肩を叩かれ、カヅヤは振り向いた。振り向いてすぐ、この蝶ネクタイが目的の男だと分かった。盛りすぎのリーゼント、カッターナイフで切ったような細い両目、前歯も二本欠けている。〈食堂のオヤジ〉カナムラテツオに聞いたとおり、こいつが〈客引き〉ヨシノノブユキだ。

「あれ? 前にも声かけたことあったっけ?」

 こういうタイプの男をうれしそうに見回す奴はあまりいないのだろう。カヅヤは一度肩をすくめてから首を横に振った。

「まぁいいや、それよりお兄さんはどういうプレイがお好み? 俺の紹介する女は何だってオッケーだよ。道具だってお兄さんの好きなの使っていいし、どんな命令でもしてくれていいよ。痛いのだって喜んで受け入れる変態だ」

 ヨシノノブユキは透明のビニール傘をカヅヤの方に傾け、暗い路地の中へ導いていく。

「ちょっと待ってくれませんか」

 人通りが絶えたあたりでカヅヤは止まった。

「ん? どうしたの? 料金のことなら心配しなくても大丈夫、一晩遊んでもこれっぽっちだから」

 ヨシノノブユキがVサインのように指を二本立てる。そしてカヅヤが何か答える前に、せっかく見つけた客を逃さないようにと間をおかず続ける。

「それとも、もしかしてこういう遊びは初めて? 緊張してる? そんなの気にしない気にしない。むしろその方が彼女も喜ぶよ。安心して身を任せちゃて、ちゃんとリードしてくれるから。そしたらパァラダイスが待っているよ、パァラダイスがさぁ」

 腕を握ろうとしたヨシノノブユキの手首を逆に取り、カヅヤは申し訳ない顔を作って言った。

「違うんです。実を言うと女を買いに来たんではないんです」

 ヨシノノブユキはカヅヤの言葉の意味が分からなかったかのように一瞬、首を傾げた。それから過剰なほどニヤニヤとしていたヨシノノブユキの表情が変わった。首を突き出し斜めに捻って下からカヅヤを睨む。カヅヤの手を勢いよく振りほどく。

「女を買うんじゃないんだったら何なんだよ? え? 俺をからかってるのか? 舐めんじゃねえぞこぉら」

 ヨシノノブユキは迫力のある顔から迫力のある声を出して言うが、その体は不健康なほどガリガリに痩せていてとても喧嘩が強そうには見えない。しかしこういう荒っぽいところもないと彼のような商売は成り立たないのだろう。ヨシノノブユキは余裕を見せつけるようにリーゼントをなでつける。

 カヅヤはなるべく刺激しない態度をとりながらヨシノノブユキに聞く。

「あの夜、見たことを教えて欲しいんです」



 この国有数の歓楽街K町で凄惨な無差別殺人が始まってちょうど三ヶ月。最初の被害者はダーツバーでアルバイトをしている女子大生だった。店の裏のゴミ捨て場のポリバケツに血塗れで放り込まれているのが見つかった。次の被害者はパチンコ店従業員の中年男。コインパーキング脇の側溝に同じく血塗れで体を半分挟まるような形で倒れていた。さらにクラブで遊んでいた証券会社のOLが雑居ビルの非常階段で、不法滞在の自称神父のアルゼンチン男性が建設途中のビルの鉄骨の間で発見された。これら被害者の共通点は顔や体の区別なく鋭利な刃物で何十カ所も滅多刺しにされていること。警察は同一犯による通り魔的犯行と見て捜査を続けているようだが、いまだそれが進展しているという話は聞かない。

 そんな時、この町を二分するヤクザの組長が同じように全身滅多刺しにされた状態で発見された。場所は町の中心から少し外れたところにあるラブホテル。このラブホテルが被害者が取り仕切る組の経営だったため警察に通報されることはなかった。ヤクザにはヤクザのケジメのつけ方があり、それは犯人が頭のいかれたサイコパス野郎だろうと、敵対組織のヒットマンだろうと同じだということ。

 カヅヤはヤクザの代理人という男に呼び出されそんな事情を聞かされた。カヅヤはヤクザなんかに借りはなく、最初はそんな面倒なこと手伝う気なんてさらさらなかった。しかし詳しく聞かされていくうち、カヅヤがこの〈街〉で生きていくためにはその殺人鬼を探さなくてはならないことが分かった。絶対に探さなくてはならない。しかもタイムリミットまであるらしい。



「誰から聞いてきたか知らないけど、怪しい奴を見たと言っても、何だかこう、ぼんやりした影だけなんだよなぁ」

 さっきまで殴りかかりそうな勢いでカヅヤに凄んでいたヨシノノブユキだったが金の力はたいしたもので、今では肩でも組んできそうなほどに親しげだ。

「それにしても〈探偵〉さんも意地悪だなぁ。〈探偵〉なら〈探偵〉って最初から言ってくれなくちゃ。こう言っちゃ失礼かもしれないけど、それっぽくないんだもんなぁ」

 カヅヤは同じ事をまた言われ苦笑する。

「男性か女性かぐらい分かりませんか? 何か特徴は? 身長はどれぐらいでした? 太っていました? 痩せていました?」

「うーん、どうだったかなぁ。たぶん男だと思うけど、いや、女だったかもしれないなぁ。女を送って行った時に本当にチラッと見ただけなんだよ。怪しい影がスッとホテルの中に入っていくのをさ。でも今になって考えてみれば、事件のことを聞いたからそんな気がしただけかもしれないし、もともと何も見なかったのかもしれないしなぁ」

 ヨシノノブユキはどこか他人事のように言った。

「他に誰か見ませんでした? 近くで見かけただけでもいいですから」

「そうねぇ、あの近くで見たと言ったら知り合いの娼婦が何人かと、あとはこっちもよく知ってる組の若い奴ぐらいかね。どっちにしろこの件とは関係ないよ」

 カヅヤは息を吐く。

「役にたてなくて悪いな、やっぱり詳しいことは女に聞いてくれよ。キョウコって言うんだけど──」

 ここまで話すとヨシノノブユキは左右を見回し近くに人がいないことを確認した。カヅヤに一歩近づき口元に手を当てる。

「口止めされてて大きな声では言えねえんだが実はあの時、組長の相手をしていたのがキョウコでね、聞いたところではシャワーを浴びて出てきたらそれまでピンピンしていた組長があんな死体になってたらしいんだわ。でもなぁ、キョウコはショックで気絶してしまったらしいんで何も知らないって言ってたしなぁ──」

「その彼女、キョウコさんは?」

 ヨシノノブユキはカヅヤに近づけていた体を戻すと、悪戯が見つかった子供のように困った顔で頭をかく。

「実は──それなんだが──何と言うか──呼び出しをくらったみたいなんだわ。で、今はいない」

 なぜか最後は自慢げに胸を張って言い切る。リーゼントヘアを直す。

「確かあなたが扱っている女性は今、そのキョウコさんだけなんでしょ? もし僕が普通に女性を買いに来た客だったらどうしてたんですか?」

 始めから知っていたことだか、少しいじめてみたくなった。

「いや、もうすぐ帰ってくると思うんだけどね、キョウコは事件とは何の関係もないんだから、本当にもうすぐ帰ってくると思うんだよ、だからそれまで待っててもらって──本当だよ、騙そうとなんかしてないって、ちょろそうな奴だから先に金だけいただいて逃げてやれなんてこれっぽっちも考えてなかったって──ほんとほんと」

 ヨシノノブユキが正直なことだけは分かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る