ドラゴンナイト
らく葉
第一話 旅立ち
人と神霊の境界がまだ淡かった昔、東の果てにライセイという国があった。
長い歴史を持つこの国は、ある時心ない家臣の裏切りによって終わりを迎えようとしていた。
牢獄の中でライセイの王女は願った。
邪まなる者たちを罰し、我らを守り給え。
王女の願いを聞き入れたのは、力ある神霊たちの中でも極めて強大な龍、それだった。
龍は王女の望み通り裏切り者たちを業火で滅し、ライセイを滅亡の危機から救ったのだ。これよりライセイは龍を崇め彼らの守護神とし、龍神国と名を改めた。
それから、龍神国には龍に代わって国を守る存在が現れるようになる。
龍神国の剣であり盾である最強のナイトの彼らはドラゴンナイトと呼ばれ、今も龍に代わって王女の願いを果たすべく活躍しているという。
そんな国の田舎町の片隅で、シャオは何かに呼ばれたような気がして足を止めた。
気のせいか。
いつもの空耳だと判断したシャオは、止めた足を再び動かし始めた。ところが、また誰かが話かけてくる。
今度は空耳ではなかった。なぜなら、話しかけてきた声の主がシャオの目にはっきりと映っていたからだ。
「あんたにも聞こえたかい?」
道角に粗末な椅子と机を置いて客を待ち構える占い婆がシャオを見上げている。
「聞こえたんだろう?」
占いは姉のリーシャが好きだった。何が良いのかさっぱりわからないが、リーシャはよくあの小汚い窮屈な椅子に座って占い婆と顔を突き合わせていたっけ。
ふいに姉の面影が蘇り、シャオは慌ててまた歩き出した。
「おや、また無視かい」
老婆は恨みがましくシャオを睨み付けてくる。
何も見なかった。シャオは目を伏せ、さっさと占い婆のテリトリーから離れようと歩みを速めた。
「やれやれ、つれないねぇ。あんたの姉さん、リーシャだっけ?彼女はいいお客さんだったてのにねぇ。まあいいさ。今日は特別にタダであんたを占ってやるよ。最も、あんたには必要ないかもしれないけどね」
老婆のくぐもった笑い声が聞こえてくる。シャオはさらに足を速めた。
「次のドラゴンナイトはあんただよ。捨てられっ子のシャオ」
背中に浴びせられる宣告から逃げるようにシャオは走り出していた。
燃えるような夕焼けの空を裂いて鐘の音が鳴り響いたのは、それから三日後のことだった。
滅多なことでは響くことのない、けれど、龍神国の住人なら誰もがそれとわかる音だ。
巫女がドラゴンナイトの出現を予兆したのだ。
「ドラゴンナイトだ。おれたちを守ってくれる龍の代理人が現れるぞ」
「ああ良かった。最近じゃあ、幻影国やら何やらで物騒だからねぇ。ナイト様は一人でも多い方がいいわ」
「前に鐘が鳴ったのはいつだ?…二年前か。随分と早いじゃないか」
「それは、多分ほら、二年前のドラゴンナイトは……」
「何だっていい。ドラゴンナイトが増えるに越したことはない」
「うちの息子はドラゴンナイトに選ばれないかしら…」
町人の騒めきを煽るように鐘の音は鳴り続ける。
この鐘は昼夜を問わず三日三晩鳴り続けるのだが、どんなに煩わしくても誰も文句を言わない。それほどに、この音の意味するところが彼らの国にとって重大なのがわかっているからだ。
シャオもまた鐘の音を背景にいつもの生活を送っていた。
これで何度目になるのだろう。派手に面を取られ、後ろに転げ尻餅をついたところを道場生たちに笑われるのは。決して鐘の音がうるさくて集中できなかったなんて言い訳は、通用しないだろう。
「先生!おれ招集に応じて王都に行こうかと思ってるんです」
シャオを転がした一番体格の良い道場生が目を輝かせて言う。
「父さんも兄さんも賛成してくれてます。きっとおれならドラゴンナイトに選ばれるて。母さんはおれが王都に行くのを心配してますけど、師範はどう思いますか?」
「師範は昔王都に居たんですよね?」
横合いから別の道場生が声を上げる。ドラゴンナイトの話題は道場でも持切りだ。
先生、ことシャオたちに剣を教える大柄な道場主は、軽く笑みを浮かべて愛弟子たちを見回した。
「ああいたさ。騎士だったんだ。残念ながらドラゴンナイトではなかったけどな」
「すごい!」
興奮する道場生たちを押し退け、先ほどの体格の良い道場生が前に出る。
「師範!おれは…っ」
「やめとけ」
ぴしゃりと音がしそうな返答だった。
「お前にはむかないだろう。ドラゴンナイト以外にもいくらでも剣の腕を活かす道はあるさ。さあ、片付けたら今日の稽古は仕舞いだ」
打った尻をさすりながらシャオが防具を片付けていると、師範が声をかけてきた。
「へっぴり腰だなあ」
曲がった腰を慌てて正すシャオを横目に師範は言う。
「お前は残れ、シャオ。話がある」
師範の広い背中を追って道場の外に出ると、途端に鐘の音が音を増したように感じた。
「今日で二日目だなあ」
空を見上げながら師範が言う。二日目とは、鐘が鳴り始めてから二日目という意味だろう。
「二日もあれば近隣から押し寄せるには十分だろ。王都は今頃ドラゴンナイト志願者でいっぱいだろうさ」
シャオの耳朶を打つ鐘の音はドラゴンナイト出現の予兆を報せると共に、そのドラゴンナイト候補者を募る招集の合図でもある。
龍神国で最も誉れ高い最強の称号を手にするため、全国各地から腕自慢たちがぞくぞくと王都に集結しているだろうことは、遠く離れた田舎町に住むシャオにも想像できた。
「お前も行ったらどうだ?」
「は?」
どこにですか―――と問う前に師範がそれに答えた。
「王都だよ。ドラゴンナイト志願者として王都に行くんだ」
「はあ」
つまらない冗談だとシャオは思った。
十年ほど前に王都から流れて来た元騎士の師範は、気取ったところもなく気さくで親しみやすいと評判だが、口から出るジョークは精彩を欠いている。花の都で剣の腕前は上げられても、ユーモアのセンスは磨かれなかったようだ。
「何だその顔は。酔っ払いでも見るような目付きをしてるぞ」
遠く、王都に向けていた視線を隣のシャオに移し、師範は苦笑する。
「いえ…、さっき師範はやめておけて言ってませんでしたか?」
「ああ言ったな。でもお前に言ったんじゃないぞ」
「おれなら余計にやめといた方がいいでしょ」
「あいつには家族がいるからなあ。シャオ、お前の姉さんが王都に連れて行かれたのは何年前だったか?」
突然に姉の話を振られてシャオは固まった。今日の師範の冗談の出口が全く見えてこない。
シャオは慎重に口を開いた。
「……六年前ですけど、それが何か?」
「会いたくはないのか?」
項垂れるシャオを見下ろし、師範は言う。
「たった一人の家族だろ。会いたいはずだ」
「会いたいからって会えるものじゃないですよ。姉さんは………巫女になったんだから」
ドラゴンナイトの出現を予兆する特別な霊力を持つ巫女。
遥か昔、龍神国がまだライセイだった頃、龍を召喚した王女と同じ力を持つと認められた女子は国によって保護される。早い話が王城に匿われ、予兆という鳴き声だけを求められるのだ。そこには一切の自由はないという。
シャオの姉リーシャも霊力が認められ、否応無しに王都へ連れて行かれた。それ以来、消息を伝えるものは何もない。
「おれも騎士として王城に詰めてた時期があったからなあ。今はほれ、これが元で引退して田舎に引っ込んでる訳だが」
師範は右脚を引きずって見せた。裾から覗く傷跡をシャオも目にしたことがある。
「今も王城には知り合いが何人かいるのさ。そいつらがちょくちょくおれに王都の状況なんかを知らせてくれる訳だが、今回のドラゴンナイト出現の予兆を受けた巫女の名は何ていうと思う?」
「さあ、畏れ多い巫女様の名前なんて知りません」
「知ってるだろ。たった一人の名は」
ため息交じりの師範の言葉に、シャオは目を見開く。
「まさか」
「何が、まさか、だ。巫女なんだから予兆してもおかしくないだろ。リーシャだ」
黙ったままのシャオに念を押すように師範は繰り返す。
「巫女の名前はリーシャだ。若くて綺麗な巫女様だとよ」
「…リーシャなんて普通の名前どこにでもありますよ」
師範は取り合わず肩を竦めただけだった。それから、
「王都へ行け」
と静かに言った。
「ドラゴンナイトに志願するんだ。上手くすれば、お前の姉さんに会えるかもしれん」
「おれがドラゴンナイトになれる訳ないですよ」
「何でもいい。とにかく行け」
師範はシャオの頭を軽く小突き、道衣のポケットに何かを捻じ込むと、シャオの顔を覗き込み懐かしそうに目を細めた。
「お前に初めて会った時はとんでもないクソッタレで、いつも姉さんを困らせてたな。それで見兼ねたおれがお前をうちの道場に放り込んだんだっけか。あれからよくもまあ、めげずに通い続けたもんだ」
「行かないと追いかけて来たじゃないですか。それで無理やり引きずられたら、そりゃ…」
「もう来なくていい」
師範の顔からは笑みが消えていた。
「というか、明日もこの辺りをうろちょろしてやがったら、今度は王都に引きずって行くからな。いいな?さっさと行けよ」
そう言い放つと、師範は道場の中へと戻って行った。呆然とその背中を見送った後、思い出したようにポケットの中に手を入れてみれば、緑色の厚手の紙片が出てきた。
旅券だった。王都までの。
それを見つめるシャオを取り囲むように鐘の音が鳴り響いていた。
師範が何を考えているのかさっぱりわからなかったが、シャオに選択の余地がないことだけは確かだった。
狭い田舎町で、さらに狭いシャオの交友関係の中で大きな影響力を持つ師範に拒絶されればどこにも居場所はない。それ以前にここに留まり続ければ、宣言通りに師範はシャオを王都へ引きずって行くだろう。
どちらにしても行くしかないのだ。
「行くのかい?」
陽が昇りきる前の薄暗い道を、荷物を抱えて歩くシャオに声をかける者があった。
「わかってるよ。王都に行くんだろ。あたしの言った通り、あんたはドラゴンナイトになりに行くんだ」
いつもの幻聴だ。本当はこの道を通りたくなどないけれど、ここを通らなければ町を出られない。
「まただんまりかい。本当にツレナイよ、あんたは。これが最後かもしれないってのに」
ふと足を止め、シャオは道角に目を遣った。皺に埋もれた両目と目が合う。その顔にニタリと笑みが広がった。
しまったと思いシャオは慌てて目を逸らすが、遅かった。すかさず老婆のしゃがれた笑い声が飛んで来る。
「ははは、見たね。いいかい?今見たモノを決して忘れるんじゃないよ」
シャオは走り出した。その背中をしゃがれた笑い声がいつまでも追い続けた。
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