第37話 大切な人


 文哉が東真の手を引いてレジャーシートまで戻る途中、南央がパッと立ち上がって東真に向かって走り出した。



「南央ちゃん! 待ってください!」



 司の制止を聞かずに南央は東真の元に走る。立ち上がろうとした司の手を西雅が捕まえた。西雅がニッと笑って南央の方を見るように促すと、ちょうど東真が広げた腕に南央が飛び込んでいったところだった。



「南央!」


「とーちゃん! 大丈夫?」


「うん、俺は大丈夫。そっか、南央のおかげで助かったんだね」



 小さな身体をギュッと抱き締めた東真は、南央の潤んだ瞳を見て全てを察した。南央が危機を察知し、それを信じた文哉が東真を助けに来たことを。



「文哉さんも、南央の言葉を信じてくれてありがとうございます」


「ははっ、当然だろ? 俺だって南央ちゃんに助けられたんだから。な?」


「いひひっ」



 しゃがんで南央と目線を合わせた文哉が南央の鼻の頭にちょんっと触れると、南央は擽ったそうに笑った。東真は笑い合う文哉と南央を間近に見て、泣き笑いを浮かべた。



「なんだか、2人は親子みたいですね」


「んー、じゃあ俺が南央の父親で、東真が母親か」



 文哉は心底楽し気に笑うと、目をキラキラと輝かせたまま東真に抱き着く南央の頭をぐりぐりと撫で回した。



「え、僕は息子役が良いです」


「いやいや、息子に世話されてる父親は威厳がないだろ。それにこんなデカい息子が生まれるわけないだろ」


「威厳なんてそもそも持っていないじゃないですか。身長は、まあ」


「いや、待て、ツッコミたいことしかねぇ」



 わざとらしく目を見開いた文哉が東真を見上げて口を三角にする。南央は花が咲いたような笑顔でキャッキャと笑いながら文哉の頬をつんつんとつついた。


 それを少し離れて見ていた西雅は、無意識にキュッと手を握り締めた。ただしその手には司の手を握っていた。司は急に自分の手を握る西雅の手に力が入ったことに驚いて西雅を見下ろした。


 いつもは見上げるその顔が寂しさを湛えている。司は手を柔らかく握り返すと西雅の隣に腰を下ろして、頭を自分の肩に凭れさせた。


 西雅は低い肩に居心地悪そうにしていたけれど、もぞもぞと動いて良い位置を見つけるとそこに落ち着いた。



「なんか、ちょっとだけ羨ましいっす。オレには母さんがいるけど、いつも一緒にいられるような相手はいないっすからね」



 西雅が眉を下げると、司もつられたように眉を下げた。それに気が付いた西雅は、小さく笑って手を伸ばす。指で司の眉をくいくいと持ち上げると、いつも通りには笑いきれていない顔でははっと声を漏らした。



「折角のイケメンが台無しっすよ? オレは大丈夫っすよ。だって友達はいますし、サッカーもできます。それだけ持ってれば、十分っすよね?」



 迷子の子どものような瞳。隠しきれないほどの不安を押し殺して、必死に歩こうとしている。司は居てもたってもいられなくて、両手でガシッと西雅の肩を掴んだ。大きく見開かれた西雅の瞳に、司の曇りのない瞳が映った。



「僕がいます」



 ただそれだけ。それだけだけど、それが全て。


 西雅はぽかんと開いていた口をゆっくりと閉じる。そしてキュッと横に引き結ぶ。



「確かに。司さんがオレを心配して走ってきてくれるなら、寂しくないっすね」



 悪戯っぽく笑ってみせた西雅に、今度は司がぽかんと口を開いた。司は西雅の肩から手を離すと、片手で自身の暗い茶髪をくしゃりと握った。



「全く、西雅くんには敵いませんね」



 髪と手の隙間から覗く司の赤い顔。西雅は目を見開くと、照れ臭さを隠しきれないままへらりと笑った。



「さいがくん、つかさくん、2人も仲良しだね!」



 西雅と司がお互いにパッと距離を取りつつ声がした方を向くと、手を伸ばせば触れられる距離にしゃがみ込んだ南央が2人を見上げていた。その後ろで東真は朗らかに、文哉はニヤニヤと笑っていた。



「主任、何ですかその顔は」


「いやー?」



 司が眉を顰めると、文哉はへらへらと笑いながら飄々と誤魔化した。



「まったく」



 司がため息を吐いたとき、サラサラ、キュッキュ、と芝生を踏む音が近づいてきた。東真はとっさに南央の手を引いて、自分の陰に抱き込むように隠してから振り向いた。


 公園には似つかわしくない、仕立ての良いスーツを着た男。文哉と司はスッと立ち上がる。司がキリッとした表情を浮かべるのとは対照的に、文哉はにこやかな営業スマイルを湛えて相手を見据えた。



「これはこれは、島川原社長。このような場所でお会いするとは偶然ですね」


「茶番はいりませんよ。新張さんと海善寺さん、でしたか。私は彼らに話があります」



 島川原の視線が東真と南央、西雅に向けられる。文哉はその視線を遮るように位置を移動して東真たちを背に庇う。



「彼ら、とは?」


「私の息子と娘ですよ。家族の問題に、友人は介入できませんよね?」



 文哉が煽るように言うと、島川原は口元をピクリと反応させた。けれどそれで不快感を前面に出すようなことはしない。文哉もそれは分かっていた。


 島川原の視線が文哉の方に向いているうちに、司は陰でこっそりとスマホを弄った。


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