二十一、ズール危機一髪

「ちくしょう、杖を忘れるたぁ、俺も焼きがまわったな」

 とズールは思った。

 夕暮れ、市場の裏路地である。


「てめえには、さんざんコケにされたが、今日こそ、コケにし返してやるぜ」

 ロックバンド、「オッド・スペースモンスター・フロッグ・スネーク・リザード(自分で書いといてナンだが、なげーよ)」のリーダー、「鼻ピアスのマツキチ」は、ドン突きに追い詰められた女ズールに鼻息あらく言った。これからヤラしいことしてやる、という変態的欲望に、指はにぎにぎ、目はギンギン。ダメだ終わってる。


 市場の裏とはいえ、ここは周りにしげる広葉樹の壁で死角になっているうえ、表で鳴っているファンファーレ風の音楽でうるさく、騒いでも気づかれそうにない。マツキチだけでなく、ほかのメンバー三人も周りをかためていて、脱出は不可能だ。



 こうなったのは、悪い偶然の重なりだった。偶然やつらが市場に来ていて、偶然ズールの格好がヘソだしの背中あきで、荷物もなく、どこにも杖を隠している様子がなかったため、彼が偶然万引きしたトレーディングカードを、偶然路地裏に行って偶然確認中に、偶然あとをつけていたオッドなんたらの奴らに、偶然取り囲まれたのである。

 さて問題です、今の文章に、間違いはいくつあるでしょうか。分かった人は、勝手に分かっててください。



「もう観念して、ストリップでもやりな。そしたら許してやるぜ」

 そう言ってゲラゲラ笑うリーダーに続いて、山びこのようにけらけら笑うメンバーども。

 だが、目の前の笑いの対象から、ちがう笑いが低く不気味に聞こえてきた。

「ふっふっふ……」


「お、おい」とビビる一人に、ハッパをかけるマツキチ。

「ビビんじゃねえ、どうせ、こけおどしだ。なんせ、モジれねえんだからな!」

 じっさい、ヤケになって笑っているだけだったが、それでも、どうにかできないかと考え、ついにやってみることにした。

「モジカル・モドール!」

「なっ、なにっ、てめえまさか、杖なしで……!」

 驚くチンピラどもの前で、ズールの姿は確かに男に戻った。


 が、みんな腹をかかえて笑った。

 いちおう男にはなったが、背も体も一回り小さく、今の少女と変わらないサイズだったのだ。ぱっと見、小学生高学年か、よくて中坊である。

「ちっ、やっぱ口だけじゃ足りねえか」

 そうは言ったが、いきなりマツキチの顔面に飛び蹴りを食らわして、逃げようとした。

「ぐはあっ! このクソガキ、やっちまえ!」

 十三、四のガキサイズとはいえ、ケンカの達人にはちがいないので、身のこなしは抜群だった。すぐ追いつかれたが、今度は目を蹴った。「ぎょはあっ!」とひっくり返り、起き上がったリーダーの顔は、誰も見たこともないほどに尋常ではなかった。どこからか杖を取り出す。


「なんだ、また宇宙怪獣にでもなんのか」

 ズールの言葉に妙な笑いを浮かべ、メンバーたちに「杖をよこせ!」と集めると、それを束にして、杖さきをこっちへ向けてきた。

 これには、取り巻きどももあせった。

「ヤバいぞ、それだけはやめろ!」

「うるせえ! もう完膚なきまでにあったまきた! やってやる! こいつをウンコにして、ぐちゃぐちゃに踏んでやる!」


「やめろ、考えなおせ」とズール。

「ふふん、おじけづいたか」

「いや、冷静に考えたら、靴がくさくて、きたねえだけで損するぞ。犬のフンどころじゃねえぞ」

「た、たしかに……」と嫌そうな顔になるメンバーたち。想像して鼻を押さえる者もいる。

 だが、キレきったバカは止まらない。

「うるせえ! 覚悟しやがれ!」

 ズールは杖を向けられ、「あーあ、せめて美少女の姿で死にたかった」と思った。

 そのときだった。


「このバカモノがあああ――!」

 いきなり怒鳴り声がして、マツキチが背後から張り倒され、地面につっぷした。転がる杖のひとつを手に取り、五十歳くらいに見えるそのオッサンは、あごの張った無骨な顔を壮絶な怒りに引きつらせ、いま殴った男を見た。いかつい口ひげを生やした、肉体労働者ふうのがっしりした体格のオヤジで、肌にぴったりした半そで黒シャツの袖口から、フライドチキンの頭のような筋肉質の肩を、むきむきと丸出しにしている。そのたぎる怒りがオーラになって全身からわき立ち、髪まで逆立って見える。

 彼は驚くバンドリーダーに杖を向け、ドスのきいた声で叫んだ。

「他人にモジックをかけんとする不届きものには、必ず神の裁きあり! これは、ここパナジカルの、基本中の基本であるぞ!」



 前にズールの生徒のガキが、「モジックを覚えて、学校の不良どもをブタに変える」などと言っていたが、そんなことをしたら、すぐに天ちゅうがくだって、事故か病気で死ぬことになる。

 他人をモジること。

 これは天使と関係を持った場合と同じで、絶対に犯してはならないタブーである(自分にかけるのは可)。

 たしかに、他人をモジってどうこうできたら、みんな自分の好き勝手に相手の姿を変えて、大混乱になって社会が成り立たない。

 また、他人の心をモジるのも禁止である。自分を好きになるよう相手を洗脳できたら、相手の人権侵害になるだけでなく、人の奪いあいがおき、さらには殺しあい、戦争にまで発展し、人類は滅ぶだろう。


 では、今のマツキチのように、自暴自棄になって、死んでもいいからとにかく相手をモジりたい、という極度にせっぱつまった場合には、どうなるのか。死を怖がらない犯罪者を、いくら死刑になるぞ、と脅しても意味がない。


 その場合、たいてい杖が急に働かなくなることが多い。機械を無理に動かそうとすると、ストップがかかる機能がついているようなものだ。

 しかし神も完璧ではない。

 これには抜け道があって、数本の杖を束にすると、キレきった完全なバカが人に使っても、効くことがある。今のマツキチがやったのは、それだった。



「なんだ、このジジイ! てめえら、やっちまえ!」

 バカ・リーダーの指示で飛びかかるバカ・メンバーズ。とりあえず死の恐怖からはまぬがれたので調子づいていたが、甘かった。

「まだ初老だわあああ――!」

 男は叫んでバカどもを次々に殴りたおしてボコった。バカどもは地にひっくり返っておろおろし、てんで相手にならない。

 ズールは、その強さに関心した。


「きさまら、ルーツだな?」

 マツキチの襟首をつかみ、にらみつける初老。

「このような小さきものを集団で痛めつけるとは、卑劣にもほどがある。きさまらのような者がおるから、ルーツが嫌われるのだ! ルーツの面汚しどもめ!」

 マツさんは涙目で、「ひいいい、ずいばぜええん」と情けなく謝った。男が放ると、ロックバンド、オッド・スペースモンスター・フロッグ・スネーク・リザード(やっぱ、なげーな)は、這う這うのていで逃げ出した。



「なんだおぬし、モジっておったのか」

 言われてズールは、自分が元のサイズに戻っているのに気づいた。

「やれやれ、まだ修行がたりねえな……

 おっさん、ありがとうよ」

 苦笑するおっさん。

「すまぬな、中にはああいうやからがおるが……

 ルーツが、みなああだとは思わんでくれ」

「そりゃ、今の立ち回りを見せられたらな」


「でも、噂は本当だったんだな」と腕組みするズール。「あんたが、お忍びで街を視察して歩いてるっていう……」

 王の顔は、以前に雑誌の写真で見たことがあったので、至近距離では丸バレだった。

「うん? なんのことかな?」

 しらばっくれる男に、ズールは感慨ぶかく言った。

「俺はバカで無学だから政治とか分かんねえが、とりあえず、わりぃ王さまなら、ただお城でふんぞりかえるだけで、なんにもしねえと思うんだ。だが、こんなふうに出歩いてみんなを心配してんだから、あんたはいい王さまだ」

 とたんに顔と手をぶるんぶるん振って、あせるおっさん。

「な、なにを言うか! 私は、ただの通りすがりの、肉体労働者のオヤジである!」

「まあ、そういうことにしとくか」


「カッカー!」

 いきなり男が叫んで駆けてきた。同じような地味なナリで、従者のようだ。

 だが怒る王さま。

「城下で閣下と呼ぶな、と言うておろう。カッカッカと呼べ」

「はっ、カッカッカー!」

「もう叫ばんでいい」


 作者が書いちゃってから気づいたようで悪いが、従者が王を呼ぶときは、ふつうは「閣下」ではなく「陛下」である。だが、このロンゲスト・バード三世国王は、かつて軍を指揮するさいに、従者に「自分を閣下と呼べ」と命じたため、そのまま平時にもずるずると、そうなってしまっているのである。


 そういうわけで、ズールに苦笑する王。

「すまんな、どうしても閣下と呼んでしまうから、『か』を一個よぶんに付けさせておるんだ」

「おう、そりゃいいアイディアだな。グッショブだぜ!」と、バカなのでサムアップしたが、従者が怒った。

「きさま、閣下――いや、カッカッカに向かって、なんという口のききかたを!」

「忘れたか、我々は今、ただの一般市民であるぞ」と、不意に夕暮れ空を見る国王。

「おおいかん、酉の刻(とりのこく)に会議があるのだ。最近、城内に、なにやら怪しげな動きがあるとの情報があってな。

 では、さらばだ!」

「おう、今度、ボクシングでもしようぜ」


 ズールは、夕日に遠ざかる偉大な背中を見送った。

 これが、彼とロンゲスト・バード三世国王との出会いだった。


 ……と、奴は飲み屋で俺に話した。

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