二十、アホ毛は、うとうとし
近所の飲み屋で、日本酒をガバガバ飲んでくだをまく大作家先生をかこみ、俺たちは心配しまくっていた。
「ひっひっひ、僕、また死ぬんだって! ここで成功したから、次は、きっとまた不幸だね!」と、うつろな目でトックリごとラッパ飲みしてげっぷし、「そうだ、そしたら、また死んでここに戻ればいいんだ! よかった、すぐみんなに会えるよ! 僕は幸せものだなぁ、ひっく」
「戻れるわけねーだろ! しっかりしろ!」
揺さぶる俺。
「お前はゾッコンでも、向こうは遊びかもしれないだろ! そうだ、それなら死ななくてすむ! だいじょうぶだ!」
「あ、遊びって……そ、そんな……うわああ――ん!」
卓につっぷして号泣する先生。ダメだ、泣きじょうごのマイナス指向だ。とりあえず個室に引っぱりこんでよかった。
「ええっ、それじゃ雄二さん、そのチャチャリーナのこと、好きになっちゃったの?」
うららが心配そうに聞くと、ズールも深刻そうに言った。
「一週間ってことは、今日じゅうに……」
「だから、まだ告ってないんだから、セーフだ」と俺。
「でも、向こうも雄二くんを想っていたら、同じことでは……」と海子。
「告ろうとしてやめたあとも、チャチャは消えてない。ということは、向こうがどう思っていようが、ちゃんとお互いに告って相思相愛にならない限り、消えることはないんじゃないか」
「でも、どっちみち、チャチャは消えるんだ……」
雄二が鼻声で悲しげに言った。たしかにラフレスさんは、天使が勝手に下界にいると、一週間で消えると言っていた。いくら自分は助かると言っても、これはつらいだろう。俺としては、今日じゅうにチャチャリーナがコクーンに戻って元どおりになればいちばんなのだが、どこにいるのか分からないのでは、どうしようもない。
「チャチャさんを探しにいきましょうよ」
雄二をゆするうらら。
「ここで泣いてたって始まらないでしょ。今日じゅうに見つけて、その、仕事場に帰せば、助かるんでしょ」
「だ、だって、どこにいるのやら……
あっ」
急に耳をすます雄二。俺たちも、はっとそっちを向いた。それは女の子の、それも甲高くかなりブリブリしたアニメ声だった。
雄二は立ちあがった。聞き覚えがあったのだ。
「ちゃ、チャチャ……!」
それはマイクでしゃべっており、店の前の大通りからくぐもって聞こえてくるのだった。俺は彼女の声を知らないが、人ちがいなんじゃないかと思った。言ってることが、どう聞いてもアイドルのMCなのだ。
「……今日は、ほんっとーに、あっりがとー! さいごのぉ、歌はぁ、ありったけの愛をこめてぇ、うたいまーす!」
雄二はとりつかれたようにふらふら表へ出ていき、みんなも後を追った。そこには、果たして人だかりの向こうに、キラキラに着飾ったアイドルが、マイクを持って立っていた。人垣をかきわけて最前列に出ると、彼女は簡易ステージに乗っており、その後ろにバンドがいた。ドラマーがいるので、ドラムセットまで持ち歩いての大規模な路上ツアー中なのだ。さっき路肩に荷馬車が停まっているのが見えたから、それで運んでいるのだろう。車なんかほぼ通らないので危険はないが、大通りのまんなかで堂々とやっており、実質、道をすべて占拠している。
うわさのチャチャリーナは小柄で、頭にぴんとはねた赤いリボンをつけたもさもさの髪で、本当に不思議の国のなんたらそのものの顔だった。それが赤や黄色のキンキラ衣装でアイドルしているのだから、インパクトは絶大だ。
だが雄二にとっては、インパクトどころの騒ぎではなかろう。だいたい、なんでアイドルなんかしてるのか。といっても、どうせ「なんかぁ、街なかでスカウトされちゃってぇ、面白そうだからぁ、やっちゃったー、てへっ(はあと)」とかだろうが。
しかし彼女が歌おうとすると、ステージに這い上がって妨害する者がいた。
雄二ではなかった。
背中に小さな羽根がついた白い服の、五歳の子供くらいの背の天使さまだ。
「きさま、こんなところでなにをやっている!」
ラフレスさんが怒ると、チャチャリーナは天然まるだしで顔を左右に傾けながら、にこやかに言った。
「なんかぁ、街なかでスカウトされちゃってぇ、面白そうだからぁ、やっちゃったー、てへっ(はあと)。
あ、フレちゃんもぉ、いっしょに歌おうよー」とマイクを渡す。
「ば、バカっ、私は歌など」
などと相手がドギマギするのもかまわず曲が始まり、チャチャが歌いだす。それはなんと「あおげばとうとし」のロックバージョンだったが、著作権のせいで替え歌だった。ここまで取り立てに来るのか、と恐怖感を覚えた。
「アホー毛はー、うとうとしー」と意味不明なことを歌うと、隣でラフレスさんが「輪っかがぁ、死のおー、オンー」と天使くさいような歌詞で、ウィンクしながら腰ふってノリノリで続け、歓声があがる。「けっこう楽しいな、これ」とニコニコ。すごく乗せられやすい人なんだな、と分かった。
が、「はっ」と気づいて怒る。
「バカもん、こんなことをしてる場合では」
「フォーエバー、糸ー通しー」
「このー都市ー月ー」とノリノリ。
ダメだこりゃ。
すると彼女は、降りてきて俺に言った。
「すまん、どうしても歌ってしまう。君らのバンドが交代してくれ。耳が腐る騒音なら、歌う気がしない」
「ええっ、いきなり交代ったって」
「見ろ、雄二が告ろうとしてるぞ」と示す。
彼はステージにあがろうと踏ん張っているが、酒のせいで何度もし損じている。いかん、このままじゃステージで相思相愛になって、あいつは死ぬ。
「わかりました!」
俺は、ただちにみんなに言って行動を開始した。雄二も引っ張って、メンバー全員でバックバンドのところへ行き、男に戻ったズールと一緒に、「どけ、コノヤロー!」とギターやドラムを奪ってスタンバイした(ひでぇ)。ズールはギター、俺はそれにエフェクターをメタクソかけてノイズにし、雄二は泥酔してるから、夢うつつでドラムを縦横から無意味にぶったたいた。
いつもは、いっけんアドリブに見えても楽譜があったが、これは完全に好き勝手な即興だった。元祖ノイズバンドの非常階段が初期にやってたのと同じ。これで海子がステージでションベンすれば完コピである。
まあ、そこまではしなかったが、彼女はいつもどおりステージにあがると、いつもどおり髪をふりみだしてマイクに「グギャー! ギャホオオオ――!」とわめいてのたうちまわった。アイドルのライブとしては、完膚なきまでにぶち壊しである。
チャチャは棒立ちで、困惑したようにマイクに「えーなにこれぇー、やだぁー困るぅー」と言い、ラフレスさんは「いいぞ、もっとやれ!」と、海子の隣でマイクにギャースカがなったり、一緒に転がって暴れた。結局、やってるじゃんよ。
「暴虐ノイズバンド、オカリナだああー!」
恐怖の叫びをあげて客はみんな引き、関係者もビビって逃げたのか、見当たらない。分かってはいたが、やはり俺たちの評判はそうとう悪いようだ。「魔女と目があうと、石にされるぞ! 逃げろー!」という不届きな声もあったが、海子をメドゥーサと一緒にするな。本人が聞いたら喜びそうだけど。
見れば、もうひとりの魔女(魔女っ子?)が、キーボードをメチャクチャに弾きまくって参加していた。さすが、うらら。
「うるさーい、もうやだー、おうち、かえるぅー」
チャチャリーナがごねたのを見はからい、ラフレスさんが手を引いた。
「よしよし、帰ろうな」
だがそのとき、雄二が「チャチャああああ――!」と猛牛のごとく突っ込んできた。全員ぴたりと演奏(?)をやめ、水を打った静けさを一直線に突き破る男の絶叫。
やばい!
俺はおさえようと飛び出したが、奴のほうが早かった。が、二人の天使に行き着く瞬間、異変がおきた。
二人はいきなり人形のようにがくんと下を向き、そのまま床に倒れ、並んで転がったのだ。雄二はチャチャリーナを抱きあげ、なんども呼びかけたが、返事はない。そのひらいたままの目に生気はない。そのうち、姿が薄くなってきた。雄二は泣きながら、あらん限り絶叫した。
「チャチャああ、ぼくは、君が好きだあああ――! 愛してるうう! もう離したくなああい! 好きなんだああ、チャチャあああ――! 消えないでくれえええ――!」
しかし、彼の必死の告白もむなしく、チャチャの姿は煙のように消えた。ステージにふせって号泣する彼を見て胸が痛んだが、同時に、なにかおかしいという感じがしていた。ほかのみんなもそうらしく、けげんな顔でこっちへ来た。
まず、向こうから告っていないのに消えるのはおかしい。
次に、同時に雄二が死なないのも変だ。しばらくしてからか? 神のすることだから、そのへんアバウトなのか?
そのときだった。
「……モジカル・モドール」
どこからか女の声がしたかと思うと、雄二の腕の中に、なにか白いもやのようなものが現れ、人の形になった。雄二も俺らも目を見はった。
ラフレスさんだった。
彼女は雄二に抱えられたまま、彼に真顔で言った。
「悪いが、私は君に対して、そういう感情はない」
雄二が目を丸くし、そばに転がっているもう一つの天使を見ると、それはもうラフレスさんではなかった。チャチャリーナだった。
「モジックでチャチャリーナと体を入れ替えて、姿を消した」とラフレスさん。「かわいい男に告られるのは気分がいいな。名前が私だと、なお良かったが」
そう言って笑う彼女を見て、口をあけてがくがくする雄二。
「じゃ、じゃあ、チャチャは……」
「心配するな、気絶しただけだ」と、彼女を脇に抱える。「まったく、世話をかけおって。
……みんな、面倒かけたな。協力、ありがとう」
俺たちは何も返しようもなく、ただ突っ立って見ていた。
気づけば、二人は消えていた。
仮設ステージのぽつんと立つ大通りに、閑古鳥が鳴いた。
海子が雄二のところへ行き、なにやら耳元にささやいた。すると、固まっていた彼の顔はたちまち弛緩し、天にものぼる甘い表情になって遠くを見つめた。
今の俺なら、あ、これはチャチャリーナのことで何か言われたんだな、と分かるが、そのときは、いろいろありすぎてすっかり疲れ果て、まともな思考ができなくなっていた。
俺は、けげんになった。
(なんだ、雄二のあのひょう変は。はっ、もしやまさか、海子のやつ、「もう、あんなのはあきらめなさい。私が、かわりに付きあってあげるわ。はーと」とか、抜かしたんじゃねえだろうな?!)
じょ、冗談でも、そんなこと言うもんじゃないぞ。たしかにあの二人は幼馴染だが、雄二は海子をずっと嫌ってたわけだし――いや待てよ。嫌いこそものの好きなれ、ってことわざもあるしな(ねえよ)。
ちくしょう、俺というものがありながら、ゆう――じゃねえ、海子のヤロウ! あったきた!
などと、勝手に妄想がふくらんで俺は激怒し、仕返ししてやらんと、唾棄すべき卑劣な手に出た。
うららのところへ行き、しゃがんで両手を握ると、思い出しても気持ち悪いくらいのとろけ笑みで、うっとりと見つめる。
「えっ、ど、どうしたの、和人さん?!」
「うららくん……いや、うらら」と、バカまるだしの甘い声で、ささやくように言う。「じつは君に、前からほれていた」
「えええっ――?!」
「ほんとだ。俺は君の演奏にぞっこんだ。ぜひ、俺のバンドに入って、キーボードを……」
「ちゃすとおおおお――!」
いきなり叫びとともに飛び蹴りをかまされ、俺は「ぐはあっ!」と後ろにひっくり返った。見れば、ズールが仁王像の顔と肉体で仁王立ちしていた。
「てっめえ、うららになにしてやがんだっ! 事情によっては、殺すぞ!」
「ちょ、ちょっと待て、誤解だ! 俺はただ、バンドに誘ってただけだ!」
海子へのあてつけだけではなかった。前々から、彼女には本当に入ってほしいと思っていたのだ。ただ、言う機会が、ちょうどよすぎただけだ。うららの、技術もクソもないメッタクソなピアノの腕前には、ついさっきも素晴らしい独創性とアナーキズムを感じていた。
だが、ズルさんは目を吊りあげてキバをむき、俺の必死の言いわけにも、まるで納得しない。
「なら、手ぇ握って、目ぇうるうるさせてまで言うこたぁねえじゃねえか! ふつうに言え!」
「それだけ、俺は彼女の才能に感動して、だな」
「うそつけ! あれはぜってえメスを前にうはうはする野獣の目つきだった!」と、びしっと指す。「ここまであぶねえ奴だとは思わなかったぜ。俺よりあぶねえかもしんねえ」
こんな事態なのに、うららは頬をそめて困り笑いしているだけだ。ズールがここまで自分のためにブチキレてくれるのが、内心嬉しいのだろう。俺、グッジョブかもしれん。
「だいたいてめえ、海子さんというものがありながらなあ――」
そこでふいに黙ったので、調子づく俺。
「なんだ、言うに事欠いたか。これだから不良は語いが不足してんだよ」
そこで誰かが後ろから肩をつかんだので、キレた。
「なんだよ、いま取り込み中だ! あとにしろ!」
「……語いが不足ですか……」
冷たく言う声に、はっと気づいたが、もう遅い。
俺の背後にたたずむ海子の声は、地獄の底からわいてくるようだった。
「次の死にぎわの言葉は、なに? よかったわね、遺言の語いが増えて……」
振り向けば、海子の氷河のような笑みがあった。
「うわあああ――!」
さすがにビビったが、もとはといえばこいつのせいだ。
俺は手をはらい、ふてくされたように言った。
「そっちこそ、雄二になに言ったんだよ!」
「ええっ? ユウちゃんに?」
きょとんと言う女に、俺の怒りはマックスになった。
「ゆ、ユウちゃんだとおー?!」
「あっはっはっは!」
いきなり大笑いしだすので、俺はうろたえた。
「な、なんだ、ついにイカれたか?!」
「なによ、『ついに』って。くくくく……」
やっと笑いやんだ海子は、近寄って俺の耳にささやいた。
「こう言ったのよ。
……『私も、雄二のこと、す――』」
「や、やっぱりそうかっ!」
すると首をふり、女神のような優しい笑みを浮かべて言った。
「チャチャリーナの言葉よ」
海子はあのとき、倒れていたチャチャリーナの近くにいた。ラフレスさんの姿にモジられていたのだが、雄二の腕の中でチャチャの姿をしたラフレスさんが消えて(って、ややこしいな)、彼が絶叫告白した直後、そこから声がしていて、それを海子が聞いていたのである。
じつは意識があったチャチャリーナが、雄二の告白を聞き、それに答えようとしたのだが、途中で途切れた。
「彼女の頭に、ぐぐっと足型がつくのが見えたのよ」と海子。「たぶん、透明のラフレスさんが踏みつけて、黙らせたのだと思う」
「じゃ、じゃあ、チャチャリーナのほうも、雄二のことを……」
海子はうなずいた。
私「も」で始まり、最後が「す」とくれば、次は「き」に決まっている。ぜんぶ言ってしまう前に、ラフレスさんが彼女を止めて、二人を助けてくれたのだ。
雄二は、なにかさっぱりした顔になって天を見あげていた。あまりのいじらしさに、駆け寄って抱きしめたくなったが、我慢した。安易にやっちゃいけない気がした。彼のたたずまいには、悲しみをくぐり抜けた者の持つ、なにかの輝きのような、崇高なものがあった。
「いつか、天使と人間が堂々と付きあえる日がくれば、きっと二人は結ばれますよ」
そう言う海子の手を握り、俺は青空に向かって立つひとりの男を、いつまでも見つめていた。
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