十七、うらズー俺うみ
で、そのがんばったライブで、前述したように、楽屋で気を失ったうららが、目を覚ます事態になったのだった。
彼女は目があくと、目が飛び出そうになった。
「うわあああ――! お化けえええ――!」
叫ぶうららの頭を、そのお化けは軽くはたいた。
「誰がだっ! おめえはギョロ目妖怪じゃねえかっ!」
ズールは怒ったが、目覚めたとき、額から華厳の滝のように流血しっぱなしの顔がいきなりドアップであったら、驚くのも無理はないと思う。
うららはすべてを思い出し、いつのまにか楽屋にいるのに気づいて、驚いた。
「な、なんでここに……たしかダイブして……。そうか、あんたが、そのままここへ持ってきたのね?! なんてことすんのよ!」と指さす。
「そのまま持ってくるかっ!(ズールさん包帯くらい、と後ろからつつかれ、うるせえ! それどころじゃねえ! と一喝してから、)おめえが俺とぶつかって気絶したから、ここに運んだんじゃねえか。おかげでライブは中止よ」
「ええっ、そんな……」と、がく然とする。「だって、誰もいないと思って、そこに飛びこんだのに、なんで……」
「そこに、このズールさんが座ってたんだよ」
居あわせた店長が言った。
「君を抱えて、ここまで走ってきてくれたんだ。ケガの治療も彼がしてくれましたよ」
「えっ……?」
気づかなかったが、自分の額をさわると、包帯がある。見れば、まだズールの顔は、ナイルのような赤い川が、額から鼻で二つに分岐して、あごまでとうとうと流れていた。
たちまち泣きそうになった。
「そんな、自分のことは完全に忘れて、私を……」
そこで店長がズールの後ろから、蛇が獲物を確保するかのようにさっと包帯をかぶせ、額にぐるぐる巻いた。
「うわっ! よせ!」「はいはい、死んじゃうからね」のやり取りが終わり、ナイルからインド人に変身したズールは、腕ぐみして眉間にしわを寄せ、真剣に言った。
「おい、うらら」
「は、はい……」
「これからは、俺と一緒にいろ」
「はあ?!」
てっきり怒られると思ったのだろう、予想外の物言いに、また目がむきだす。
「な、なんで、そんな」
「おめえは、ほっとくと、なにするか分からねえ。危なくてしょうがねえから、俺のそばにいろ。いいな?」
これには、うららもむっとした。
「なによそんな、人をガキみたいに。だいたい、父親じゃあるまいし――」
父親と言ってしまって、嫌なことをでも思い出したのか、今度は本格的にぶわっと泣きだした。それを引き寄せるように抱き、頭を優しくなでるズール。
「よしよし、もうだいじょうぶだぞ。俺がついてるからな」
彼女の過去を知っていたわけではないと思う。
しかし奴はバカの骨頂ではあるが、案外に鋭い男なので、うららが深く傷ついていたことを感じ取ったのかもしれない。
そこへマネージャーが言った。
「どう、うららちゃん、やれるんじゃない?」
「えっ、でもお客さんは――」
はっとした耳に、ホールからこだまする観客の声援が聞こえたようだった。たぶん、急きょつなぎで出ていた俺の声が、そこまで響いていたはずだ。
「全員、君のことを待ってるよ」
「だ、だいじょうぶか?」
ズールが心配すると、うららは彼の腕をはなれ、ほほえみかえした。その輝くような笑顔に対し、のちにズールはのぼせた顔で、「死ぬほどかわいかった。俺ほどじゃないが」とコメントしている。
うららはみんなに向かい、頭をさげて言った。
「ご迷惑をおかけして、もうしわけありません。もうだいじょうぶです。バンダナ、ありますか?」
店長が探しにいくと、ズールはバンドメンバーをながめて言った。
「まあ、シュタール弾ける奴はいねえようだからな」
「残りも、全力でがんばります! みなさん、よろしくお願いします!」
うららの力強い言葉に、マネージャーもメンバーたちも歓声をあげ、泣いて喜んだ。だが、それはライブ続行が嬉しいというよりも、ズールがうららの世話役になったことで、自分らが助かった、という安堵の意味が大きかったらしい(これで解放される、というギタリストの涙ながらのつぶやきを、ズールは聞き逃さなかった)。
それほどに、うららはツアー先やレコーディングで、いろいろやらかしていた。気になったズールが、あとでそれらの武勇伝の数々をマネージャーから聞いて、蒼くなったそうである。
しかし以前、彼女と一緒に俺と海子さんにはかりごとをしたときは、そんな奇行はなかったそうだから、どうも仕事や遊びなど、イベント的なことになると発動するらしい。が、彼がみずから「付き人」に立候補したのだから、やめようったって、いまさら手遅れである。
じつはライブが中断してまだ十五分もたっておらず、客はひとりも帰っていなかった。
それは、みんな俺のおかげだったわけじゃない。もうひとり、強力なパートナーが助っ人に入ってくれたのだ。
「なんかやって、つないどいて」と、店長にギターを渡されたときはさすがにビビったが、うららのマネージャーの頼みらしいから、しょうがない。しかしバンドやってる店員さんだっているのに、なんでバイトの俺が、と思ったが、みんなほかのことで手いっぱいだから、やはりしょうがない。
でも、なにやったらいいんだ。バンドはやってても、ジャンルがジャンルだから、同じことしてアイドルのお客に受けるとは思えない。だが、ふつうの歌をやるにしても、女性アイドルの客が、見知らぬ男の歌を見てうれしいとは思えない。
「引っこめコノヤロー」は必至と覚悟し、ギターを持ってステージにあがり、立ちマイクにあいさつしたが、予想に反して客席はしんとし、野次はまったく飛ばない。だがこれは、「なんか出たけど、いちおう見てやるか」という試験のような状態だから、かえってきつい。いきなり物でも飛んでくれば逃げる口実にもなろうが、これはもうやるしかない。歌はとんとやっていないが、昔みたいに「死ね」「死ね」わめくわけにもいかない。おまけにギターはアコースティック。エレキ以外はさわったことないのに、いきなりだ。
それでもしょうがないから、今は亡きパンクゴッド、遠藤ミチロウ先生の歌とか、知ってる曲を耳コピでやったが、あまりにも下手なだけではなく、たたずまいも存在感も最悪なので、客のそこらで失笑がおきた。やべえ、逃げたい。
(いや、これはあくまでつなぎなんだから、むしろ笑われたほうがいいんだ)
そう思いなおし、ダッセえ歌い方で続けていると、誰かがぬっと目の前に出てきて、ビビった。そのきゃしゃな女は、目を吊り上げて怒った。
「なにやってるんですか、みっともない!」
なんで海子。用事があったんじゃ。
「そこはステージでしょ。本番なのに、そんなふぬけてて、どうするの」
黒中心のシックなドレスで決めていて、胸に花のブローチまであって、見とれるほど美しいが、今はそんな場合ではない。苦手な歌を無理してがんばってるのに、あんまブーブー言われて、カチンときた。
「そんなこと言うなら、お前が歌えよ」
「歌はうたわないと言ったでしょう。ダンスだけするから、ギターをおねがい」
そして、俺の横でいきなり両腕をあげ、指をパチンと鳴らし、かかとでカッカッとステップを踏みだした。なんとフラメンコである。
そんなこと、できたのかよ?!
だが客は大喜びで、手を叩いて騒ぎだした。ちっ、アイドルの客は、やっぱ女のほうが受けるか。
俺はしょうがなく、彼女のステップにあわせてギターを弾きだしたが、フラメンコなんてやったことない。とりあえずメンコっぽいコードにすりゃいいかと、デスメタルによくある、ただ半音あげては戻すだけの、不気味なアラビヤンふうのメロで弾いた。
リズムがあうと、なんか楽しくすらなってきた。海子は軽快にステージを横切って踊り、客たちも俺のギターにあわせて手拍子してくれる。こ、こんなこと、生涯で初めてだぞ。
海子のドレス姿も、このために着てきたんじゃないかと思うほどに、このエキゾチックな雰囲気にバッチリはまっている。これでバラでもくわえたら完璧だ。
俺の前に来て、腰ふって媚こびなウィンクまでする。たまらん。そのぬけるような美麗さに、頭破裂して倒れそう。自然と指に力が入り、空気を切り刻むような鋭いカッティングになる。まるで上手いかのようだ。
(いま俺は、ジャズメンか、ブルースメンだぜ!)
(イエー!)
なんて、いい気になると、間違った。
でも楽しい。生きててよかった。
海子もそうだったらいいな。
数分ののち、とりあえず俺がフィニッシュかけようとすると、いきなり耳障りな金属音がガンガン始まって驚いた。
見れば、いつのまにかピアノについていたうららが、キーをデタラメにたたきまくっていたのだ。すさまじい演奏なので、おそらく初めてなんだと思うが、連なる山脈を巨大なドリルでかたっぱしから削岩していくような、すんごい重厚な不協和音だった。
ともあれ、うららがめでたく復活したのだ。彼女が手を振り、客から歓声があがる。俺がほどよいところで終わると、海子もガーンとポーズを決めて終了、うららはいくぶんあとをひいて、やめた。
嵐のような拍手につつまれて、三人並んで会釈するあいだ、俺の頭の中には、うららの重く破壊的なピアノの音色が、いつまでも鳴り響いていた。
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