七、うらら、うらら

「まずいよまずいよ本当まずいよどうしようあああ」

 書斎で頭を抱えてぶつぶつ言う雄二に、俺はやれやれと腕ぐみして言った。

「今度は、なにを悩んでるんだ? 最近、精神が不安定だぞ。あの可愛くてニコやかな癒し系だったお前は、どこへ行ったんだ」

「とにかく、今回だけは本当にヤバいんだってば!」と机をビターン! と叩き、すぐ手を引っ込めて、机上に突っ伏した。

 しばらくそのままなので、俺は真顔で聞いた。

「痛かったか?」

 彼は突っ伏したままうなずき、おもむろに顔をあげた。少しは落ち着いたようなので、テーブルにおいてあるお茶のカップを渡した。

「だいじょうぶか?」

「う、うん、ありがと……」

 言いつつ、ふうふうしながら飲むと、やっと事情を話しだした。



 彼、有栖川雄二は売れっ子の小説家で、ペンネームも同じである。顔も詳しいプロフィールも、すべて彼の意向でふせてあり、読者が知っているのは名前と性別くらいだが、あとのは女性が男の名前を使うことはあるので、やはりそれも不明だといっていい。

 なぜ秘密かというと、彼が性格的にキャーキャー言われて注目されるのが嫌いだからで、バンド活動も最初は人前で目立ちたくない、と断っていたくらいだ。それでオカリナのほうは、Yという簡単な名前を使っている。これなら絶対バレないだろうと思っていたようだが、どうも甘かったようだ。


 雄二は、両手で握るカップに口を隠し、ゆれる黄色い茶面を深刻に見つめながら言った。

「このごろ、街に出ると、誰かに見られている気がするんだ。はっと振り向くと、人影がさっと塀の向こうに隠れる。そんなことが頻繁に起きてる」

「そんなの、普通のことじゃないのか? 雄二は隠してるとはいえ、本当は有名人なんだし。少しは情報がリークしてもおかしくないだろ」

「オカリナに入る前は、そんなことなかったんだよ!」

 叫んでカップを机にどんと置き、首をふる。

「ステージで演奏しだしてからだ。きっとライブで僕を見た奴が、僕の正体を探ってるにちがいない」

「考えすぎだろ」

「だって、人前で顔を出してるのはあれしかないんだし、原因はそれしか考えられないだろ! あーっ、やっぱりやるんじゃなかった!」と頭を抱える。

「そうか」

 俺も茶をすすり、ぽつりと言った。

「じゃ、やめるか?」


 俺がことのほか落ち着いてるのに、彼のほうが驚いたようだった。

「えっ、えっ、な、なんで、そんな簡単に」

「だって、お前は世間に作家だとバレたくないんだろ? でも、ライブやってると、バレる可能性がある。それじゃ、脱退するしかない」

「そ、そんな、ライブやってたって、防ぐ方法はあるよ、きっと」


 いきなりあわてだすので、俺はやっぱりそうかと思い、カップを置いて続けた。

「俺だって、雄二にやめてほしくない。もしお前のキーボードがなくなったら、オカリナの魅力は半減どころか、三分の……いや、四分の一に落ちる。それほどまでに、お前の存在はでかい」

「ま、また、そんなうまいこと言って……」

 頬を赤らめて目をそらし、口をとがらす。めっちゃ分かりやすい。俺はこんな彼が大好きだ。まあ、誉められたら誰だって嬉しいだろうが、俺の口から出た言葉は、本当に本音だった。自然にぽろっと出た。


「そうすると、どうやってそのストーカーのしっぽをつかむか、だな」

「じつは、心当たりがあるんだ……」

 いきなり言われて驚いた。

「な、なんだよ、そういうことは早く言えよ!」


「これ見て」

 差し出したノートに、いくつか名前が箇条書きにしてある。出版社だったり、人名だったりする。

「僕なりに調べたんだけど、ヤパナンでいちばん有名な写真週刊誌が、このマイルドスピークだ」

「頭わるそーな名前だな」

「毎号、芸能人やセレブのスクープ写真を載せてバカ売れしてる、僕みたいな名の知れた連中の天敵さ。まだオカリナはアングラだけど、ラウドミュージックの界隈では、名前がじわじわ浸透してるじゃない」

「そうなのか?」

「そうなの。音楽雑誌くらい読みなよ。てか、クイック・ヤパナンのインタビュー受けたじゃん」

「あー、あの芸能から文学から、幅広く扱ってるカルチャー雑誌ね」

「あそこから取材に来るなんて、けっこうな知名度だよ。マイルドスピークが噂をきいて、目をつけてきてもおかしくない」


「しっかし、顔をまったく出してないのに、お前が作家の有栖川だと分かるもんかね?」

 けげんになった俺は腕ぐみし、ややうつむいて目を閉じた。

「出版社に行ったりはしてるから」と雄二。「もしそこで誰かがひそかに写真を撮っていたとしたら、そして、そいつがライブに行くか、あるいは雑誌のインタビュー記事を見たりしたら――」

「一発でわかるな。てかさあ」

 なんかめんどくなって、椅子に背をもたれて伸びをした。

「もう、世間に顔だしちゃったらいいじゃん。ファンにたかられたくなかったら、変装して外出すればいいし」

「それが嫌だから、こうして相談してるの」

 その真剣な顔を見て、(これはもしや、深い事情があるのかも)と思いなおした。


 思えば、こいつも俺と同じ学校のいじめられだった。人にたかられると、そのころの無残な経験を思い出して、パニクったりするのだろうか。それなら、わかる。


「わかった、俺が調べて犯人をつきとめてやる」

「ほ、本当?」と、久しく見なかった、あの満面の笑みになる。うおっ、まぶしっ。「ありがとう、和人!」

「お、おう、まかせろ。リーダーのつとめだ」



 なんて胸をどんと叩いたものの、考えたら、やっぱあいつのかんちがいの可能性のが高いよな。

 街を歩きながら、もらったノートをあける。この資料によると、マイルドスピークは今日の午後三時から、ヤパナル・テレビの前で網をはるらしい。こんな情報が手に入るなら、敵の正体くらいすぐ分かりそうなもんだが、きっとあんまり動くとバレるから、これで限界なんだろう。


 ヤパナル・テレビの建物は、一般の建築物と同じくレンガづくりだったが、壁が白く塗られていて、向こうの世界のビルを思わせて目立つ。

 この世界は、見た目は中世ヨーロッパなのに、電気は通ってて車は走ってるわ、飛行場から飛行機も飛んでるらしいし、これがもし小説の設定だったら、メチャクチャいい加減である。ばきっ(作者が自分を殴る音)。


 だから一般家庭に冷蔵庫みたいな電気製品もあるし、テレビもあって、画面のそばに付いているボタンを何度も押して、チャンネルを変える。ほとんど日本の昭和くらいの文明度だ。

 ないのはネットとパソコンくらい。したがって、電話はあるがケータイはない。昔の日本人は、急に誰かと連絡を取ることになったら、街中で苦労して電話ボックスを探したそうだが、ここもまったく同じだ。


 いま俺の脇にある電柱のちょい先に、赤塗りの電話ボックスが、ポストみたいにでんと立っている。まっ昼間だからか、局の前は人影が少ないが、芸能屋なんてスナイパーと同じだから、どこかに隠れているんだろう。俺がいることも丸バレかもしれない。

 しかし、なにやってんだ俺。


 仮にそのマイルドさんの記者が出てきたとして、どうすんだ。そいつに、「有栖川先生の正体を探ってるんですか」って聞くのか? いや、逆に「それについていいネタがある」とか、だまして内情を探るって手もあるが、じつは本当に雄二のただのかんちがいで、向こうにその気がまるでなかったら、やぶへびもいいとこだ。いま来たのは、たんに資料にマイさんの今日の行動が書いてあったから、見に来てみただけだ。

 意味ねえ、帰るか。

 ところが、そう思った矢先だった。



 入り口から人が出てきた。とたん、いきなり俺の隣のかん木の裏から、ざっと二人の男が飛び出し、そっちに駆けていった。二人ともトレンチコートで、ひとりはパラボラアンテナみたいなでかい銀のフラッシュがついたカメラをかかえ、もうひとりは、その出てきた誰かに向かってメモをひらいてしゃべりだした。いにしえのアメリカ映画に出てくる記者かよ。剣と魔法はどこ行ったんだよ。

 なんて突っ込んでる場合じゃなかった。


「○○子さん! ××夫さんとは、どこまで進んでるんですか?!」

 メモ男が、その女性にまくしたてたが、相手はきょとんとして、意味が分からないというふうだ。胸から黄色いリボンを下げたセーラー服の白い夏服に、下はグレーのスカート。どう見てもただの女子高生なうえ、外見は幼い。背は小柄で髪はツインテ、小学生のような愛くるしい丸顔は、まさにロリキャラそのもの。これに向かって、男との関係を聞くなんて、どうかしてるとしか思えない。


 彼女があんまり困ったら助けようと思ったが、いきなり言った。

「私、○○子じゃありません。私は――」

 いきなり目をほそめ、口元を吊り上げて、両腕を熊が襲うように振り上げ、声をいかにも一生懸命ドスをきかせようとするように低めて、叫んだ。

「うらら・うららだああー!」


「はあ?」

 二人はわけが分からないという顔になったが、急にカメラを持ったほうが、もうひとりに「おい、あっちだ!」と言った。ふたりが向いたほうには、また入り口から出てきたばかりの女性がいた。そっちは完全に大人で、ふたりを見るや、疾風(はやて)のごとく逃げ出した。

 ジャーナリストたちは「○○子さん! 待ってくださーい!」「××夫さんとのご関係はー!」などと追っていき、あとは、路上にロリがひとりで取り残された。



 安心するかと思いきや、暗く沈んだ顔で足元をずっと見つめているので、俺は出ていって声をかけた。

「えっと、だいじょうぶかい?」

「や、やっぱり、ダメなんだ……」

「えっ、なにが?」

「見てください!」

 いきなり、またさっきと同じように熊襲来のポーズになり、険しい目をして大げさに口をあけて笑い、「私は、うらら・うららだああー!」と叫ぶ。なんのつもりだと、あっけにとられた。

 が、俺が反応しないので、その「うらら」さんは、また腕を下ろし、がっかりした目を路面に落とした。

「あーあ、やっぱり怖くないんですね……」

「えっ?」


 ようやく分かったのは、どうも今のは俺を脅したつもりだったらしい、ということだった。そういえば、その動きといい、表情といい、考えたら、必死に自分を邪悪に見せようと、がんばっていたように見えなくもない。というのは、その顔も声もしぐさも、あまりに可愛すぎて、怖がらすとかいう負の意味あいは、まるで感じられなかったからだ。

 そして、それが彼女にとって、非常に残念なことだったようである。


 だが、すぐに顔が落胆からイライラにかわり、うつむいたまま両のこぶしをぎゅっと握った。

「おかしい……! 私がちょっと表情を出せば、世界はすさまじい恐怖につつまれ、たちまちのうちに阿鼻叫喚の地獄が現出するはずなのに! きっと、怖さが足りないんだ。がんばって、もっともっと、すごくしなきゃいけない……」


「い、いえ、あのですね」

 どこから突っ込んでいいか分からなかったが、とりあえず言った。

「えーと、うららさん、でいいのかな?」

「はいっ」

 背筋を伸ばして、礼儀正しい返事をする。朝日に輝く朝つゆのような、きらっとした可愛さだ。

「本名は『浦賀うらら』ですが、芸名は『ウララうらら』です。私、女優志望なんですが、あっちの世界では、極悪商会に入りたかったんです」


 あっちということは、彼女もまた転生組らしいが、極悪商会というのには驚いた。それはあっちの世界にあった役者の組合で、悪役専門の役者のみが入れるという、ゴツいところだった。

 ドラマや映画にそこの所属の男優がよく出ていたと思うが、浮かぶのは怖い顔の男ばかりで、女優なんて聞いたことがない。もちろん、悪役専門だからってふだんから怖い顔ではなく、そういう人がチャーミングな笑顔で映ってるプロフィール画像をネットで見かけたことはある。きっと本番ではくるっと変わって鬼の形相になるのだろう。だから、見かけが怖そうでないからって一概には言えないとは思うが……。


 この人は――こんなことを言うと失礼だが――、今の必死の動きと表情を見る限り、どう見ても悪役に向いているとは思えない。アイドル系、いやむしろ、それ以外の役どころなど到底考えられないほどの、キュートさ、可愛いさが爆発したルックスなのだ。


「えっと、うららさん、なんで悪役になろうと思ったの?」

 俺が聞くと、ウララうららは目を輝かせて言った。

「だって、私くらい恐ろしくておぞましくて、身の毛もよだつほど気持ち悪い顔の女、いないじゃないですか!」

「はあ?!」

 いま言ったことと完全に真逆の、かわいさ爆発のロリ顔をきらきらさせて、彼女は夢見るように続ける。

「私、この怖すぎる顔で世界を恐怖のどん底にたたきこみ、すべての人を、私の顔がちらついて半月は寝られないほどに、凍りつかせたいんです。この醜く、きたならしく、誰もが目をそむける化け物の形相を、世間に思いっきりさらしてやるのが、私の夢なの。あー、うっとり」


 醜く、きたならしいって……。

 化け物って……。


 俺はショックで、しばらく口がきけなかった。

 それを見て、きゃっきゃとはしゃぐ彼女。

「あっ今、ビビってますね! この私のすさまじいおぞましさに、心の臓まで打ち震えている! やったああー!」

「い、いや、あのね……」

 なにか言おうとしたが、言葉がでない。いくら「君は可愛い、醜くなんかない」とか「怖くない、むしろ癒される」とか言おうが、ここまで思いこんじまってるものが、そうそう変わるはずもない。

 むしろ、なんでこうなったかが問題だ。


「えっとうららさん、君はどうして死んだの?」

「自殺ですよ」

 やや首をかしぎ、柔らかい笑みをたやさずに言った。

「急に、なんもかんも嫌になって、それで、ぽーんと」

「落ちて……?」

「そう、落ちて。学校の屋上から。私、昔からなんでも簡単にぽーんてやっちゃうとこあって。小学校の遠足で、山道から何メートルも下の川に飛び込んだことあるし。浅くて、骨折しましたけどね」


「家庭はどうだった? 不幸だった? 幸せだった?」

「不幸ってことはなかったですよ。ただ、お父さんには嫌われてましたけど」

 そして、にっこり笑って言った。

「なんかね、私にいつも『こっち見るな、お前の目は気持ち悪い』って言うんですよ。ひどいでしょ。

 あっ、でもお母さんもお兄さんもいい人だし、それをのぞくと、問題なんかなにもありませんでした。それに父に嫌われるったって、あまり口きかないとか避けられるくらいで、ささいなことです」

 あー、親父が元凶だな、こりゃ……。

「誰に嫌われだって平気です。父だけじゃなくて、家族にもさすがに誰にも見せなかったけど、私、自分のこの恐ろしい顔が、すごく気に入ってるんです」

 そして、ゆっくりと目を見ひらいた。大きくて、ぐりぐりして、眼力が強いとは思ったが、ぜんっぜん、怖いとは思わなかった。


 怒りが、むらむらわいた。

(こ、このくらいで気持ち悪いとか、脳うんでんじゃねーのか?!)

(きっと、てめえがてめえの目を嫌ってて、娘がそれに似てたってだけだろ!)


 彼女の父親のことを呪うと同時に、自分の過去の嫌な経験もガーッと思いだしちまった。

 気がつくと、目から涙があふれていた。


 それを指して、叫ぶうらら。

「あっ! 私の顔のあまりの怖さにビビって、ぼろぼろ泣いているっ! やったあああー!」

 小躍りして喜ぶ彼女の前で、俺は突っ立ったまま、いつまでもはらはら泣き続けていた。

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