五、絶叫ノイズ女とバンド組んじゃった
だが、メンバーを雄二の部屋に集めて彼女を紹介したとき、彼らの反応はかんばしくなかった。ズールは例のごとく少女の格好で椅子にふんぞり返って何も言わず、彼女を不機嫌そうに、ただじろじろ見ていた。
だが、いちばんひどかったのは雄二だ。部屋に入ってきた彼女を見るや、いきなり世界の崩壊をまのあたりにしたような顔になり、上ずった声で「うわあああー!」と叫んで、俺に抱きついて泣き出したのだ。もちろん、俺はたまげた。
「ど、どうしたんだ、おい?!」
「た、たすけてええ! 殺さないでええ! 殺さないでええ!」と、俺の胸に顔を左右に何度もこすりつけ、おびえきって繰り返すだけなので、途方にくれた。
するとズールが腕組みし、真顔で言った。
「ラッキースケベだな」
「ええっ、お前、女にビビると興奮するようなマゾだったのか?!」
思わず雄二に聞くと、ズールが困惑した。
「いや、そういうことじゃなくてだな……」
「あのう、いったい、これは、どういう……」
海子さんが口をはさんだが、ズール以上に困惑していた。あたりまえだ。誰かが自分を見るや、恐怖に絶叫して泣き出したのだ。そうとう嫌なシチュエーションである。
だが、彼女は雄二を見ていて、不意にあっと声をあげた。
「あ、あなたはもしや、お隣の……」
「ゆ、雄二だよ……」
やっと震えが減って、恐る恐る後ろを見た彼は、いまだあごをガクガクさせながら言った。それを勇気で飲み込むようにいったん目をつぶり、やっと落ち着いた声を出した。
「有栖川雄二」
「やっぱり、有栖川さんのところの、雄二くんでしたか! 大きくなりましたね」
急にニコやかになる海子さんに、今度は俺たちが困惑した。
「ええと、もしやお二人は、幼なじみですか……?」
「はい」
海子さんが笑顔で答えても、雄二のほうはまるで態度が変わらない。彼女を指さして毒づく。
「な、なじむわけないだろう! こんな恐ろしい女に!」
「な、なんかされたのか、雄二?」
俺が聞いても、彼はむくれたようになかなか答えない。だが、海子さんが、はっとして言った。
「もしや、あれを見てしまったのですか……?」
ぎょっとした。なにをやったというのだろう。雄二がこれほどおびえるくらいだ。まさか、殺人……?!
俺の懸念に気づいたかのように、彼女はため息をついて言った。
「おかしいとは思っていたんです。あのあと、あなたは急に私を避けるようになりましたね。それまではふつうにご挨拶もしていたし、幼稚園のころには、一緒に遊びもしたのに」
そして、話しだした。
彼女のやった、ある恐るべき悪魔の所業を……。
「風祭家は、地域では名の知れた財閥で、私はそこの長女として生まれました。令嬢のたしなみとして、幼い頃からいくつも習い事をしてきましたが、それを当然と思っていたので、苦にはなりませんでした。
有栖川家は、畑を隔てたすぐお隣で、幼少のころから雄二くんとは、お友達としてお付きあいをさせていただいていました。お付きあいといっても、畑や公園で一緒に遊ぶような、たあいもないことでしたが。
ですが、小学校にあがると、習い事の数が一気に増えました。週の学校以外のすべての自由時間を埋めつくす膨大な授業に、私はストレスがたまり、ある満月の晩、ついに自分の部屋の窓から脱走しました。
でも、なにをどうすればいいのか分かりません。ただ、むらむらとやり場のない怒りが小さな体いっぱいにふくれあがるばかりで、私は這うように畑の中を走りました。ふと、畑のはずれに三十センチ四方ほどの鉄板が落ちているのを見つけました。なにも考えずにそれをひろい、ふつうなら地面にたたきつけたり、踏みにじって終わりでしょうが、私の場合は、しゃがんでそれの端を、地にこすってみました。
「ガリッ」という耳障りな音がしましたが、そのとたん私の中に、何かのスイッチが入りました。それがとても心地よく、そして暴力的な快感というのか、甘い、悪魔のささやきのような怪しい魅力を感じたのです。それがノイズへの目覚めでした。
私は小石をひろうと、それで鉄板の表面を上から下へ強くこすりました。キイィィィィという、金切り声のようなすさまじい音があたりに響き、それは私の中へなだれ込み、全身の血が残らず沸騰したと思いました。私は夢中になって小石で鉄板を何度も何度もこすりまくり、狂ったバイオリンみたいな、小動物の断末魔の叫びのような音を、えんえん奏で続けました」
「そう、それだよ!」
いきなり雄二が割って入り、耳を押さえる仕草をして叫んだ。
「あの音! 耳を切り裂くような、心臓をもぎ取るような、地獄のおたけび! 君があれを出していたとき、僕はすぐ後ろの林にいたんだ!」
「えーと、ちょっと待て」
ズールが、どっちらけた顔で片手をあげて言った。
「てえことは、つまりなんだ、このお嬢さまが鉄板からキイキイ音を出してるのを聞いて、おめえはもんのすげえダメージを受けたと、こういうことか?」
「だ、だって、そうだろ!」
こぶしを握り締めてわなわなと震える雄二。
「あ、あんなひどい音に耐えられる奴は、人間じゃない! まして、それを楽しむなんて、魔物だ! 妖怪だ! じっさいこいつは、それをニヘラニヘラ笑いながらやってたんだぞ! これが恐怖でなくて、なんだあああ――!」
あまりのしょうもなさに俺が脳天にチョップ食らわすと、やっと黙った。
「確かに、ガラスをこするようなキイキイ音は俺も嫌だが……」とズール。「ギターのノイズと、たいして変わんねえんじゃねえのか?」
「ぜんぜんちがうよ!」と雄二。「ただ耳に痛いだけで、なにも快感がないじゃん。あんなのは生理的に受け付けない。聞いてるだけで生理になりそうだ」
「そういや、女の体になってると、そのへんってどうなんだろうな」と自分の股間を見下ろす。
「えっと、この人……」
海子さんが耳打ちするので、モジックで女になっていると教えておいた。早く知っとかないと、あとあと面倒だから、ちょうどいい。
だが、なにもちょうどよくないことを続けるズールに、俺は言った。
「いま、その話はいいから」
そして雄二を向き、小さい子供でもさとすように、その小さい両肩に手を置いて言った。
「なあ雄二、じつはこの海子さんに、うちでボーカルやってもらいたいんだ」
「じ、冗談だろ?!」と身を引いてビビる。「あの地獄を一般公開させるって? 社会に何か恨みでもあるの?!」
さらに話そうとした俺に割り入り、海子さんが彼の手を取って、両手で包んだ。彼は一瞬ぎょっとしたようだが、恐る恐る上目で見た。
「雄二くん」と真剣な目で言う海子さん。「あのとき、あなたをひどく傷つけたことは謝ります。でも、あのころはまだ小さいうえに、あまりのストレスで頭がどうかしていたから、どんな耳障りな音でも、とにかくうるさい音を立てられれば、それでよかったの。そのあとは、もっと聴きやすくて楽しいノイズのほうに行ったから、あんなのは、あれきりよ」
「ほ、本当に? 鉄板とかガラスを引っかいて、キーキーさせたりしない?」
彼女はすっくと立ち、凛とした顔で言った。
「ライブを観てくれれば、分かるわ」
数日後、パロロのライブを見おわり、雄二はステージから去る海子さんへ、斜にかまえた目つきを放ちながら、俺に言った。
「まあまあ、だね」
「ふーん、そうか」
「なんだよ、僕は『まあまあ』だと言ったんだ」と、むきになる。「最高だなんて、ひとことも言ってないぞ」
「そーだよねー」
そう言う俺の目が笑っているのが、彼は気に食わないらしく、いつまでも頬を赤らめてふくれていた。
だが、いくら毒づこうが、俺は気にしない。ステージでのたうつ彼女を見て、雄二のただでさえきれいな目が、星空みたいにきらきら輝いていたのを、確かに見たからだ。その宇宙のような瞳には、ひとすじの流れ星すら流れた(うそ。移動したライトのあとが映っただけ)。
「こりゃあ、彼女に絶対に入ってもらわにゃ、うそだな」
外で出待ちしているあいだに、めずらしく男の格好のズールが言った。それしか男の服がないから、学蘭である。
初めはうさんくさく思っていた奴も、海子さんの圧倒的なライブパフォーマンスに、すっかりほれこんだらしい。俺もうれしくて、ガキのようにはしゃいだ。
「だろ?! だろ?! だよなあ!」
「語尾ばっかで、ぜんぜん分かんねえぞ」
だがこうなると、メンバーの最後のひとりが問題になる。果たして雄二は、海子さんのバンド入りを承諾するだろうか?
あのライブを観ていたときの、彼のきらきら目を思えば、もう答えは決まったようなもんかもしれない。だが、こいつはかなり慎重な性格だから、油断はできない。また幼児期のトラウマを思い出して、考え直しちまった可能性もある。
あのとき俺たちは笑ったが、あとで考えたら、子供のころの体験てのは他人には笑えても、本人には、その後の人生を左右するほどの重大事だったりする。それは他人には決して分からない。
俺にだって、きっとそういうのはある。昔のことは思い出さないようにしてるだけだ。
前世の記憶なんぞ、ただの夢なのだ。覚めちまえば、なんでもない。ほっとするだけだ。
「で、どうだ雄二」とズール。「うちのオカリナ・カナリヤへ、風祭海子にボーカルとして入ってもらうことに、賛成か?」
「ぼくはね……」
急に暗くうつむいたので、ぎょっとした。
(あっ、ヤバいのか、もしかして?!)
そこへ、海子さんが出てきた。たかってきたファンたちに握手したりサインしてから、こっちへ来たが、雄二がずんずん寄ってきたんで、足をとめた。街灯の白い光に照らされた彼女の顔は、勇者のようにきりりと引き締まり、死ぬほどかっこよかった。彼女のほうが雄二より少し背が高い。
彼も、彼女に負けないほど真剣な顔で見あげ、言った。
「海子さん。いえ、ウミちゃん」
「はい」
幼いころの呼び方をされたのか、答えた彼女の目は見開いた。彼は、すぐに続けた。
「ぼくのバンドに、ボーカルとして、入ってくれますか?」
「ええ。私でよければ……」
そう言って、彼女はうっすらと涙ぐんだ。その手をとり、雄二は、すまなそうに微笑した。
「たった一度きりのことで、君のことを決めつけて、ごめん。すばらしいライブだったよ。ウミちゃんとなら、きっと僕らはどこまでも行けると思う」
「ユウちゃん……」
彼女も子供のころの呼び名が出て、二人は笑った。俺たちも笑った。残って見ていた数人のファンたちから、ぱちぱちと拍手がおきた。さすがに恥ずかしくなったのか、二人は手を離してうつむいた。いかん、間が悪い。
ここは俺の出番だった。俺はファンたちに向かって宣言した。
「風祭海子は、たったいま、俺たちのバンド、オカリナ・カナリヤのボーカルになったぜ! 以後、よろしく!」
「うわっ、ダサぁ……」というファンたちの言葉も、俺たちのテンションを止めることは出来なかった。だが、実はそのとき、俺以外のメンバー全員が、内心では「やっぱバンド名、変えたほうがいいんじゃ……」と思っていたらしいが。
練習スタジオに海子さんが来た初日、練習前の打ち合わせで、雄二が「ううっ、やっとまともなことを言ってくれる人が入ってくれた!」と泣いて喜んでいた。そこまでひどかったか、俺ら。
しかし、彼女の加入でサウンドの幅が広がり、ノイズとラウドロックを組み合わせた、面白くて先鋭的な曲がわんさと出来た。叫ぶ曲ばっかじゃ、彼女の喉がヤバいのと、たんに飽きるからという理由で、スローとか、静かな奴も作った。また、彼女だけでなく、曲によっては、ほかの三人も時おりギャースカやって、あいの手を入れた。バック・ボーカルならぬ、バック・スクリームである。
ただ海子さんは、歌だけは決してうたわなかった。たまに誰かがふざけて鼻歌を入れても、自分は必ず叫ぶか吠えるかで、あとは静かにやるときに、低くうなるくらいだった。
その翌週、俺たちはパロロのオーディションに見事合格した。さらにその翌週、ノイズ・ロックバンドのオカリナ・カナリヤは、いよいよデビュー・ライブの日をむかえた。
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