あと１ヶ月で転校する僕の青春ラブコメ

◇◇ 第一話 四月十三日、あと23日・朝（２）

◯

　雑多に入り交じる生徒、声、料理の香り。

　時（とき）小（お）海（み）高校の学生食堂は、今日も盛況だ。

　その一角に席を取った僕と翔は、昼食に手を付ける。

「改めて思うけどよ、あれ本当にゆーか？」

　定食のご飯茶碗を手にしていた僕に、大盛りカレーを食べる翔がスプーンを向けた。

「別人すぎだろ。オレらのガキ大将どこいった？」

「まあ、気持ちは分かる」

　記憶にある『ゆーちゃん』と一致しないのは僕も一緒だ。

　自然と思い出すのは、幼い頃の情景──小学生時代の朝陽悠乃だ。

「オレ、ゆーとケンカになって鼻血噴かされたことあるぞ」

「髪は整髪剤で固めてたし、服装もボーイッシュで、下手な男子より男前だったな」

「そうそう、バレンタインになると、女子からめっちゃチョコもらってたっけなぁ」

　小学生くらいだと、男の子にしか見えない女の子も多くいる。

　悠乃はその上位互換、イケメン系女子とでも言うべき子だった。

「なにせ五年前だからな。別の人間になってて当たり前か」

　口にした味噌汁は、言葉と同じくらい、美味くも不味くもない。

　小学生が二次性徴を経て高校生になる年月だ、心身ともに別物だと言うべきだろう。

　お互い名前を聞いて、すぐに思い出せただけでも、情が深い方ではないか。

「オレらの知ってるゆーはもういないってことか。なんか切ねぇな」

　僕の胸中に生じたささやかな感傷は、翔の口から言葉にされた。

「いないは大げさにしても、どう接したもんか……」

「ん？　どうって？」

「まさか小学生のノリで接するわけにもいかないだろ？　かといって他人行儀なのもな」

　同じ異性の幼馴染でも、千亜希となら成長の過程で細かな機微を調整できた。

　しかし悠乃との間ではそれができていない。更新は小学生時代で止まっている。

「悩むとこか？　いったんリセットして、同級生として接すりゃいいんじゃね？」

　翔はテーブルに肘をついて呆れた顔をする。不作法め。

「それは……まだダメだな」

　提案は悪くないが、いまは退ける。

「悠乃からすれば、前に住んでたとはいっても、周りはほとんど初対面の人ばっかりだ。数年ぶりに会えた幼馴染、なんて漫画みたいな縁でも頼りたいかもしれない」

　もし自分が悠乃の立場なら、転校先で友達ができるかどうか不安に思う。

　そこに幼少期を共にした幼馴染がいたら幸運だ。教室に溶け込むきっかけとなる。

「なのに僕たちが『もう昔のことだよね』なんて態度だったら、違う意味に取られかねない。リセットするなら、悠乃が問題なく教室に溶け込んでからだ」

「もし溶け込めなかったときのセーフティになると」

　翔に意図は伝わったようだが、顔は変わらず呆れたままだ。

「セージは考えすぎだろ、なるようになるって」

「ショウこそ思考放棄しすぎだ。もうちょっと考えてやれよ」

「考えるってなにをだよ？」

「このまま順調にクラスの女子と仲良くなれるか、手術したっていう体に不調は抱えてないか、そもそも転校してきた事情は──どれも問題なかった場合から、孤独化して難病が再発して生活環境も深刻だった場合まで。生きろ、悠乃」

「ぜってー考えすぎだろそれ、お前そのうちハゲるぞ」

「ハゲる歳になってから後悔しないためだよ」

　考えすぎかもしれないが、僕なりの、幼馴染に通すべき筋だ。

　名前に誠の一字を掲げている以上、できるだけ誠実に生きるのが、密かな信条なのだ。

「それでフリーズしてりゃ世話ねぇわ。お前、勉強できるけどやっぱバカだよな」

　悪気なく笑う翔に、割と図星を突かれた。

　考え込んで結論を出せずに機を逸するのは、自分でも自覚している悪い癖だ。

「そうか、ショウもようやく真面目にノートを取れるようになったんだな」

「待て待て。ほら見ろ、ゆーたちが飯食ってるぞ？　とりあえずボッチは回避してる」

　翔に促されて振り返った先では、悠乃が昼食をとっていた。

◯

　そのとき──朝陽悠乃は、食堂でお弁当を開いていた。

「ゆーちゃんのお弁当、すごくヘルシーだね？」

　隣の千亜希が、弁当の中を見て、目を瞬いている。

　サンドイッチで済ませようとする千亜希も小食だけど、自分のお弁当はそれ以下だ。

「皮を取り除いた鶏肉に、ほうれん草に煮豆……病院食みたいに気を遣ってますね？」

　対面席の女子は、副委員長の望月さん──眼鏡をかけた淑やかな子だ。

　折り目正しい食事作法で、日替わり定食に箸を延ばしている。

　こちらの献立を確認したその顔には、憂いが過っていた。

　手術と聞いたが、もしや退院後も食事に制限が生じるほどの大病だったのか──と。

「び、美容と健康のためだよっ！」

　物証を消すように箸を進めつつ、話題を変えにかかる。

「そういえば、誠治くんって高校でも委員長してるんだね？」

　千亜希に話を振ると、健康状態についてはひとまず置いてくれた。

「小学校の頃からずっとだね。中学では生徒会長もしてたよ？」

「あー、言われてみれば誠治くんってそれっぽい。見た目はだいぶ変わったけど……」

　相影誠治──幼馴染の四人組でも、真面目枠だった男の子。

　性格は相変わらずのようだが、外見は大きく変わっていた。

（いまにして思うと、よくあのとき気付いたなぁ、私……）

　救急車で運ばれたときのことだ。

　成人式で古い友人に会うと急に思い出せるものだと、母から聞いたことがある。あれはそういう現象だったのかもしれない。

「委員長って、昔とそんなに変わってるんですか？」

　同じ小学校ではなかった望月さんが興味深そうにしている。

「昔は男子の中でも小さい方だったよね？　眼鏡もしてなかったし」

「女の子と間違われることもあったよね。当人気にしてるから内緒だよ？」

　望月さんは仏頂面の委員長しか知らないらしく、瓢箪から駒が出たような顔だった。

「正直に言うと……昔の庇護欲を掻き立てる可愛い男の子と、いまの若干キツそうな眼鏡青年が、私の中でいまだに一致しなくて……」

　箸を持った指先で額を押さえると、レタスサンドを両手に持った千亜希が首を捻る。

「んー、久しぶりに見る親戚の男の子が、急に大きくなっててびっくりする感じ？」

　千亜希の例えに、「そんな感じ」と頷いた。

「分かります。小学生くらいの頃は女の子が早熟だって言いますけど、逆に言えば、その後は男の子が急に大人びていくんですよね」

　片頬に手を添えた望月さんの言葉には、共感できた。

　なんと言っても、男子は背が伸びる。ちょっと前まで同じ目線だった同年代の男の子を見上げ、逆にこちらが小さくなったような錯覚を覚えたとき、女の子は衝撃を受ける。

　誠治は『見違えた』と言っていたけど、それはこちらの台詞でもあるのだ。

「もしかしてゆーちゃん、誠治くんのこと苦手？　見た目ほど気難しくないよ？」

「苦手ってわけじゃないよっ。救急車のこととか感謝してるしっ。ただ……ほら、まさか小学生のノリで接するわけにもいかないし、かといって他人行儀なのも悪いし──」

　自分でも上手く説明できない。

　子供っぽく扱われるのは嫌だ、でも『大人の対応』で距離を感じるのも嫌だ──そんな複雑な感情を察してくれてか、望月さんはくすりと笑う。

「存外、向こうも同じことを思ってるかもしれませんよ？」

　食堂のどこかからクシャミが聞こえ、唾を飛ばされたらしい誰かの苦情も聞こえた。

「普通でいいと思うんだけど、考えてみればその普通ってなんだろうね？」

　千亜希はこちらの悩みを理解しつつ、その解決策が浮かばないようだ。

　箸を下ろした望月さんが、ナプキンで唇を拭ってから口を開く。

「普通はさておき、打ってつけの機会ならありますよ？　親睦会です」

　親睦会と聞くと、千亜希はハッとしてスマホを取り出す。

「そうだった！　ゆーちゃん、今日の放課後って時間あるかな？」

「放課後？　部活を覗いてみようかと思ってたくらいだけど……親睦会って？」

　望月さんが説明してくれる。

「新学期なのでクラスの有志で親睦会をしようという話があったんです。でも朝陽さんの登校が遅れてしまっていたでしょう？　仲間外れはよくないからということで、委員長が延期にしていたんです」

　どうやら知らぬ間に気を遣われていたようだ。

　その時点では、誠治も『遅れている転入生』が幼馴染とは思わなかったらしいが。

「えっ、なんかごめん。いまからでも参加しちゃっていいの？」

　血相を変えると、千亜希がスマホを取り出して笑いかけてくれる。

「一人増えるくらい大丈夫だよ。ちょっと連絡するね。ＬＩＮＥも交換しよ？」

「私も是非」

「あ、うんっ、交換しよ！」

　喜んでスマホを取り出し、連絡先を交換する。

　望月さんと交換している途中、隣の千亜希が入力したメッセージが見えた。

【親睦会、ゆーちゃんは今日大丈夫みたいです】

　それほど間を置かず、誠治から返信が届く。

【わかった、会長に伝えてから連絡する】

　誠治らしい飾らない文言だ。

　会長とはこの高校の会長だろうか？　なんだか人脈を感じる。

　五年半のうちに増えた、幼馴染たちの知らない一面は、まだまだ多くありそうだった。