02 おきつね男子、ケンちゃん-04

 素朴な疑問が、わたしの口をつく。

「そのぅ、神社の狐たちが咥えているグッズって。ちゃんと意味があるのよね」

 ケンちゃんは神妙にうなずく。

「玉は稲荷神の霊徳の象徴、鍵は、その霊性を身に付けようとする願望であるとも言われます。他にも玉は民草が収穫した稲を蓄える蔵であり、鍵は蔵を開くためのものとも」

「ああ、なるほど。霊性を開く鍵、宝物を開く鍵ということなのね」

「はい」

「でもね? そんな大事なものを失くしちゃったの? どこに? なんで?」

「それが」

 ケンちゃんは唇を、きゅっと閉じた。なんだか相当に、言いにくいことみたい。

 店主は黙りこくったまま、カウンターの内側から徳利とっくりを出してきた。

「どうぞ。これと一緒に」

 ほっそりした指は、切り干し大根が盛られた器を置いた。

 東堂の喉が、ごくりと鳴る。わたしは箸をつけず、続けて問いかける。

「探しているのに、見つからない感じ?」

「そうなんです」

 ケンちゃんは眉間に皺を寄せた。

「自分が行ったところ、通っていた道の隅々やらも。何十回も、くまなく探したんですけど。それこそ、草の根をかきわけて」

「でも未だに見つからないの?」

「ええ。それに両親は学校の教官だったんですよね。だから、ぼく以上に周りの目線も気になったと思う」

 東堂は、切り干し大根を黙々と食べていた。こちらの会話に口を挟まず、黙って聞いているつもりらしい。

「ご両親とは、一緒に住んでいるのでしょう?」

「いえいえ」

 彼は首を横に振った。

「ぼく、これでも親元を離れています。巣離れ、というか。でも、実家が近くにあるのと、ないのとでは精神的に違うっていうか」

「うん」

 わたしと東堂は同時にうなずく。

「単なる転居だったら、まだいいんですけど。職場を辞めて下界に降りてから、どこに住んでいるかはわからなくなりまして」

 東堂が「ふうー」と、ため息をつく。それから、ぼそぼそと言葉をつないだ。

「じゃあ、ご両親は。神さまから預かった『鍵』を失くしたという罪悪感とか、教官としての責任感で『ケンちゃんの世界』から失踪したということ?」

「はい、たぶん」

 おきつね店主は東堂へとうなずいた。

「ぼくがあちこちに詫びた日に、親はふたりとも退職届を出していたそうです。そのあと、一緒に夕食を取ったときに『これからは下界で暮らす』と言われました。でも、どこに住むのかまでは教えてもらえなかった。まあ……一応は“巣離れ”している身なので。あまりこだわっていませんけど、やっぱり少し寂しいなと思うことはあります」

 東堂がケンちゃんを見上げる。

「できれば、ご両親とは会いたいんだろ?」

「はい。できれば、ですが。でも、きっとね。ぼくがひとりでも、ちゃんと暮らすことができていれば、それと『鍵』を見つけて神さまにお返しすることができたら、両親に会えるんじゃないかなと思う。最近、そう感じるようになりました」

 東堂は「なるほど」と口角の端を上げた。

 ケンちゃんが照れくさそうに鼻の下をこする。

「なんとなくなんですけどね、ホントは神さまは知っているんじゃないかと思うんです。両親が住んでいるところ。本当に、ぼくだけの。根拠のない考えなんですけれども」

「あ、そうかもしれないよ? やっぱり、なんといっても『神さま』なんだから、なんでもお見通しなんだろうし。それでケンちゃんが神さまからの預かり物を見つけたら、フワッと現れるとか? ご褒美っぽく」

 わたしの言葉に、東堂が「それも、ありかもなー」と言う。

「それかさ? 俺が思うに、ケンちゃん両親の方でもさ。息子を陰から、ずっと見守ってるとか」 

「ああ……そういえば、母が亡くなる前に『茉莉が困ったときは、いつも側にいるよ』なんて言ってた記憶、あるよ」

「親って、そんなものかもしれないな。ここぞ、という時に『わかる』というか」

 東堂の言葉に、わたしとケンちゃんがうなずいた。

 カウンター内側で、おきつね店主の頬がちょっぴり赤くなる。

「父も母も、この世界……茉莉さんや東堂さんが暮らす世界の片隅から必ず、ぼくを見ていると思う。もちろん、失くしてしまった『鍵』は見つけなければいけないけれど。それが、神さまとの約束だから」

「じゃあ、失くしたものを見つけることと、ご両親と会えるようになることは同じくらいの重さなのね」

 わたしが言うと、おきつね男子が目尻に皺を作った。

「どちらかというと『鍵』探しのほうが優先かな。それができたら、両親と会えるに違いないって確信めいたものがあって。これは上手く説明できないんですけど」

「なんとなく、わかるよ。その『根拠のない自信』。それでいいんじゃないかな。だって何事も、根拠のない自信を持っている人が一番強いもん」

 東堂が、にこにこと破顔していた。

「人間だって心から仲良くなった者同士、距離や時間を置いても信じあえていることあるものな。いったん通じ合った人間とは、どこかしらな。絆めいたものがある」

 そうだよね。

 ずーっと離れている友だちでもなにかのキッカケで再会すると、お互いを隔てていた壁がその場で消えてしまうものね。

「神さまが仰ってました。『親子は不思議なところで、繋がっている。分かりあえる。親が子供を信じている限り、不思議な繋がりは消えない』」

「一理あるかもね。でも今現在の、ご両親の行方が分からないのは、さみしいね」

「はい、それは。ちょっとだけ感じます」

 ケンちゃんは、真面目な表情で応える。

 誰だって大切な人から預かったモノを失くせば、大変なことになる。ましてや稲荷の神さまからの預かりものだ。彼の過ちは神さまの部下というか手足というか、そういう立場での「禁忌《タブー》」なことだったのだろう。

 それに家族が起こした不祥事で、他の家族が住んでいる場所を追われることは珍しくない。ケンちゃんのご両親も、それなりに考えて仕事を辞めたり、転居したのだろう。

「ご両親の考えも、わからないではないけれど、せつないなあ」

 わたしは言った。しんみりとした空気を変えたのは、東堂のサバサバした声だ。

「俺と茉莉ちゃんがきみに呼ばれた理由も、そこらへんに関係あるわけ?」

「はい」

 ケンちゃんはパッと頬を赤らめて、東堂を見た。

「でも、俺たち普通の人間だからさ。神さま仏さまじゃないから、限界があるよ。きつねの親を探すとか、神さまから預かったものを探すとかね。どう考えても、無理じゃん。神社のきつねにしてあげられることなんて、精々が油揚げをお供えするくらいだろ?」

「そんなそんな。そういうことを、お願いするつもりはありませんよ」

「そうなのか」

「はい」

 ケンちゃんの表情が、さっきよりも明るくなった。

「あのう、信じてもらえないかもしれないですけど。ここの提灯が見える人に、来てもらうことが一番なんですよ。お二人には気軽に、ここに寄ってほしい」

「それが『神さまから預かった鍵』を見つけるキッカケにつながること、なの?」

 なんだか、よくわからないけど。

「ええ」

「たった、それだけのことでいいの?」

 ケンちゃんは、わたしと東堂を見ながら何度もうなずく。

「鍵を失くしたことで、学校を辞めさせられそうになったときにですね。神さまから言い渡されたんですよ。辞める必要はないって。それに、おまえは学校の授業を受けることよりも、露天神社つゆのてんじんじゃを訪れる色々な人間を見てきなさい、って」

「ふーん。神さまが言うからには、そうなんだろうなあ」

 言いながらわたしは、こめかみに指をあてた。わからないけど、他ならぬ神社のきつねが言うことなのだから「そういうもの」なのかもしれない。

「でもね? 神さまでもね、失くしものを探せないことってあるのねー。全知全能だと思ってた。それに言っちゃ悪いけど、神さまってケチね。将来の自分のお使いになる子のためにひと肌脱いで、失くし物を一緒に探してあげてもいいじゃないの」

 東堂は、くすくす笑った。

「もしかしたら、さっき茉莉ちゃんが言った通り『神さまは全部お見通し』で、ケンちゃんに探させようとしているのかもしれない」

「ああ、言われてみたら。そうなのかもー。『鍵を見つける』ゴールまで、たどり着くためのポイントが貯まるみたいな?」

「あはは、そういうの神さまが考えるものかね? それはそれで、興味深いけど」

 同期の上司は、愉快そうに体を揺らしながら手酌をはじめた。

「でもねえ、そもそも。ケンちゃんが失くした『鍵』って、本当に紛失とか遺失なのかな。盗難じゃなくって? それも考えてみた? 紛失と盗難は別なんだからさ」

 ふっと思いついた疑問を、ありのままにぶつけている。

「んー、でも」

 ケンちゃんは、鼻の下をごしごしこすった。

「他の誰かを、疑うのはイヤなんですよね……」

 彼の声が、ちいさくなった。

 東堂が耐えかねたように、わたしに身を向けた。

「まあまあ。この子なりに、一所懸命に考えているんだよ。そういう疑問も当然なんだけどさ、まずは俺たちで応援してやろうよ。こういうのも、縁なんだしさ。日々おもしろくない日常だけど、誰かのためになれることなんて、そうそうないんだからさ。ね、茉莉ちゃん」

 なぜか、俺たちで、という言葉が強く聞こえた。

「そうね、東堂くんの言う通りにするよ」

 ほっと肩の力を抜いた笑みを浮かべたケンちゃんが、わたしと東堂の御猪口に酒を注いだ。

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