おひとり喫茶アルケミー

サニ。

1品目【こだわりの珈琲】

 ジェード・V・バロラント。それが自分自身の名前である。バロラント公爵の嫡子として生まれ、今の今まで徹底したお貴族様の勉強を受けてきた。ついでに錬金術の資格も取り、錬金術師として、次期当主として家を支えていくはずだった。のだけれども、どうも自分は貴族社会というものが酷く嫌いなようだ。まあ苦手では無いので、それなりにいい人脈は築けてきた方だと自負はしている。しかしじゃあ末永く、と言われると寒気が止まらない。誰があんな上っ面だけの付き合いを続けようってんだ。こっちから願い下げだわ。

 なのでこのジェード、家を飛び出すことにした。正式には後継者権の放棄。幸いにも話術に長けているきょうだいがいたので、そっちに家のことを全てぶん投げることにした。これまた幸運なことに後継という立場をゲットしたきょうだいからは、正直引くレベルで感謝をされたがそれはまあ置いといて。

 ではこれからどうやって生きていくのか? という問いが来るのは分かりきっている。宛もなく放浪の旅? それともフリーの錬金術師として生計を立てる? いいや、どちらでもない。これからはこのジェード、それら全てを捨てて新たな道をあゆみはじめることにした。



 ────そう、としてね。



【1品目:こだわりの珈琲カフ



 喫茶店をやろうと思い立ったきっかけは、毎日浴びるように飲んでいた紅茶に飽きたことからだった。どこへ行っても出されるのは紅茶、紅茶、紅茶、たまに緑茶グリーンティー、そして紅茶。当時は笑顔を作りつつそれらを飲み干してはいたが、正直毎日飲みすぎて嫌になっていた。あのまま生活を続けていたら、そのうち出されて飲んだ瞬間に限界が来て盛大に吐いていたことだろう。そうなる前に決断できて本当に良かったと思う。本音を言うと酒と珈琲カフだけ飲んでいたい。

 その昔、珈琲カフを顔見知り程度の貴族にすすめられて飲んだ時から、すっかり珈琲カフのとりこになってしまった。口に含んだ瞬間、舌先から伝わる苦味。そして喉元を通り過ぎたころにやってくる口いっぱいのフルーティーな酸味。紅茶にはない独特の味わいが、一瞬にして脳を支配した。そして確信した。これカフを知ってしまった以上、もう紅茶は飲めない、と。いやそれまで毎日飲まされ続けてきたから嫌になったのもあるけれど。

 そこからとにかく珈琲カフを飲みまくった。取り寄せられるものは取り寄せて飲み、自分の足で出向いて見つけた豆を焙煎して、挽いて飲み。町の喫茶店にも寄って、そこでも飲み。自分が求める最高の一杯を追い求め、ひたすらに飲んで分析して、次の豆を探す。最初に苦み、そして終わり際に来るフルーティーな酸味。最高のタイミングで来る品種を探して探して、ようやくたどり着いた豆が、いまこうして目の前にある珈琲豆カフまめである。


「……長かった」


 この喫茶店を構えている場所───クンツァイト帝国の南方に位置する、アレキサンドライト連合王国から取り寄せた、と呼ばれる珈琲豆カフまめは、まさに追い求めていた至高の豆だ。思わず笑みがこぼれる。おっとヨダレが。



 バロラント家が巣としているこのクンツァイト帝国は、クリスタル大陸(どうも円錐形とも見える形らしい)と呼ばれる広大な大陸の北方に位置している。そのため、一年を通してひんやりとした気候であるため、暖かい気候、それも熱帯で育つ珈琲豆カフまめは育ちにくい。運よくいけた、なんて話は聞いたことがないので、クンツァイト帝国産の豆は存在しない。そのために、まず隣の国(といっても地図から見たら下のほうだが)の、ガーネット聖王国のものから選別をしはじめた。

 ガーネット聖王国はクリスタル大陸の中央に位置することもあって、人々の行き来がいちばん多い場所だ。当然のことながら、商人たちもガーネット聖王国に集中する。いちばんの稼ぎ場所だし。各国を練り歩いて集めた掘り出し物や、帝国、連合王国の商人たちによるその国ならではの物産品が色とりどりに集まる巨大なマーケット。それがガーネット聖王国のいちばんの売りだと個人的には思っている。実際人は多いしモノも多い。正直行って帰ってくるのが大変だったのもこの国だったな。まあそれは置いといて。

 ちょうど豆を探しに王国で一番大きなマーケットに足を運んだ際に、たまたま見つけたのがアレキサンドライト連合王国から来たという商人が売っていた、このアレキモカだった。実際に試飲ができるように、テーブルの上に置かれていたカップを手に取って一口飲んだ瞬間に、これだと確信した。自分が求めていた珈琲カフが今ここに現れたのだ。すぐに商人にアレキモカの話を聞き、アレキサンドライト連合王国にその足で向かった。今思うと無謀なことしてるな、自分。

 テンションがハイのままたどり着いたアレキサンドライト連合王国は、見るものすべてが輝いていて見えた。クリスタル大陸の南方に位置するために、常に暖かい気候のその場所は、珈琲豆カフまめが育つのに最適だ。したがって今流通している数多くの珈琲カフはアレキ産が主流である。珈琲カフに魅せられた後から、一度は行ってみたいと思っていたが、こうもすぐに行けるとは。いやテンションが高くなってしまったからこそ、バカなことをしたわけなんだが。

 そこから商人から聞いた生産者になんとか出会うことに成功し、アレキモカを今度構える喫茶店で出させてくれないかと頭を下げた。当初は難色を示していたものの、どうしてもアレキモカでなければならない理由、そしてクンツァイト帝国までの輸送ルートやそれらにかかる金額の全額負担などを提示した結果、最後にはお互いに笑顔で契約が締結した。家の名前はあまり出したくなかったが、こういう時には結構効果があることを貴族時代にいやというほど理解してきたので、使わせてもらうことにした。後継者権を手放して家も出る代わりに、喫茶店への全面協力を書面でももらってるしまあ大丈夫だろ。今だけは本当に貴族出身でよかったと思う。戻らないが。

 こうしてアレキモカを手に入れた後、急いで帝国へと戻り、店の準備に取り掛かる。テーブルやいすの設置、テーブルクロスを敷いて、カーテンを取り付ける。場ロラント家が所有している森の中に位置しているので、昔なじみの妖精フェアリー族にも配置や掃除などを手伝ってもらった。もちろん対価は彼らが持っているシュガーポットの中に入れて。

 あらかた形になってきたところで休憩のために、買ってきたアレキモカの豆を取り出し、それを挽く。妖精たちもその香りにつられて手を止め、こちらへとやってくる。


≪ねえ、。それなぁに?≫


 ひとりの妖精が子供のころからの愛称で呼んで問うた。昔言われたっけな、硬玉ジェードよりかは軟玉ネフライトって感じよねって。少し苦笑いしながらも答えた。これは珈琲カフという飲み物だと。それを聞いた妖精たちはさらに聞いてくる。


≪なんだかとっても、オトナのカオリ≫

≪でもちょっとコドモみたいな味もするネ≫


 その言葉にん? となりながら下のほうを見れば、あろうことかカップのなかに頭から突っ込んで飲んでいるひとりの妖精がいるのがはっきりと認識できた。なにしとんだお前は。ちぎれないように胴体のあたりをつまんで救出してやれば、ウィンクをしながらゴメンネ、とだけ帰ってくる。うそつけ悪いと思ってないだろ。おいしかったならいいけども。


「……まあ、いっか。飲もう」


 妖精に飲まれて少し減ってしまったが、まあいい。



 本日より『喫茶アルケミー』開店……の、前にこだわりの珈琲カフを一杯。



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