48 おから鍋
『時そば』『
時そばを除けば玄人向けの演目。演者は手練れとは言え素人。
聴く側に多大な忍耐を要する『かながわ学生落語フェス』。
三日目の大トリを飾るのは、若干十六歳の豆ちゃんだ。
付き合いでやって来た服部達が寝ぼけまなこで拍手を送る中、小柄でやや猫背の豆ちゃんが現れた。
刈り上げヘアがよほど気に入らなかったのか、白い
事前に演目を公表しないため、出演順が遅くなればなるほど不利になる。
三日間で十二人が出演した『かながわ学生落語フェス』の大トリを飾る豆ちゃんは、一体何を掛けるのか。
仏像は身を乗り出して、豆ちゃんの第一声を待った。
※※※
「えー」
長い沈黙。
緊張しているのではない。客を引き込むための計算された演出だ。
その証拠に、うつむき加減ではなく、やや顔を前に出しながらゆっくりと会場中を見回している。
「早いもので師走も半ばになりまして。これだけ冷え込みますと、暖かい食べ物が無性に恋しくなる次第です」
耳馴染みの良い中音域。よどみない滑舌。
いつもの無口でぼそぼそした話し方とはまるで違う。
「十六文のそばに
少年のような見た目を生かしてくすぐり(笑い所)を入れると、笑いたくてたまらないお年寄りたちがお約束のように笑う。
「しかし、暖かい食べ物と言えばやはり鍋でございます。さてここに取り
いつもの寡黙さはどこへやら。『時そば』『二番煎じ』『火焔太鼓』の内容を織り込んだ豆ちゃん。
まあペラペラと舌が回る事だと、仏像は頬杖をつきながら豆ちゃんの枕(導入部)に聞き入っている。
『ご隠居さん、ちょいと聞いてくれないか。いや、うちの娘がな』
『百人一首の歌の意味を教えて欲しいだと。そりゃアタシの所に来て正解だ。この
『そりゃ心強いや。この歌の意味を教えておくれよ』
【
『娘に歌の意味を聞かれて参ってるんだ。まさか娘に向かって知らねえとは言えねえし。ご隠居さんなら分かると思って。頼むよ』
娘に歌の意味を聞かれて答えられない父親は、長屋のご隠居に教えを乞う。
博識が自慢のご隠居だが、実はハッタリで知恵者を装う張りぼて。
正直に『分からない』とは言えず、珍解釈で切り抜けようとするが果たして――。
初めて落語に接する人にも分かりやすい、鉄板級のバカ話だ。
『あーと、あーと、アタシは盆栽の世話で忙しい。あんたも子供じゃないんだ、見れば分かるだろ。明日にしてくれるかい』
『それでは世話が終わるまでこちらで待ちますから』
『えーとんーと、盆栽の世話が終わったら、豆腐屋がうちに来るだろ。だからアタシは豆腐を買いに出なけりゃならないから』
『豆腐屋はここまで来ますでしょ。どこに買いにお出になるので』
『だから、ここは長屋の裏庭だろ。豆腐屋は表にくるんだよ。あんたも子供じゃないんだ。それぐらい分かるだろ。だから今日の所は』
たたみかけるような掛け合いを止め、豆ちゃんは扇子でこん、と舞台の床を一突き。
『はーん。さてはご隠居さんもご存じない、と』
『そそそそんな訳があるものか。アタシはね、和歌で有名な
『それはそれはお見それいたしました。で、免許皆伝のご隠居さんが、まさか歌の意味をご存じないとは、ねえ……。娘にも、そのように申しておきます。それでは失礼』
『ちょーっ、とお待ちなさい。待ちなさい。アタシはね、冷水流の免許皆伝だよ。まったく盆栽の世話で忙しいと言うのに。近ごろの若者と来たらせわしない』
開いた扇子を本に見立てて近づけたり離したり。
もったいぶった仕草に、小さな笑いが会場のあちらこちらから起こる。
『それでは耳の穴をかっぽじって良ーくお聞きなさい』
豆ちゃんは両手を膝の横に出してから、体全体をやや前にずらす。
『竜田川ってのはね、これは力士の名前だ。あんた方若いのは知らないかもしれないが、この竜田川ってのは大関にまで上り詰めた人気の力士でな』
『竜田川は女断ちをして相撲に全霊を注いだ堅物中の堅物だ。それがある時タニマチに連れられて吉原に。これが不幸の始まりだ』
『吉原の花魁道中。そこで目にした千早太夫に、堅物の竜田川はすっかり魂を持っていかれた。それを知ったタニマチが一席設けたは良いものの』
『いやでありんす』
ここで豆ちゃんは御高祖頭巾の裾を手で払う。
『花魁ってえのは気位が高い。人気力士の竜田川を、大振袖よろしく振りやがった』
御高祖頭巾の裾を払う仕草で、気位の高い千早太夫を表現している。
邪道かもしれないが、落語の約束事に不慣れな客層にはちょうどいい。
『千早が振る。ならば同席していた妹の神代太夫をと口説いた。だが、姐さんがおいやならわっちもいやでありんす、と来たものだ』
『神代も聞かずで二連敗。あわれ傷心の竜田川。相撲を捨てて、故郷に戻って豆腐屋に』
ここで白い御高祖頭巾が豆腐に早変わり。
身をかがめた豆ちゃんは、御高祖頭巾にくるまれた頭頂部を観客席に見せる。
『豆腐屋を始めて五年。おからをくれと物乞いの女が訪ねて来た。何と彼女は千早太夫の成れの果て。吉原での屈辱を忘れぬ竜田川は、差し出したおからを引っ込める。するってえと』
『(お)からくれないものだから、千早太夫は世をはかなんで井戸水にどぼんとくぐる』
『チョイと待ったご隠居さん。それじゃ歌のしめくくりの〔とは〕は何の事です』
『そりゃえーとえーと、急かすな、ちょッと待て』
『あれ、ご隠居。まさかご存じないので』
『そそそそそんな事、あ、あるわけないだろ。アタシを何だと思ってんだいまったく』
『だったらもったいぶらずに早く教えてくださいよ。〔とは〕とは何の』
『あー、あー、あー、急いては事を仕損じると言うだろう。大体お前さんはいつもいつもせっかちでいけない』
『そりゃこちとら江戸っ子でい。江戸っ子ったらね、ご隠居さん』
説教でお茶を濁そうとするご隠居に、間髪入れずに切り返す男。
その間のとり方も絶妙だ。
『あああああ、分かった! じゃなかった。思い出した。思い出したよ。【からくれなゐに 水くくるとは】の〔とは〕とは』
『〔とは〕?』
ここで豆ちゃんは上半身を思い切り客席に乗り出して、客席の食いつきを待つ。
『
お約束のサゲ(オチ)に、待ってましたとばかりに好事家から笑いが起こる。
「今宵はおから鍋でもいかがでしょうか。ご清聴ありがとうございました」
三元が真っ先に拍手を送る。
くすりと笑った仏像も、拍手で豆ちゃんを見送った。
※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。
※本稿は落語『千早振る』をベースにしておりますが、導入部から歌の解釈に入る手前までは筆者がアレンジしております。
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