オークィンズ帝国衰亡史:偉大な魔法国家はなぜ瓦解したのか

有明 榮

巻一 オークィンズ海域地誌

序文

 これまで人間という種族は、過去から現在に至る時間の流れを縦軸、地図上の地点で発生した出来事を横軸として、「世界史」という関数の組み立てを何度も試みてきた。近年の社会ではここに政治という変数を与えることで、地政学Geopolitikという新たな関数の生成に躍起になっているきらいがあるが、それもまた世界史の構築を試みるひとつの運動と言っても差し支えない。


 地政学以外でも、時間と地図をデカルト平面に落とし込み、因果関係と言う名の関数生成に人間は常に努めてきた。もっとも古いもので言えば、「戦争」という変数によって『ガリア戦記』が、「韻文」という変数によって『イリアス』が生まれた。特定の人物の教えを変数とすることで『聖書』『クルアーン』が生まれた。人間精神を一つの地図ととらえるならば、哲学もまた、ひとつの「世界史的関数」と見なされて差し支えない。こうして数多の関数が生み出されてきた中で、近年に入って人間は隣接する世界という、新たな座標軸を手に入れた。あるいは、時間―地図上の地点というデカルト平面にたいする、時間―隣接する世界の地図上の地点というガウス平面と言ってもいいかもしれない。


 西暦がもはや意味をなさないほど時間が経ってしまった現代において、隣接世界の発見は「cogito, elgo, sum/我思う、ゆえに我在り」以来の快挙であったと評してよい。デカルトによる理性の発見がその後の精神的・物質的発展を後押ししたように、隣接世界の発見が字義通りの「魔法」という、これまでのヒトの理性では決して到達しえなかったエデンの園へのパスポートを渡してくれたのである。現実世界と隣接世界という彼我の距離が縮まる中で、我々人間同士(驚くべきことに、向こうの世界の支配者もまた我々と同じ「人間」だった!)も深く交流し、科学・魔法の知見の交流を進めた。


 私もまた軍事史・美術史学・地理学を修めた者としてこの交流の流れに身を置き、かつて存在したというオークィンズ帝国の興隆と衰亡について調査することになった。本書は、過去の先人たちから受け継いだ二百年間にわたる調査の結果明らかになった魔法帝国のあらましを記すものである。


 本書をまとめる中で、ある一つの疑問が常に私の身に付きまとっていた。それは、一国の歴史を語る資格が、外国人――それも隣人という俄かに現れた存在である――の私にあるのか、ということであった。これまでの歴史書を紐解いてみれば、やはり平明かつ詳細なものは、その国・もしくはその国に非常に近い地域の人間によって書されている。例を挙げれば枚挙にいとまがないが、古典とされる大作はいずれもそうである。


 司馬遷『史記』

 林羅山『本朝通鑑』

 フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ戦記』

 ヘロドトス『歴史』

 ユリウス・カエサル『ガリア戦記』

 フランチェスコ・グイチャルディーニ『イタリア史』

 伝ネンニウス『ブリトン人の歴史』

 エドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』

 etc.


 このように、聡明な歴史家であって、その国に近い人間であるからこそ、その国の文化・思想面との強い共鳴の下で、詳細な歴史を語ることができた。この事実が私を常に悩ませたものだが、同時に私に歴史研究の扉を開けてくれた書物が、私を奮い立たせてくれた。「いついかなる時代にあっても、世界の諸文化間の均衡は、人間が他にぬきんでて魅力的で強力な文明を作り上げるのに成功したとき、その文明の中心から発する力によってかく乱される傾向がある」、というのは、大著『世界史』を著したウィリアム・マクニールの言葉であり、歴史を「歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程」と評したのはエドワード・カーだが、思うにここに歴史の二面性が表されている。


 誰が語るものであろうと観測される「歴史」という関数の正体――つまり歴史的事実――は変わらない、という意味で歴史は普遍性・不変性を有しており、同時に地図上の二点のつなげ方によって――つまり語り方によって――変数が変わり、それによって語られる「歴史」が変わる、という意味では非常に脆弱である。こうした相反する側面を同時に保有し、その意味では極めて人間的ともいえる歴史物語の語り手として演劇の舞台に立てることを、非常に誇らしく思う。


 私は若輩者でありながら、本書を執筆するというたぐいまれな機会に恵まれ、それによって非常に多くの方々に助けられてきた。すべての人の名を記すには紙面に限りがあるため省略するが、それでも私の研究をもっとも近くで支え励ましてくれた、長年の友人であり妻のフィオリーナにはこの場で賛辞を捧げたい。


 私はここにおいて、海上帝国の衰亡を明らかにし、それを持って人類の新しい知の一ページに奉仕することを誓う。

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