2日目、心理戦
拓真は後ろ射場側にある、矢取り道にいる。背の低い植栽越しに、弓を引く選手の稽古を見ていた。
矢取り道は無機質な金属製の屋根に覆われていて、等間隔に建つ白い支柱により支えられていた。壁はなく、道はコンクリート製の舗装。3人並んで歩ける幅を持ち、その両端には砕石が敷き詰められていた。
射込み練習が開始され、時計は9時10分となった。
カシュン―――カシュン―――と連続するように弦音が鳴り、的を射抜く破裂音が絶え間なく響いている。
拓真の視線は射場にいる板野に向けられていた。板野は和弓を反らせ、右頰に添えた矢を放つ―――破裂音。その後、真っ直ぐと伸びた両手を腰に添えると同時に、和弓は弧を描く。板野は摺足で歩を閉じると、拓真の姿を確認し、神棚にゆうをして廊下へと出ていった。
しばらくして、拓真のインカムからノイズが鳴る―――。拓真はすぐにマイクを持った。
《寺尾です。板野さんが後ろ射場の矢取りに行きます。やっぱり昨日とメイク違うわ!》
「伊田、巻藁練習場で何かあったのか?」
伊田からの返事はない。そこに、サンダルへと履き替えた板野がやってきた。
拓真は板野へと視線を向けるが、どうメイクが違うのかが分からない。拓真は視線を戻し、的に刺さる矢を眺めた。
「拓真さん、おはようございます。ちょっといい?」
「板野さんですか、おはようございます。なんでしょうか?」
「私のポーチ、白いシュシュを着けた役員の子が渡してくれたの。拓真さんが見つけてくれたって聞いて、お礼を言わなきゃと思ったの!」
「いえ、とんでもないです」
板野はパンッと手のひらを合わせ、満面の笑みで頭を下げた。この時、拓真は自分に言い聞かせる。俺はホストだ、ホストになりきるんだと。
拓真は微笑むと、板野の顔を見ながらこう言った。
「僕は中身を見てませんが、小町が中身を確認したところ、大事なものが入っていたそうですね。それでも、今日のメイクも似合ってますよ。昨日とは違う美人さがありますよ」
「まぁ……お上手ですね〜!」
板野は意外そうな目で拓真を見つめたあと、少し上目遣いの角度になり、口元に人差し指を添えた。
拓真は鳥肌がたつような感覚を覚えながらも、必死に微笑んだ。
「それにしても……どこでこのポーチを見つけたんですか?」
「いえ、見つけたのは鈴木さんなんですよ。お手洗いで見つけたと言ってましたけど、変わりに板野さんに渡してほしいと頼まれたんです」
「へぇ〜……。それだと、鈴木さんにもお礼を言わないと駄目ね」
板野は射場を見渡すも、そこに鈴木の姿はない。なぜなら、鈴木は巻藁練習場にいて、伊田によって足止めされているのだ。いるはずもない。もし鈴木がこの場所に向かってきたならば、インカムで知らせる手筈になっている。
拓真は気にする事もなく、板野に言った。
「それにしても、板野さんはSNSで凄い人気なんですね。俺はやらないので、小町から聞いた話なんですけどね。俺は映えとかのセンスがなくて……」
「あれ? そうなんですか? 拓真さんイケメンなのに、もったいない」
「ははは……そんな事ないですよ。やっぱり美的センスだったり、板野さんみたいに、明るい雰囲気だからこそだと思いますよ?」
「どうしたんですか? 昨日と全然雰囲気が違うじゃないですか!」
「ははは、板野さんの人気を聞いてつい……いや、まぁ今日はそんな気分なんです」
拓真はなんとか言葉を絞り出す。板野は機嫌を良くしたのか、嬉しそうに微笑んだ。そして、板野は拓真が待っていた言葉を発した。
「そうですか〜。そういえば、犯人探しのほうはどうなったんですか?」
「え? あーそれがですね……」
拓真は周囲を見渡し、人目を気にするような素振りを見せる。矢取り道には、他にも袴姿の選手がいたからだ。特に男子からは殺意とも似てとれる、ただならぬ視線を感じている。
板野は言った。
「なにか、飲みながら話しませんか?」
「いいですね! それじゃあ、ちょっと待っててくださいね」
拓真はインカムのマイクを持つと、待機している今高を読んだ。少しして、しかめっ面の今高がやってきた。演技とはいえ、その表情に板野は言葉を失っている。拓真のほうをチラっと見た。
「おい襟足マン、交代はまだ先だろ? 早くねぇか?」
「ちょっとな、神ヒーローのガチャガチャ一回でどうだ?」
「なら許す、交代だ」
今高はしかめっ面のままだが、拓真は板野に合図すると、矢取り道を歩き始めた。やはり男子の視線は痛かった。
*
拓真は誰もいない自販機コーナーでジュースを買ったあと、木にもたれ掛かっていた。ベンチには板野が座っている。拓真が買ったココアを飲みながら、興味深い様子で拓真の話を聞いていた。
「というわけなんです。だから犯人候補は1人いるんですが、俺は腑に落ちないから、結論を出すのを待ってくれって頼んでいるんです」
「もしかして、やっぱり鈴木さんですか?」
「それは言えませんが…………たぶんこのままだと…………」
「どうして、言えないんですか?」
「委員長の成安が言ってたんです、SNSには細工で使われたマニキュアの写真があるからって。でも、俺は……」
拓真は腕を組み、目を閉じ、しばらく沈黙した。そして残念な様子を演じる。その様子を見た板野の表情は、引きつった。
「もしかして……あたしぃ!?」
「いや、誰かは言えません。でも俺は……せめて矢摺籐に塗られた塗料の種類がわかれば……マニキュアなんじゃないハズなんです。小さい樹脂の容器で、コンパクトな容器なんです。板野さんは、そんなの持ってないですよね?」
「あたり前でしょ!!」
声を荒らげ、板野は拓真から見えない位置で眉間にシワを寄せる。何か考えているようだ。すると板野はスマホを取り出し、撮影した写真を見始めた。そのタイミングを見計らい、拓真は言った。
「もし、昨日の時点で誰かが容器を持っている写真でもあれば……もしなければ……」
「待って―――だったら探すわ。見つけたら、拓真さん言えばいいわけ?」
拓真はゆっくりと腕をほどいた。板野はしきりにスマホで写真を眺めている。
拓真は言った。
「そんな、それだと板野さんまで巻き込んでしまう……ただでさえネットでは炎上してるのに……」
「炎上してるからこそ、あたしは嘘でも犯人だと言われたくないわけ!! 何よその委員長!! 万が一でも誤爆したらたまったもんじゃないわ!!」
「………わかりました。もし何かいい写真が見つかったら、誰でもいいので学連役員に俺を呼ぶように伝えてください」
「わかった。ちょっと悪いけど、わたしは戻るわ!! ゴメン、これ捨てといて!」
板野は慌てたように立ち上がると、スマホを触りながら弓道場へと戻っていく。拓真は小さくなっていく板野の背をみつめながら、飲みかけの缶を手に取った。
SNS上での炎上。それはフォローの数が膨れ上がるほどに、投稿者が避けたい出来事。それゆれ、板野は嘘の事実でも自分が犯人だと投稿されれば、間違いなくその飛び火は移る。例え信者による防衛ラインがあったとしても、板野が築いてきた城が崩壊する可能性は極めて高い。
少なくとも鈴木には裏アカウントを知られている。今でこそ鈴木の影響力は小さいものの、ひとたび炎上すれば、それは音速のごとくウィルスのようにネット世界を伝染し、爆発的に広まるだろう。そして、その炎上を防ぐために、板野は自分の持つネットワークをフルに活用し、拓真が言った容器を探すだろう。でもそのような容器は、この弓道場で持ち歩く人はまずいない。それゆえ、その画像こそが動かぬ証拠となる。
「さて、あとはそんな写真があるかどうかだな……そればっかりは、運だよな。でも、可能性はゼロじゃない」
遠藤の矢摺籐事件は、昨日の昼過ぎの時点ですでに炎上している。そしてその後は自由に矢を射る事が可能な射込み稽古だ。その炎上を面白おかしく楽しもうと、火に油を注ぐため、この弓道場で撮られた写真が大いにある。
拓真は板野がSNSのアイドルである事を逆手に取り、〝板野が自分自身の身を守るために〟行動するように仕向けたのだ。例え攻撃的な性格であったとしても、味方になるように誘導すればいい。拓真はそう考えたのだ。
拓真のインカムから、ノイズ音が鳴る―――。
《國丸だけど。板野さんのSNSに新しい投稿がありました―――》
拓真は襟足をかき撫でる。そしてその右手に着けた腕時計は、もうすぐで立ち稽古が始まる時間を知らせていた。ここから拓真の計画は、最終ステップへと移行する。それは立ち稽古中において、鈴木の矢摺籐の細工を見抜くといったもの。
なぜなら拓真は、もう鈴木は矢摺籐の隙間を埋めていると考えているからだ。だが、鈴木が遠藤の弓に細工をしたトリックは、あくまで拓真の推測。その事実を知ったわけではない。それを見極める必要があるのだ。
観察する拓真の視線や動きに対し、鈴木がどう反応するのか。その表情の変化、行動には現れないかもしれないだろう。だが弓は違う。和弓を持ち、弓を反らせ、矢を放つ射手としての心の現れは、必ずその人の射に宿り、想いとして具現化する。そのため、拓真はあえて鈴木にハッキリとした答えを示さず、遠回しに鈴木が犯人だと伝えたのだ。
鈴木が犯人だと自覚している要素がその射に現れるかどうか。それを弓道の射を介して見極めようとしているのだ。
通常、人の射を見たくらいでは、その人がどう思考しているのかと判断するような人物はいないだろう。だが拓真は違った。学連という役職を通じて、数多もの射を見てきたのだ。それも至近距離で。
そのため拓真の中では自己流の分析した結果が脳内で分布されているのだ———この男は、
「オレ、めっちゃ弓道好きなんで」
拓真はいま、狩人に挑む――――鈴木の想いを見極めるため。
〝タイムリミットまで、あと3時間30分〟
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