ホテル、推理パート

「ここからだ、ここからが本番なんだ」


 拓真は机の上に置いてあった時計を見た。時刻は21時30分。

 遠藤が細工した矢摺籐を確認したところ、やはり細工がしてあった事に間違いはないが、矢摺籐の隙間は最大で3ミリ程度しか開かないこと、右側面だけ赤い塗料のようなものが塗られていたことが分かった。

 隙間は3ミリ、その中に色を塗ろうと思えば、細い筆のようなものが必要になると結論が出た。

 今高は寝転がり、スマホを操作していた。調べていた事について伝える。


「マニキュアだと、瓶の中に筆がついているのが普通なんだってよ。でも幅は3ミリ以上あるんだとさ。塗る方向を横にしたって、これだと矢摺籐にもついてしまうんじゃねぇの?」


 國丸は座って壁にもたれかかり、今高と同じように調べていた事について言った。


「ホームセンターとかで赤い塗料は買えるし、小さな小瓶みたいな容器の蓋に、筆がついているタイプもあるよ。太さは細くても2ミリくらいはあるかな。でも筆をハサミとかで切っちゃえば細くなるみたい。ただ、もしこれが矢摺籐についちゃったら、落とすのは難しいっぽい。水性のタイプもあるけど、拭いて完全に落ちるかは微妙だね」


 拓真は腕を組み思考する。

 マニキュアでなくとも、ホームセンターであれば似たような色を買い揃える事が可能だ。だが、それだと事前に準備しなければならない。コンパクトにして持ち歩く事を前提とした場合、計画的な犯行となる。となれば、動機が必要になってくると考えた。

 絞られた容疑者は5人。


 1、鈴木 舞香。黒髪ポニーテール、1年生。

 2、黒咲 このみ。おさげ、1年生。

 3、板野 宇美。こげ茶のサイドポニーヘア、3年生。

 4、小野田 光。ボウズ頭、3年生。

 5、相葉 英二。アフロヘア、2年生。


 昼休み、射場にいた人物と時間。

 鈴木。12時00分前後。12時30分~。

 黒咲。12時05分頃。12時30分頃。

 板野。12時10分頃。

 小野田。12時25分頃。

 相葉。12時10分頃~12時25分。


 昼休憩中、射場を出入りしていた姿が確認されたのはこの5人。介添えや第3者も入った可能性があるとの意見もあったが、学連役員メンバー8人の証言、目撃情報を掛け合わせた結果、絞れた5名だった。

 成安のスマホが鳴る───小町からだ。

 成安は画面を操作し、スピーカーにして机の上に置くと、4人の視線がそこに集まった。


『言われた通り、みんなでSNSを調べてんだけどさ〜。ちょっと気になる関係があったから、伝えとくねー。どうも、黒咲さんと鈴木さんは高校の頃からの知り合いで、同じ国体選手だったのは本当みたい。あとは、板野さんが黒咲さんと相互フォローの関係だね。なんか、板野さんの同期の後輩が黒咲さんみたいだよ〜。それと、決勝戦に残った6人のなかで、板野さんをフォローしてないのは遠藤さんと鈴木さんだけっぽい』

「わかった。引き続き分析を頼んだ」

『はーい』


 成安はそう言うと、通話を終える。

 パソコン画面に向き直った成安は、キーボードを打つ手を止めた。


「今までのデータだが、私達が運営してきた試合の記録を調べた。繋がりがありそうな試合を洗いだしてみたんだが、まずは今年の夏にあった試合で、今回の練習試合に参加した大学が全て参加している。次に、去年の秋にあったリーグ戦、ここで遠藤は選手として出場していない。ただ、相葉と遠藤の大学は同じ1部リーグのため、対決している」


 リーグ戦。大学弓道で最も重視される試合である。1部リーグ、2部、3部、といったように、強さのランキングによってそれぞれ構成され、毎年リーグ別に総当り戦をする。そして、各リーグの優勝校と、最下位の大学がリーグ入れ替えをかけた試合を行うのだ。

 ここで、夏季に開催された試合はリーグの部とは関係なく、地方の大学が全て集まる大きな試合がある。1チーム6人で組む試合となり、地方単位で優勝を争う試合だ。

 拓真は成安に言った。


「結局のところ、全員遠藤を知っている可能性があるってことだな。ひとまず、遠藤の矢摺籐に使用されたのは何らかの塗料、またはマニキュアって事でいいか?」

「異論はない。おそらく藤本の言うように、矢摺籐に塗られていたのはそれらの可能性が高い。そして、道具を買い揃えることも事前に準備すれば、誰でも可能と判断する。引き続き、今高と國丸は、使用されたと思われる道具、その分析を頼む」


 今高と國丸は頷くと、再びスマホの画面を注視した。


「それで成安、ビデオカメラの映像は入手出来たか?」

「あたりまえだ。私が主将との打ち合わせの時、情報提供を要求したからな。私の判断で、使えそうな動画を選らんだ。さっき編集が終わったところだ」

「見せてくれよ」

「まて、今準備する」


 弓道場に監視カメラはない。だが試合の様子を撮影するため、ビデオカメラを回す大学は多い。基本的には矢を射る選手を正面から映せる場所は応援席、前射場側にある、ガラス張りで仕切られた場所からだ。

 成安は動画編集ソフトで分けた、いくつかのデータが入ったフォルダを開いた。拓真はその動画名を読む。

 1、昼休憩前。

 2、昼休憩後。

 3、「ピックアップ」

 成安はパソコンを移動させ、拓真との間に置いた。動画を再生する。


 1、昼休憩前。

 時刻は11時50分。

 弓道場の射場が映し出された。

 

 立ち稽古が終わって選手が退場したあと、拓真と成安も退場した。放送をし終えた安井もだ。

 その後、遠藤は射場に入り、神棚に浅い礼をする。

 横幅5メートルほどの弓立て、その一番隅、前射場側へと移動した。持っていた和弓を立て掛ける。その場で正座をし、ゆがけを外すと、持っていた袋の上に置き、浅い礼をして射場を退場した。

 遠藤が退場したあと、射場には道具を持った鈴木が入ってくる。

 神棚に浅い礼をしたあと、矢を収納する矢立箱に矢を入れた。持っていた弓を、弓立ての真ん中に置いた。

 そのとき、射場の入口では和弓とスマホを持った板野が、射場の様子を伺っていた。

 そこで、動画は終了となる。


「いいところで消えてんな、編集したのか?」

「そんなわけないだろう。普通、立ちが終わったら映すのを辞めるだろ」

「へい」


 成安は次の動画を再生する。


 2、昼休憩後。

 時刻は12時50分。

 成安と拓真は椅子に座っている。

 射場には、5人の選手がいた。

 

 弓を右手に持ち、T字型の定規を持つ相葉と板野。

 弓に張ってある弦を外し、張り直す小野田。

 壁際で正座をしている鈴木と黒咲。

 やがて、遠藤が射場に入ってきた―――。

 そこで、動画は終了となる。


「なぁ成安、この間の動画はないのか?」

「ないな」

「ふーん。で、最後のピックアップってなに?」

「立ち稽古中の動画だよ。私なりにまとめてみた。君のためにな」

「………見せてくれ」


 成安はピックアップのフォルダを開くと、動画ファイルを開く。


 1、金髪。

 2、ボンバーヘッド。

 3、小野田。

 4、黒いポニーテール。

 5、可愛いおさげ。

 6、美人な人。


「おい成安、これ遊んでんだろ?」

「なはは、別にいいじゃないか、編集してると疲れるんだよ。で、誰が見たいんだ?」

「とりあえず全部見るよ」

「藤本ならそう言うと思ったよ」


 そこには、4人×3チームで、立ちをする映像が映しだされた。

 カシュン――と弦音が鳴り、的を射抜く破裂音。応援のための「矢声」が響いている。

 2分程度の動画だが、拓真は食い入るように動画を視ていた。

 一順し終え、拓真は成安に言った。


「遠藤の動画をもう一回見せてくれ、今度はスローでな」

「なんだ、何か気になったのか?」

「ああ、だからもう一度」

「仕方ないな」


 1、金髪。

 4本の矢を射る動画だった。

 遠藤の流派は斜面打起しゃめんうちおこし、弓に矢をつがえたあと、左手を伸ばし、左斜め前に構える流派だ。

 遠藤が射位へと前進しながら、矢摺籐を左手の人差し指で弾いている動きをしている。そして射位に立ち、矢をつがえた。

 弓を構え、左手を伸ばし、和弓を左斜め前に構えた。

 弓と拳を持ち上げてすぐ、弦を引いていく。

 遠藤の右手は弦から離れ、真っ直ぐと伸びた。

 それを4回繰り返したあと、遠藤は摺足しで足を閉じ、体の向きを変えた際、再び矢摺籐を人差し指で弾いた。


「………やっぱりそうか」

「なにが?」

「俺が遠藤に失格を言い渡した時、遠藤は親指で矢摺籐をコネる動作をしていた。間抜けなやつだと思ったくらい、不自然だったんだよ。この動画では、そんな動作はしていない」


 拓真は再び腕を組み、思考する。成安は眼鏡に中指を押し当て、拓真と共にその理由を考えた……。

 そして拓真と成安はある仮説をたてた。


「遠藤が弓構えのタイミングで親指をコネないのは、その必要がないからだな。なぜなら、射位へと前進するとき、また退場する時に矢摺籐をアジャストすれば良かったんだろ。決勝戦での遠藤は、立ちのときと同じ方法でアジャスト出来ない事に焦って、親指でコネる動きをしたんだ」

「となれば、遠藤の矢摺籐に塗られていたのは何らかの塗料で間違いないな。塗料はやがて硬化する。それにより、矢摺籐に固着していた塗料は固まってしまったのだろうと推測する。念のため、決勝戦の動画を見てみる」


 成安はパソコンを操作し始め、動画を引き出す。

 寝転んでいた今高は起き上がり、拓真にこう言った。


「でもさ、ホームセンターで売ってる塗料でも、硬化時間は数時間〜ってのが多かったぞ。マニキュアは30分くらいだけど、完全に乾くまで、匂いが残るんだとよ」


 國丸はスマホを見つめ、こう言った。


「でも、油性は臭いがキツイけど、水性なら臭わないタイプもあるって書いてあるよ。それと完全に硬化しなくても、塗る厚みが薄かったら、もうちょっと速く乾くんだって」


 拓真は成安の言葉を待った。


「間違いない。遠藤は決勝戦の時も、射位へ進むときに矢摺籐を人差し指で弾いてる。それに矢をつがえたとき、目線は矢摺籐を見ている。遠藤だけ射が遅かったのは、硬化した塗料によって開かなかった矢摺籐が理由だな」


 その時、拓真の脳裏にある言葉がよぎった。

 すぐ成安に、その選手を再生するように言った。


「なんだ急に、今は遠藤について議論しているんだろう」

「いいから再生してくれ。矛盾している証言があるんだ」

「なに……よしわかった」


 4、黒いポニーテール。

 鈴木の流派は正面打起しょうめんうちおこし。弓の構えはボールを抱えたような姿勢から、持つ弓を頭上に持ち上げる流派だ。

 鈴木が立つのは遠藤のすぐ後ろ、遠藤が弓を持ち上げる打起しの姿勢ならば、その隙間を確認する事は難しくないだろう。

 だが……拓真は成安に言った。


「やっぱりおかしいぞ」

「なにか気がついたのか?」

「だってよ───」


 拓真は疑問に思った。

〝どうやって鈴木が矢摺籐の隙間を確認したんだ〟と。

 なぜなら、数ミリの隙間を確認しようと思うならば、至近距離で確認した拓真でさえ数秒ほどの時間を要したのだ。

 遠藤の打起しから引き分け、つまり次の動作にうつるまでの時間はほとんどない。それに、弓構えでは指をコネる動作もしていない。よほどの視力の持ち主でも難しい。

 ただ、鈴木の言い方では、違うタイミングで遠藤の指を見ていた可能性もある。今は鈴木が嘘をついていると断言が出来ない。だとしても、嘘をつく理由がなぜあるのか、拓真は不審に思った。


「なぁ成安、もう一回決勝戦の動画を再生してほしい。今度は編集してないやつを」

「なんでだ?」

「確認したい事がある」

「なるほど。分かった」


 成安はパソコンを操作し、次々と画面は切り替わる。そして、決勝戦前、各選手が準備している最中の動作をもう一度見る。

 拓真は選手が持つ和弓を確認しはじめた。

 遠藤の弓がどれなのか判断出来ない、見えるのは和弓の握り皮のみである。

 弓立に残っているのは黒色の握り皮が2本、紺色が1本。

 選手達がそれぞれ和弓と矢を手に取り、射場から退場していく。

 小野田が持つ弓は、赤色の握り皮。

 相葉の持つ弓は、緑色の握り皮。

 板野が持っていた弓は、茶色の握り皮。

 黒咲は紺色の握り皮を巻いてある弓を、鈴木は黒色の握り皮が巻いてある弓を弓立てから持った。

 最後に遠藤が黒色の握り皮の弓を持った後、再生を停止した。


「こんなのを見て、君はなにがわかるんだ? 遠藤の弓に色を塗られたのは昼休み中の話じゃないのか?」

「これは可能性だ。遠藤の弓と、違う弓をすり替えた可能性を考えた」

「それは……まさか、射場に置いてあった弓と、遠藤が決勝戦で使った弓は、違う弓だったって事か? さすがにそれはないだろう。自分がいつも使っている弓と違う弓を持ったなら、誰だって気がつく。これはほぼ99%といっても間違いない。どんなにそっくりな弓であっても、さすがにそれは気がつく」

「まぁ、可能性だよ。俺も正直そんな事はないと思っている。ただこの事件、おそらく単純なものじゃない」

「根拠はあるのか?」

「いや、なんとなくそう思った」

「またそれか、なんとなくで推理しようと思っているその感覚が理解できない」

 

 拓真はため息を吐いた。2本の弓があったなどといった発想も、拓真なりにひとつの可能性を考えた結果だった。

 その時、成安は拓真に言った。


「可能性……そうだな。君がそこまで言うほどに何か勘づいたのなら、犯人は藤本だと仮定しよう。動機はこの際おいておく。そこで君は細工するためのトリックを考えてくれ、もし藤本が弓に細工するとして、現状ならどんなトリックを使う?」

「昼休み中に、どうやって矢摺籐に色を塗るかってことか?」

「いや違う、昼休憩以外で色を塗った場合だ。どうやってそれを隠す?」

「隠す? ……隠せるのか?」

「それを考えるんだよ。君はそういった発想が得意だろ。犯人がトリッキーな思考なら、同じ発想をする藤本が適任だと思ったからだ。考えてみてくれ」


 拓真は腕を組んで思考した。

 5人の証言を組み立て、照らし合わせ、抜け穴を探していく。だが———思いつかない。拓真は苦の様子を見た今高は、拓真に言った。


「今のところさ、犯人が誰かは分かんないけどさ。塗料が乾く時間を考えたら、昼休憩中でもなるべく早い時間だろ? そう考えたら、小野田は可能性がないよな」


 國丸は違う意見だった。


「でも、犯人が1人じゃない可能性もあるんじゃないかな。最初に射場にいた鈴木さん、黒咲さん、相葉さん、板野さんが該当するよね。でも手先が器用そうなのは、板野さんかな。なんだかんだ、ネイルは綺麗に塗ってるしね」

「そっか……なんか振り出しに戻っちまったなぁ〜。個人的に犯人にしたくない人もいるし、なかなか難しいな」


 拓真は組んでいた腕をほどくと、座ったまま壁にもたれかかり、遠藤の弓があるほうを見た。そこには、弓道を諦めようとする男、一人の想いがある。黒咲の涙もそうだ、あの光景が目に浮かぶ。

 女子役員からの報告はない、なぜならあまり進展していないからだ。SNSの情報量は膨大、それを手探りで探していく途方さは、計り知れない。

 拓真は立ち上がり、遠藤の和弓の元へと歩み寄る。弓袋を外し、遠藤の和弓を手に取り、眺めた。

 ここで終わるわけにはいかない。

 拓真は目を閉じ考える。自分ならどうするか、自分ならどうバレずに色を塗るのか———昼休み序盤では、色を塗られていなかったと。だがもしそれ以前に色を塗られていたのだとしたら……情報を丸呑みにするな……感情に左右されるな、理屈は単純だ。塗られていないように見せればいい。そこで相手を騙せばいい……。状況を逆算し、仕込めるトリックを考える。


「二本の弓……入れ替える……隠せる……───!?」


 その時だった———拓真は、悟ったかのように目を見開いた。

 脳裏には電流が駆けたような感覚を得た。拓真は和弓を持ったまま成安の元へと戻る。成安はニヤリと笑うと、中指で眼鏡の位置を調整した。


「性格のひねくれた君の事だ、何か思いついたんだな、顔を見れば分かる」

「藤本さ、口もうまいしさ。詐欺師とか似合うよ、きっと」

「フフフ。ごめん、僕も今高と同じ事考えてた、うん」


 拓真は「うるせぇよ」と一言いった後、襟足をかき撫でる。そして———。


「俺だったら同じ弓を用意する。それも、〝矢摺籐に細工が施してある、黒い握り皮の弓をな〟それができる犯人は、さぞ器用だろうな。無論、3ミリ程度の隙間にも、赤く色を塗る事ができるだろうな」


 机の上に置いてある時計が、音もなく秒針を進めている。

 それはまるで、推理の進展を示唆しているかのように。


〝容疑者。鈴木舞香、黒いポニーテール〟


 そして、成安の電話が鳴る。サイレントモードのため、スマホは机の上で振動する、重い反響音がこの場をこだまし、呆気に取られたかのように4人は静まり返った。

 着信中と表示されたスマホの画面―――安井と表示されていた。

 成安は静かに、スマホへと手を伸ばした。

 この時、彼らはまだ知らなった。

 新たな容疑者が、浮上することを。


〝タイムリミットまで、あと15時間25分〟



 

 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る