1日目、夕方、SNSの炎上

 練習試合に参加した選手達が帰宅したあと、拓真は弓道場の清掃を一通り終えた。

 射場内のシャッターを閉めるべく、放送席の近辺にある操作盤へと歩いていく。ひな段を一段のぼり、操作盤を見つめて首をかしげる女性に声をかける。

 黒いお団子頭の安井は、操作方法を分かっておらず、悩んでいたようだ。


「あ、藤本くん。これ、どのボタン押せばいいかわかる?」

「わからん。でもたぶん番号のシールが貼ってある奴だろ、たぶんこれ」


 拓真は通常のスイッチより少し大きめなボタンを押すと、機械音を鳴らし、シャッターがゆっくりと降りていく。安井は「おお」と言うと、拓真と一緒にひな段を降りた。拓真が控室に行こうとすると、安井は拓真を呼び止めた。


「あのさ。今日の事件のことなんだけど。ちょっと気になる事があったんだよね」

「気になる事? 気になる事ってなんだ?」

「遠藤さんがの持っていた弓の、矢摺籐の隙間が赤く塗られてたって話なんだけど。そんな綺麗に塗れるもんかなって思ったの。手先が器用じゃないと、召集の時にチェックできちゃうと思うんだよね。でも、寺尾は見つけれなかったんでしょ? 手先が器用だなって」

「それは……考えてもみなかったな。確かにそうだ。弓の材質上、使う塗料によってはインクが付着しない場合がある。もし油性系のインクを使うにしても、拭き取ろうと思えばシンナー系か、除光液が必要……しかしそんな液を塗ったら、しばらく匂いが残って、気が付くはずだ」


 召集係として、寺尾の目利きは鋭い。今回のようにアジャストするような細工でなければ、見抜いてきた数も相当なものだ。


「そうだな。もし細いマジックを使うにしても、手先が器用じゃないと難しいよな」

「そうそう。シンナーはさすがに使ってないと思うけど……除光液だったら多少は臭うと思うんだよね。あ、最近はネイルにも、ジェルネイルっていうやつもあるから」

「ジェルネイル?」

「うん。派手にデコレーションしてあるやつなんかは、たぶんジェルネイルだと思う。単色もあるんだけどね。板野さんだっけ、あの人はオシャレに敏感そうだし、服装に合わせて変えてそうだから、もしかしたらマニキュアなんじゃないかな?」

「ネイルに種類があるのか……ちょっと詳しく聞かせてくれ」

「いいよ! えっとね~」


 弓道において爪をネイルする場合、ジェルネイルかマニキュアである。爪に貼るタイプのネイルチップ等はあまり使用されない、それは矢を射った場合、左手に生ずる反動で、剥離してしまう場合があるからだ。


「ありがとう、参考になった」

「うん、面白そうだし、応援してるから!」

「面白そう?」

「うん。だって、犯人が分かったら皆の前で推理するんでしょ?」

「まじか、その発想はなかった!」


 安井はニコニコと笑う。拓真的には考えてもいなかった事だが、毒を喰らわば皿まで、といった言葉を思い返しながら、安井と一緒に控室へと戻った。

 時刻は18時25分。拓真と安井はパイプ椅子に座り、メンバーが全員が集まるのを待つ。

 手狭な室内に、四角く囲われた机。そのパイプ椅子へと腰掛ける役員メンバー、拓真をいれて7人まで集まった。引き戸がガラガラと開き、最後に委員長であるキノコ頭の成安が入ってきた。役員控室はギュウギュウである。

 眼鏡を中指で持ち上げながらも、成安は控室の入口に近い席、拓真の横へと座った。持っていたノートパソコンを開き、書いていたメモを確認しながら成安は言った。


「では、今日の反省会と、明日のスケジュールを確認したいと思います。念のため、皆さんが担当するポジションを確認します」


 成安へと視線が集まる。まずは女子役員が返事をしていく。


「役員控室で表彰用の賞状作成、来賓の方への対応は、女子委員長の小町がお願いします」

「はーい、分かってまーす」

「選手控室にある専用のボード、試合結果の掲示は、伊田にお願いします」

「りょうかぁーい」

「射場の外側、廊下では立ち稽古に参加する選手の招集と、誘導は寺尾にお願いします」

「うんわかった、明日も頑張ろ」

「試合の運営に関する放送は、安井がお願いします」

「かしこまりました!」


 今高はスマホを机の上に置いたまま、國丸は足を組み、首を傾けたまま成安に身体を向ける。拓真は腕を組み、視線をパソコン画面へと向けた。そこには成安が打ち込んだメモが表示されている。


「後ろ看的、的場での監視は今高にお願いします」

「はい、わかりました」


 今高は面倒くさそうに、返事をした。


「前看的、的場での監視は國丸にお願いします」

「うん、分かったよ」


 國丸は猫のような目になると、首を反対側に傾け、上がった眉毛を下に降ろした。


「射場での運営は、私と襟足でやります」

「おい、なんで俺だけそんな呼び方なんだよ?」

「なはは、そっちのほうが面白いと思って。もはや練習試合に参加している選手の人達も、それで認識しているみたいだしな」

「それは一部の人だけだろ」

「なはは」


 クスクスと笑い声が飛び交う中、拓真は呆れた様子でため息を吐いた。

 成安はパソコンの画面を変える。拓真はメモに書かれていた事を読み、珍しいこともあるもんだと、心の中で笑った。


「それでは、明日もいつも通りって事で。ただ、今日は私から議題にしたい案件があるので、それも一緒に話し合いたいと思います」


 寺尾が慌てるように背筋を伸ばした。


「え? え? なんなん?」

「遠藤選手が失格したあと、退部する事になった件についてです。私はこれを、結構大きな事件だと考えてます」


 今高が顔をしかめると、机の上に置いてあるスマホの画面は暗くなった。


「なんで? 俺達になんか関係あんの?」

「私は練習試合に参加する大学の主将達と、今日の昼過ぎにした打ち合わせで、犯人を見つけますと言い切ったからです」


 みんな驚いたように声を失った。しかし、打ち合わせに同席した小町は平常心だった。

 國丸の目は再び猫となり、首は真っ直ぐとなる。

 成安は言葉を続けた。


「今回の事件、SNS上でかなり炎上しているらしく、強豪校に対する悪口が飛び交っているようなんです。悪質な偏見が入り混じったその呟きは、参加している強豪校の名誉とプライドを堕落させると、その結果を招いた学連には、謝罪を要求すると言われました。つまり、私は組織全体を統括する委員長として正式な謝罪を要求されました」


 成安は真面目だ。真面目であるがゆえ、いつもなら試合中に発生した苦情にも真剣に対応する男だ。だが、正直なところ今回の謝罪は成安としても不可解だと思っているのだ。学連はルールを守り、正しい事をした、関係ないだろうと。

 そのため、成安は各大学の主将達が提案したこの正式な謝罪を拒んだ。いくら招集で見落とした細工とはいえ、謝罪するなら悪質な細工を施した本人がするべきだ、と。反発した主将達を黙らせるため、犯人はこちらで見つけますと言い切ったのだ。

 拓真は成安の心情を理解していた。成安と拓真は相反するかのような性格、不動たる岸壁のように考えの硬い成安と何年も射場運営をしてきた関係、運営に関する事で揉めた回数は数えきれないからだ。そのため、成安がとったメモを読んだ時、拓真は心で笑ったのだ。その一文には「矢摺籐に色を塗ったやつマジ許さない」、と書かれていたのだから。

 成安がこう言い出したからにはもう誰にも止められない、そんな空気が役員控室を漂う。拓真は眼鏡をクイクイっと上下させた成安に言った。


「じゃあ委員長、これは学連として事件を推理すんだな?」

「そういう事になるな、正直なところ不本意だが、事件解決のために行動する君と同じ意見になる。それにしても、藤本に委員長と言われるとなんか気持ち悪いな、なはは」

「たまにはな。でも今ここで、あーだこーだ議論する気はないんだろ?」

「分かってるじゃないか。今回の件に関しては、希望する人のみ集まり議論すればいいと思っている。そろそろ今日の弓道場の貸し出し時間も終わる頃だし、一旦ホテルに戻ろうじゃないか。議論の続きはその時にするつもりだ」


 成安はパタンとノートパソコンを閉じ、椅子から立ち上がる。「今日はお疲れ様でした」、と言うと、各々役員は席を立ち、手荷物を整理し始めた。

 それぞれが座っていた机の上にはインカムが置き並べられていく。拓真は腰の帯からインカムを外すと、コトンと机の上に置いた。

 女子役員が退出し、最後に今高の後を追うように室内の電気を消した拓真も部屋を出る。廊下を歩く8人の学連役員、みんな紺色の弓道衣、黒い袴だ。薄暗くなった廊下を進んでいく。

 拓真はスマホを操作する今高に声をかけた。


「それなんのゲーム?」

「は? 神ゲーに決まってんだろ」

「知らねえよ、前見て歩けよ」

「見てんだろ」


 今高は親指でポチポチとスマホを連打する。その画面に映る光景は、拓真にとって理解不能な現象が起きていた、やがて敗北という2文字が表示されると、今高は「クソゲーが!」、と言って吠えた。

 拓真は笑う───ホント特撮が好きだなコイツと思いながら。

 拓真は面白おかしく笑いながらも、決め台詞を放った。


「俺の推理に、敗北はない」

「しらね。つーかさ、お前の襟足とこの神ヒーローを一緒にすんじゃねぇ」


 今高もスマホを下に降ろし笑う。2人は草履を履くと下駄箱を抜ける。鍵を持つ小町の横を抜け外へと出た。

 そこは薄暗くなった空、その下には舗装が広がる駐車場。拓真は振り返り、現代風の白い外壁に囲われた弓道所、ガラス張りの自動ドアを見つめた。ガチャンと鍵がかかり、小町が結んだ黒髪、白いシュシュがぼんやりと視える。

 拓真は心の中で想った、俺達の気持ちをひとつにすればこの事件、解決できると。根拠はあった、なぜなら拓真の代は、凄腕なのだから。


「あ、藤本くーん」


 安井の声に拓真は立ち止まった。他のメンバーが銀色のバンへと歩くなか、拓真のほうに歩いてくる安井に目を向けた。その隣には金髪の男、拓真は何事かとその男に目を向けた。

 安井はにっこり微笑むと、ポンっと金髪男の背中を押した。遠藤は弓袋に入った和弓を手に持っている。


「遠藤さん、藤本くんと話がしたいんだって」

「俺と?」

「うん。皆にはちょっと待っとくように言っとくからさ」


 そう言うと安井は拓真に手を振り、銀色のバンへと戻っていく。拓真は腕を組み、遠藤の目を見た。その瞳は、悲しみと後悔といった気持ちが滲み出でいるかのように、静かに潤んでいた。


「遠藤さん、どうしたんですか?」


 しばしの沈黙の時が流れる。遠藤は持っていた和弓を握り締めると、覚悟を決めたかのように拓真に言った。


「俺が知ってる事、拓真さんに伝えます。ちょっとでも情報になればと思って。だから聞いてほしいんです、お願いします」

「……分かった。自販機のとこに行こう、あそこなら明かりもある」


 拓真は襟足と袴とゆらすと、外にある自販機コーナーへと歩いていく。袴姿の遠藤は拓真を追いかけるように、歩き始めた。



 


 







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