第37話

【side エレオノーラ・フォン・アトキン】


 私は今まで、何かを自分で選んだことがほとんどなかった。

 別に我がないというわけでもなければ、何事にもこだわりがないというわけでもない。


 ――何もしないということ自体が、私にとっての処世術だったのです。


 王族による王位継承問題というのは、どの国にも起こる。


 アトキン王国は周囲の国と比べると比較的開明的であり、歴代に何人か女王がいたこともある。

 故に第一王女である私に取り入ってこようとする人間は、後を断たなかった。


 聡明であると同時に個人としての武勇にも優れ、なおかつ王位継承権も第一位である第一王子のグリシアお兄さまの王位継承に波風を立てる必要はない。


 故に私は王国内で下手に派閥が割れることがないよう、決して前に立つようなことをしてきませんでした。


 統治運営の手管に関しては兄様に劣るところはないと自負しているが、ここ最近剣呑になりつつある国際情勢では、戦いに関してほとんど知識のない私より、武にも秀でている兄の方が王になるのに適任です。


 それに私が女王になった場合、どうしても王配や子供達と問題が生じる可能性もある。

 国という複雑怪奇なものを運営する以上、無駄なリスクを負うべきではない。


 この国のためを思うからこそ、私は今までほとんど歴史の表舞台に立つことなく生きてきました。

 頭に思い浮かんでいる献策があったとしても決して自分から動くことはなく、お兄さまの功績になるように上手く出所をぼかしながらアイデアを出すようにした。


 けれどそれら全ては、無駄に終わってしまった。

 魔族との戦争に出兵した兄は、戦場の露として消えてしまったからだ。


 残る王族は二人。

 私と弟である第二王子のロンダートだ。


 こうなると今まで陰に徹してきたのが裏目に出た。

 このままでは国が割れかねないが、ロンダートに王を任せるのはあまりにも不安が過ぎる。


 離宮に隠し持っている地下室で奴隷達を拷問しているような人間に、まともな政治的な判断が下せると思えない。

 噂では後ろ暗い人間達と手を組んでもいるらしい。


 とにかくロンダートを王位につけるわけにはいかない。

 ここに来て私は、なんとしてでも王位を手に入れなければいけないという決意を固めた。


 けれど王位継承を確固たるものとすべく動き出してからそう間もないうちに、私は体調を崩すようになった。

 日中も寝込みがちになり、動き回るのに支障を来すようになった。

 そしてあっという間に寝たきりの生活を送るようになり、まともに動くことすら難しくなってしまった。


 この国有数の光魔導師達に治療を頼んでも、回復することはなかった。


 病状は悪化するばかりで、周囲に迷惑ばかりかけてしまい、申し訳なさでいっぱいになる。

 こうなった原因はわかっている。

 ロンダートに何かをされたのは間違いない。


 毒を盛られることがないよう、食事には細心の注意を払っていたはずだった。

 だがそれでもまだ警戒が足りなかったらしい。一体どのタイミングで仕掛けられたのでしょうか……。


 私としては彼が引き連れていたディスパイルという男が怪しいと睨んでいるが……どれだけ調べてもあちらがボロを出すことはなかった。


 証拠が出てくることもなく、私は起きている時間より眠っている時間の方が多くなっていった。


 このままでは私はもう長くないだろう。

 自分の身体のことは、自分が一番良くわかっている。


 私は筆を執ることにした。

 頭の中に思い浮かべていた税制改革や都市計画、とりあえず考えていたものを片っ端から出力した。


 そして私の執筆欲は一冊の本を書き上げただけでは満足せず、私は勢いそのままに親しかった友人達や親戚達に遺書代わりの手紙を送ることにした。


 もうダメだという諦めと達観から送ることになった手紙のうちの一通、学院時代の友人であるミラへ送った手紙。


 まさかそれが奇跡を起こすことになるとは……人生というのは本当に、わからないものです。



 その感覚を、なんと表現すればいいだろうか。

 ほの暗い水の底からグッと引き上げられるような感じという言い方が近いかもしれない。


 まず最初に感じたのは、強烈な浮遊感。

 そして今まで感じていただるさや重さが一瞬にして取り払われた。

 ここしばらくの間私をベッドの上に縛り付けていたものが全て消え去り、私は目を醒ます。

 それは私にとって、二回目の目覚めだったのだと思う。


 赤子が初めて世界を見る時、きっと世界はものすごく色鮮やかに見えることだろう。

 今私は、それにも勝る体験をしていた。


 視界に移るものの全てが、あまりにも色鮮やかで。

 世界はこんなにも素晴らしかったのだと改めて気付かされる。


 そして私の前には……


「あ、あの……どちら様でしょうか?」


「……マルトと申します、エレオノーラ様」


 ――王子様が、居た。


 私は別に、言われたままをこなすだけの人形ではない。

 恋愛小説のようなロマンスに憧れることだってあるし、好きな人と結ばれてみたいという淡い期待だって持っている。

 私が王族でなければ……と思ったことは一度や二度ではない。


 綺麗な黒髪と黒目をした、どこかエスニックな雰囲気を漂わせる彼。

 バラ色の頬とどこか上気した様子からは色気も感じさせる。


 咄嗟に頭を回転させる。

 急に良くなった体調と、事前に言われていた魔導師の治療。

 全てが一つの線になり、気付けば私は頭を下げていた。


「あ、ありがとう、ございます……」


 けれどまだ体調が十全でなかったからか、気付けば私はベッドに倒れ込んでしまっていた。 意識が明滅し、まどろみの中に包まれているようだった。

 心地よい安らぎに目を閉じようとしたその瞬間――。


 バゴオオオオオンッ!!


 轟音に部屋が揺れ、意識が一気に覚醒する。

 身体はだるいけれど、動かなくてはいけない。

 気付けば私はシェリルとミラと共に、いざという時のために用意していた魔道具を発動させ、結界の中へ入ることにした。


 隠密と障壁の効果を併せ持つこの魔道具を使えば、相手から探知されることなく時間を稼ぐことができる。

 そのはずなのだが……先ほど私を助けてくれた黒髪の君が、ちらりとこちらを向いたような気がした。


 たったそれだけのことで、ボッと顔が熱くなってきてしまう。

 助けられた恩を強く感じているからだろうか。


 目の前で、黒髪の君と魔族との戦いが始まった。

 ミラに聞いてみると、どうやら彼の名前はマルトと言うらしい。

 マルトさん……素敵な名前だ。


 そんなマルトさんと相対しているのは、ロンダートがどこかから連れて来た、あの怪しげな男であるディスパイルだった。

 どうやらその正体は、人間に擬態していた魔族だったらしい。


 ロンダート……今までは不出来な弟だと思いつつもなぁなぁで済ませてきたが、今回ばかりは流石に堪忍袋の緒が切れた。

 聞けば私は、体内に寄生虫を入れられていたのだという。

 実物を見ると、血の気が引いてしまった。

 あんなものが、私の身体の中に……未だに信じられない。


 ――誰がやったかなど、考えるまでもない。

 それに加えて魔族の王宮内に誘致……もはやロンダートに王位を継ぐ資格などない。

 今回ばかりは、しかるべき処置を取らせてもらおう。


「しかし……すごいわね。魔法の二重詠唱をしながら剣を振ったり、武技を同時に発動させたり……この私でも、目で追うのがやっとよ」


 私とシェリルは息を呑みながら、目の前で行われている戦いに見入ってしまっていた。

 圧倒的な威力を以て放たれる魔法の連続と、息もつかせぬ間に行われる攻撃の応酬。

 爆発が起こり王宮の壁が壊れていくが、気付けば戦いの行方を目で追ってしまっていた。


 私は何が起こっているのかわからないほどに同時にいくつものことが起きていて目を回すだけだったけれど、ミラには彼らの戦いの次元の高さがわかるらしい。

 さすがティンバー侯爵家の才媛と謳われるだけのことはあるということか。


 マルトさんの方が優勢に見えているけれど、私は武の才能はからきしだ。

 ただ勝ってくれますようにと祈ることしか、今の私にできることはなかった。


 騎士団の救援がやってきたことで、ただでさえ傾いていた形勢が更に逆転。

 このままいけば勝てるとホッと一安心したところで――なんとマルトさんは、王城の天井を破って空へと飛んでいってしまった。


 見上げると、既にマルトさんとディスパイルの姿は米粒ほどの大きさになってしまっており。

 何が起きるのかと身構えていると――先ほど扉を蹴破られた時の音が子供の遊びだと思えるほどの爆音が轟いた。

 そして穴が空いた天井から、強風が吹き付けてくる。


「勝った……のでしょうか?」


「――勝ったに決まっています!」


 私がそう断言すると同時、空から何かが降ってくる。

 目を凝らしてみると、それはこちらにゆっくりと下りてくるマルトさんだった。


 自然落下ではあり得ないほどにゆっくりと、まるで羽毛のようにふわふわとこちらにやってくる。


 本人に意識はないようだった。

 目を瞑った彼は、白く神々しい光に包まれている。


 ゆっくりと着地した彼の体調を確かめるべく、急ぎ呼吸を確かめようとすると――。


『できればこの子の使命を……手伝ってあげて……』


 遠くから聞こえてくるやまびこのような、か細くてぼやけた声が聞こえてくる。

 今の声を、どこかで聞いたことがあるような……?


「もしかして……女神様……?」


 先ほどディスパイルが、マルトさんのことを女神の使徒と呼んでいた。

 もしかしなくても彼は、女神様に選ばれた特別な存在なのだろう。


 確認すると意識を失っているだけのようで、脈もしっかりとあり、呼吸も安定している。


 死に体だった私の体調を回復させ、ロンダートが引き入れていた魔族も倒してくれた。

 マルトさんは王家にとって、そして私にとって何よりの恩人だ。


「もちろんです、任せてください……女神様」


『……ふふっ』


 女神様がどこか遠いところで、うっすらと笑った……ような気がした。


 この日から私は、誰よりも精力的に動き回ることになる。

 もうロンダートに二度と隙を見せることはない。

 私は彼を即日で修道院送りとし、次期女王として周囲を固めていく。


 マルトさんに助けてもらった命を……決して無駄にしないために。

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