太陽の叫び
本条想子
第1話 資源の大切さ
昔の田舎を思い起こすと、屋根には分厚いケースが載っていた。それは、太陽熱温水器であった。そんな屋根があちらこちらに見られた。
私の育った町は、北海道の内陸部に位置した農業を中心とした片田舎であった。暖かい季節が短く、五ヶ月は雪に埋もれる。海からは遠く、学校にあるプールも気温が低いことが多く、夏でもわずかな日数しか泳ぐことができない。透き通った清い流れの川も次第に農薬で汚染され、遊泳が禁止されていた。
その頃の私には、ソ連の史上初の有人宇宙船「ボストーク1号」に乗り込んだユーリー・ガガーリンの言葉「地球は青かった」が深く染み込んでいた。1961年、宇宙へ人類が飛び立った。この地球を宇宙から見たのだ。幼い私は、これからの科学技術に夢を膨らませたものだった。そんなこともあって、太陽熱温水器の技術が向上し、薪や石炭や石油のいらない時代が今すぐにでも来ると、信じて疑わなかった。
私の小学生時代は、学校の燃料も石炭が主流であった。各教室に備え付けられた石炭ストーブの係は、日直だ。日直は、下校前に教室にある石炭箱を石炭で満杯にしてから帰る。
各家庭でも、このような仕事は子供達の日課だった。その仕事は兄弟姉妹の順送りで私にも回ってきた。ストーブをガンガン焚く茶の間から長い廊下を通って奥のトイレの前へ行くと、燃料の大鋸屑を入れる缶が15個ほど並んでいる。そこは物置小屋が隣接していて、二十畳ぐらいの小屋の奥に大鋸屑が山積みされていた。冬のしばれる日に、暖かい茶の間から小屋の奥まで行くのは、気が進まなかった。つい手袋を忘れて来たときには、缶に指が張り付くこともあった。
小学生の私は遊びに夢中になり、つい日課を忘れてしまった。当然、大鋸屑が入っていると思い持ち上げた缶が、軽い時の気持ちと手の感覚といったら何とも言いようがない。明るい時はまだいい。すぐにでも飛んで行って、間に合わせの数だけ要領よく入れてくればいい。しかし、暗くなってから気付いた時は憂鬱になる。とても独りでは、行く気になれない。この時は、姉や兄に頼んで一緒に付いて来てもらう。物置小屋には、暮れの餅つき以外、電球は引かれない。もう、懐中電灯を持って行くしかない。
棚に並べられた大鋸屑がずっしりと入った缶をここから茶の間の前の廊下に最初の二個を運ぶのは、私だった。あとは、それぞれ運による所が大きい。それは、茶の間の前の廊下にある大鋸屑の缶がからになっている時に、トイレへ行く人が運んで来るという暗黙の了解があったからだ。当然ながら、トイレへ行くついでに空の缶を運んで行って、用を足した後で大鋸屑の入った缶をついでに運んで来るのだった。誰言うとなしに始まったバトンならぬ、大鋸屑トイレリレーなのだ。
木造の家の廊下は寒いので、つい走ってしまう。長い廊下は、結構走り出があった。茶の間の十畳の次は祖父母の部屋の八畳間、その次は客間の八畳、そして風呂場の前の広場とトイレの前の広場という具合に、長い廊下が続いていた。そこは、長い廊下を挟んで障子戸の部屋が続く。茶の間の前は両親の部屋、祖父母の部屋の前は食堂、客間の前は台所そして風呂場、トイレと続いていて子供達が走る材料が充分だった。
中でも、台所の硝子戸はいつも開いていて、電気も消えているため、ここが一番に子供達を怖がらせる。その事を知っていながら、わざと隠れていて驚かすのだから始末に悪い。だが、一応のルールは守っていた。やはり、物を持っている時は、後の事を考えたら、迂闊に驚かす事ができない。間違って大鋸屑を持っている時に驚かしたものなら大変な結果が待っている。駅の階段を掃除するわけでもあるまいに、廊下一面が大鋸屑だらけとなる。
私のすぐ上の姉、陽子を驚かす時はよほどの覚悟がいる。どちらかというと驚かそうとした方が、驚いてしまう結果となるからだ。陽子の声は、泥棒と鉢合せをしても泥棒の方が驚いて逃げ出すぐらいのものだ。
驚かされる場所は、台所の他にもいろいろあった。このように廊下で驚かされるのも、薄暗い電球が一つあるのと、風呂場の前の広場に明るい電球があるだけだからだ。これらの電気のスイッチは階段の板戸の横に付いていた。それ以外の部屋の電球は、暗い部屋の中央にあって、電気のキーソケットをひねって付けなければならなかった。この事は、またぞろ脅かしの条件を兼ね備えるのだった。
夜、明かりが付いているのは、店と茶の間だけだった。冬の寒さは、全員を茶の間に集めさせた。各部屋にはストーブもコタツもない。皆は寝る時に、いつもチンチンと音を立てている湯沸しから、柄杓で湯を湯たんぽに入れて部屋に引き籠った。
昔の私の家では、エネルギーは節約されていた。電気も燃料も無駄には使われていなかった。取り分け燃料は、祖父の働きによって資源自体最終の段階まで生かされ、我家でも大変助かった。私の心に残る祖父は、毎日のように薪を集めに木工所へ行く姿だった。祖父はもらってきた薪を物置に積み上げた。それから風呂場の前の広場の板をはがして縁の下にも仕舞っていた。それを一番手伝わされたのは6歳年上の兄だった。私は面白半分に手伝っていたが、手助けになっていたかは疑問だ。その周りで、ちょこまか動いていただけだっただろう。近所の子供達と遊んでいても、祖父がリヤカーに薪を山積みして帰って来ると、私は飛んで行って手伝おうとするのだった。
北国に冬将軍が訪れる前に、家々では軒下や小屋に大鋸屑や薪や石炭を運び込んだ。冬になると私の家では、木っ端に換わって大鋸屑となる。ストーブも薪用から大鋸屑用へと換わる。湯沸しだけはそのまま取り付けられていて、煙突で繋がっている薪用ストーブをはずし、換わって大鋸屑を入れるタンク付きのストーブが取り付けられた。冬の寒さは、薪に換わって、火持ちの良い大鋸屑となる。夏はまた別で、ストーブを乗せている台まで取り払われて囲炉裏になった。しかし、そんな中で年々、大きなスペースを使う大鋸屑はほとんどなくなり、石炭や石油に移行して行った。
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