第50話 今は、勝負のことだけに……

 観客席の最前列からユイナの試合を観戦していたイオナは、試合直後の大歓声が遠のくほどに思考停止を余儀なくされていた。


 剣を構えてユイナと対峙した時、どんな手段を取れば勝ち筋に繋がるかまるで分からなかったからだ。


「あんな馬鹿デカい魔力を一振りの剣に乗せて放たれたら、一溜まりもねえ。あたしには、まず不可能な技だ」


 初撃を躱せたとして、その次はどうだろうか? レギュレーションはあくまでも魔法剣術を使った戦いにはなっているが、別に剣を絶対に使わないといけないという制約はない。


「ユイナの持っている剣は、もう耐久力がないはずだ。会場の一部を消し飛ばすほどの魔力量を乗せたら、普通なら一発で消し炭のはずなんだけどな」


 そこが、ユイナの凄いところでもある。荒々しい戦いぶりを見せながらも、実際は剣に魔力を過剰に込めすぎないようにコントロールしていた。


 つまり、あれでまだ本気ではないということだ。大会というレギュレーションがなければ、対峙した時点で命の保証は皆無と言っていい。


「……まあ、武闘会で亡くなった剣士がいるって話もあるし、生きていても剣を振れない体になった話はザラにある。あたしも、もしかしたら……」


 いやいや、とイオナは弱きになる前に自分の頬を両手で挟み込むように強く叩いて気合を入れ直す。自分が何のために戦っているのか、それを声に出しては繰り返すのだ。


「家族がもう一度、一緒に暮らすため……。お母様のことは残念だったけど、まだお父様がいる……。あたしが、強くないといけないんだ」


 その時、ふと最近に見た夢の内容が脳裏に過った。血塗れの母を見下ろす犯人のローブ姿が、今も瞼の裏に焼きついて離れない。


「また、こんな時に……。いや、こんな時だから、なのかもしれないな。きっと、お母様は自分を忘れてほしくないんだ。だから、思い出してしまうんだ」


 母は、とても高潔で優しい人物だった。品行方正、良妻賢母、そんな言葉が似合う人だった。


「お母様は、貴族同士の開催する集会にもよく参加していたらしい。お父様が、少しでも界隈で有利な立ち位置につけるようにしていたと」


 当時のイオナはまだ幼かったので、その意味を理解してはいなかった。しかし、今のイオナからすれば欲望渦巻く魔窟に身を投げて生還することがどれだけ過酷なのか身に染みて分かっていた。


「お母様が、今も生きていたら……」


 イオナはそんな場面を想像して、自分のいないはずの母の姿を想像する。もしも生きていたなら、きっとこう声を掛けることだろう。


『イオナ、下を向いている場合ではありませんよ。前を見て。勝利とは、未来を見据えた先にあるものですからね』


 そんな言葉をかけてくれるのだろうか。もしも母がいたら……、考えれば考えるほど、母を失った時の時間の悲しみが増していく。


「犯人は、未だに見つかっていない。あの時のローブ姿の犯人は、私しか見ていない」


 つまり、自分の記憶だけが頼りだ。夢にまで出てきたくらいだ、今ならもっと鮮明に思い出せるはずだと何度も思い出してはみているが、未だに犯人の手がかりになりそうな特徴はなかった。


 当時のイオナは気が動転していて、そもそも犯人を観察する余裕なんて全くなかった。あんな一瞬見ただけの光景で、犯人が誰かなんて分かるはずもない。


(けど、手がかりはある。犯人が、お母様を襲った動機になる部分……。あの、アーティファクトだ)


 王国の騎士団に調査してもらっても掴めなかった犯人の手がかりに、イオナだけは心当たりがあった。それは、母がいつも大事にしていた「とあるアーティファクト」の存在である。


 その名も、魔剣グレイプニル。所有者の魔力を吸い取り本来の剣の力を引き出すが、魔力を吸い尽くされると次に生命力を無理矢理に魔力へと変換させられ、酷使すれば死亡するとされる禁忌のアーティファクトだ。


(お母様が亡くなったあと、どこを探してもあの剣が見つからなかった。お母様はいつも、あれを寝室の床下に大事に保管していた。だが、それがなかったということは、犯人の狙いはアーティファクトだったのは明白)


 魔剣グレイプニルは古代より存在する、匠が作り上げたこの世に二つと存在しない名工と母からは聞いている。つまり、あれを所有している人間こそが犯人であるということだ。


(いや、そうとも限らない。あれは個人の魔力が大したことがなければ、扱うのは困難……。すでに売り払われた可能性もある。けど、未だにそれも見つかっていない)


 つまり、魔剣グレイプニルを当時の犯人がまだ所有している可能性がある。何故、あんなものを盗む必要があったのかは分からないが、動機がどんなものであれ家族の幸せを踏み砕いた下手人を許しておくことなどできない。


 ああ、むかつく。憎い。悲しい、恨めしい。そんな負の感情を、記憶を辿ることで増幅させていく。


 その感情はやがて激情へと変換され、自分が今以上の力を発揮するための燃料になる。


 ユイナ・ヨワイネの壁は感情を昂らせた程度で越えられるなどとは考えていない。だが、彼女もまた自分の野望を叶えるのを妨げる敵だと考えれば少しは差も縮まるだろうとイオナは考えていた。


「……わりぃな、ユイナ。あたしは、どうして勝たなきゃいけねえんだ」


 ユイナの立ち姿に、あの時の犯人の姿をはっきりと重ね合わせる。研ぎ澄ました己の刃が、最高のパフォーマンスを発揮できるように微調整を加えていく。


 ユイナに恨みなどあるはずもない、しかし負けられないのも事実。ならば、自分の叶えたい願いを押し通すためにも彼女には退いてもらわなければならないのが道理だ。


「絶対に、勝つ。犯人も、いつかこの手で捕まえる。そして、お父様ともう一度……。そのために、勝たなきゃいけねえんだ」


 今にも堰を切ったように溢れ出しそうなドロドロとした感情のマグマを何とか胸も辺りに押し留め、すっと席を立ち上がって移動を開始する。


 いよいよ、ユイナと……学園祭今日の勇者候補と対峙する。勝算など最初からないのかもしれないが、すでに覚悟を決めたのなら後はがむしゃらに突き進むだけだ。


 この手に勝利を掴む、そのことだけを考えて試合場へと足を向かわせる。暴れ馬となって体内を駆け巡る魔力の奔流を解放できるその瞬間を、獲物を目の前に待ち伏せする狼のような貫禄を漂わせながら待ち侘びていた。

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