第48話 魔王は、既に動いている

 ネオとイオナの試合が終了するのとほぼ同時に、ユイナは観客席を離れてとある場所に向かっていた。それは、ネオが運び込まれたと思われる闘技場内に設置された医務室だ。


 その足取りはとても速足ではあったものの、それは彼の容態を心配してのことではない。単純に、ネオに会いたいという強い思いが彼女の足をより速く突き動かしているのだ。


「そもそも、兄様は怪我なんてしていないはずです。あの時、私は確かに見ていましたから」


 試合の時、ユイナはネオの一挙手一投足から一瞬たりとも目を離さなかった。それこそ、凡そ四分ほどの試合を瞬きもせずに観戦していたのだから大したものだ。


 そして、だからこそ分かっていた。最後の一騎打ちのとき、ネオがどういう行動を取ったのかを。


「兄様はイオナさんの魔力と衝突して剣を破壊されたのではありません。ぶつかる直前、自分の魔力を所持する武器へと過剰に流すことで自ら武器を破壊へと追い込みました。そして、壊れると分かっていた剣がイオナさんのものとぶつかり合った直後、全力を以て後方へと飛んであたかも相手の剣圧で吹き飛ばされたかのように偽装した。壁に穴が空いたのは、あくまでも兄様がパフォーマンスのために自分で飛んだ勢いで意図的に空けたと考えるのが妥当でしょう」


(その意図するところは、恐らく自分の実力を隠すため……。今まで同様、イオナさんと戦っても勝負にならないことをオーディエンスの前で見せつけたのです。理由は……、正直、今では分かりません)


 最初、ユイナはネオが自分のためを思って実力を隠しているのだと思い込んでいた。ユイナが、ルナとの戦闘を経験するまでは。


 しかし、あの戦闘の後に記憶が混濁したフリをして兄に対して積極的に接するようになってから分かってきたことがある。それは、圧倒的なまでに兄は自分に対して関心がない、あるいは非常に低いということである。


「兄様は、私に関心はない……。これまで適当にあしらわれてきて、ようやく分かってきました……。あの人は、何かもっと別のことに執着している。私や、友達であるシュウヤさん、そしてイオナさんといった魔法剣術士との勝負にも勝る何かに……。それが何かは、分かりませんが……」


 ユイナとしては、兄のことをもっと知りたいと思っている。ユイナ自身、ネオが自分に対して全く関心がないことを知ってショックを受けていなくはないが、それ以上に今まで抱いてきた思いを捨てきることもできない。


 どんな人物像であったとしても、彼が自分のたった一人の兄であり家族であることに変わりはない。であるならば、家族として彼のことをもっと深く知り、そして傍に寄り添いたいと考えているのだ。


「兄様が何を為したいのか、それはまだ分かりません。でも、だとしても私は、そんな兄様を一番に支えたいんです。ただ……」


 今、自分が抱いている兄への恋慕は本当なのか? それだけが、彼女の中心で渦巻く不安へと昇華されてしまっていた。


「……ようやく、医務室が見えてきましたね」


 結構早歩きで来たつもりではあったが、流石は全校生徒以上の人数を収容できる闘技場となってはそれなりに広いらしい。ユイナは医務室の扉の前に来ると、軽く二回だけ扉を叩いて呼びかけてみる。


「あの、すみません。私、ネオ・ヨワイネの妹のユイナ・ヨワイネです。入ってもよろしいでしょうか?」


 しかし、返ってきたのは不気味なほど静かな空気感だけで物音一つ聞こえることはなかった。流石におかしいと感じたユイナは、今度は少し強めに扉を叩いて応答を求めた。


「あの、すみません! 誰かいらっしゃらないのですか?」


 だが、何度呼びかけようとも返事が返って来ることはなかった。こうなってはやむを得ないと考え、医務室の扉に苛立ち交じりに手をかける。


「どうなっても、知りませんからね!」


 焦りや不安を吹き飛ばす勢いで扉を開き、医務室の中へと侵入する。そこにはベッドが二つ、それから医療道具を仕舞っておくと思われる棚や医者が使うと思われる椅子と机の類などが設置されていたが、肝心の中はもぬけの殻だった。


「……おかしいですね。誰もいない、というのは少し変です」


 もう少し中に踏み込んでみて、ベッドの下や部屋の隅々まで探索はしてみたが結果は変わらない。むしろ、自分の肌に感じた嫌な予感が現実味を帯びてきて逆に冷や汗が滲み出てきた。


「これなら、私の方が患者になれそうですね。……ともかく、兄様を探さないと」


 ユイナは来る時よりも急ぎ足で医務室を出ると、今度はネオが退場したと思われる闘技場の通路を辿っていく。普通、怪我人が出たら闘技場から医務室へは最短ルートでやって来るはずなので自ずと道も一本に絞られる。


 しかし、その道中でユイナは信じられないものを目にすることになった。リングへと続く道も終わりに近づいて来た頃のこと、視界の中に倒れた救護班と思われる人間三名と地面に放られた担架が発見されたのだ。


「……っ! ちょっと、大丈夫ですか!」


 ユイナは三人の下へと駆け寄るが、いずれも気を失っているだけで命に別状はないと判断できた。ただ、彼女の気が休まったわけではなく、むしろ焦りは募っていくばかりだった。


「……兄様がいない」


 倒れた担架は、恐らく三人が勢いよく運んでいるところに何かが起こったせいで転倒したのだ。救護班の全員が気絶したならば、担架は勢い余って暴走気味になり放り出されるからだ。


「理由は分かったけれど、兄様がいないなんて……。まさか、またあの時みたいに誘拐をされた……?」


 ネオが一度狙われているのならば、二度目だって狙われてもおかしくはない。大した怪我は負っていないだろうというのはあくまでもユイナの推測であり、実際はもっと大怪我をしていて、その隙を狙われて何者かに攫われた可能性だって十分にある。


「ともかく、このままでは前回の二の舞です。あの時みたいに、無力な自分でいるわけにはいかない……! 探しに行かなきゃ!」


 もはや、ユイナにとってイオナとの決勝戦など考えてもいなかった。試合を棄権してでもネオを探し出し、無事に合流することが最優先目標となっていたからだ。


 しかし、事がそう上手く運ばないのは世の常だ。これは、偶然ではなく意図して仕組まれたことなのだから、当然ユイナがネオを探しに行くという行動を取ることは彼らにとっては予測済みのことなのだ。


「行かせないよ、ユイナ・ヨワイネ」


「……っ! 誰ですか!」


 ユイナは呼び止められて初めて、彼女の気配を認識することができた。振り返って腰に下げた剣の柄に手をかけ臨戦状態に入るが、この時点で彼女は全身から滲み出る脂汗が止まらなかった。


(こんなに近くにいて気配を察知できないなんて、どれだけ隠密性が高いのか……。最近は、自分より遥かに化け物な人ばかりにお会いしますね)


 視認した人物の容姿は、実に分かりやすいものだった。黒髪のポニーテールに眼鏡、少し大きめの胸を持った身長百八十センチくらいの学園生だ。


 雰囲気から察して、恐らくは上級生と思われるがユイナは彼女の容姿と合致する人物と学園ですれ違ったことがない。この時点で既に、何かがおかしいと彼女の中では勘づいていた。


「あなたは、学園生ではないですね? 何者ですか?」


「それが、あなたの聞きたいことなの? まあ、結論から言うと学園生ではないよ。私は、魔王軍で隠密部隊の班長をしているモブA」


「モブA……。それが、あなたの名前なの?」


「名前っていうか、コードネームだよ。それより、知りたくないのかな? 君のお兄さんの居場所」


「っ! 兄様がどこにいるか知っているのですか!?」


 ユイナは彼女が兄の居場所を知っていると聞いた途端、血相を変えて問い返す。大切な兄に何かあったらどうしようか、そんな焦燥で胸が張り裂けそうな思いだったので兎角早く彼の状態を聞き出したかった。


「勇者候補でも、愛する兄を天秤にかけられたら取り乱すんだね。安心しなよ、君の兄は無事だ」


「無事って……。どこにいるのかを言いなさい。言わないなら……」


「戦うのかい? いいけど、私は非戦闘要員でもそれなりに強いよ? 無傷とは言わないまでも、君と互角に渡り合える。先日、ルナ様から手痛い仕置きを受けているのに学習していないのかな?」


「っ……」


 ユイナの心に残ったしこりを的確に刺激してきて、思わず戦意が削がれそうになる。呼吸が自然と荒くなり、襲い掛かる手の震えを奥歯を噛みしめることで押さえつけようとするが、それが逆に恐怖心を加速させる。


(私は、恐れている……。また、あの時のように無様に負けることを……。何とも、情けない……)


 だが、相手はそんなユイナの気持ちなど知る由もなく、淡々と話を進めていく。


「君は、これから兄を探しに行くつもりなのだろう? 止めておいた方がいい。あの方は、それを望んではおられない」


「あの方……。まさか、魔王?」


「ご明察。これはね、魔王様の計画の一端なんだ。彼が消えたのも、計画のうちの一つ。でもね、君が彼を探しに行ってしまうと折角の悪だくみが台無しになってしまう」


「そう……。なら、尚のこと急いで探しに行った方がいいんですかね?」


「さっきの話、聞いてなかった? 止めておいた方がいい。もしも、計画に支障が出るようなことがあれば君の兄がどうなるか分からないよ?」


「人質のつもりですか?」


「そう。そして、君にはちゃんと闘技場で試合をして、そして優勝してもらう。勇者候補として、存分に君の実力をオーディエンスへと周知させてくれたまえ」


「それに、何の意味があるのですか?」


 ユイナには分からなかった。彼女が言っていることも、兄がしようとしていることも、これから起ころうとしていることも、何もかもが理解不能だった。


 何故、兄は魔王軍に加担するような真似をしているのか? 何故、自分が魔王の計画と知らず知らずのうちに関係してしまっているのか? 全く以て、理解不能なことばかりだ。


「これも……」


「魔王の計画の一つ、なのでしょう? 何故、魔王は私に強さを求めるのですか?」


「勇者だからじゃない? 魔王を倒すのは、いつの時代、どんな物語でも勇者の役割だ」


「答えになっていない」


「答える気が無いからね。ともかく、今言えるのは試合に勝って、そうすれば自然と兄は君の所に帰って来るってことだけかな。どうするかは君次第。じゃあ、私はもう行くから」


「待ちなさいと言っているでしょう。逃がすと思う?」


「逃がされるまでもなく、逃げさせてもらう。私は、逃げることにかけては魔王様にだって負けないつもりだからね」


 彼女はゆっくりと、わざとらしく自分の胸の前に両手を持ってくる。思わずユイナはそれに視線を誘導されてしまったが、それこそが彼女の術中だった。


 パン! 一つ手を叩いた瞬間に、魔力が白く光り輝き周囲へと弾けた。ユイナの視界が奪われたのはほんの一、二秒の出来事だったが、瞬きするのを堪えたにも関わらず彼女は影も形もなくなっていた。


「……また、してやられたってことですか。魔王軍……。どこまでも、どこまでも私をコケにして……!」


 悔しくて、憎たらしくて、ギュッと拳に力が籠るがすぐに深呼吸をして平静さを取り戻した。怒り散らしたところで状況が変わることはない、彼女の言うことを信じるならば自分が為すべきことは既に決まっている。


「魔王軍の手先の言うことを聞くのは癪ですが、兄様のためです。私にも、負けられない理由がもう一つ増えてしまいました。イオナさん、すみませんが……。決勝で当たったときは、確実に勝たせていただきます」


 兄を救うことで頭がいっぱいになった彼女の姿は、勇者などと表現するには生温いほどに殺気立っている。悪鬼羅刹の如き迫力を従えて、先日の戦いで刻まれた悔しさや怒りを鮮明に思い出しながら試合場へと足を向けたのだった。

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