第45話 馴染同士の挨拶には、ご用心
武闘会第一回戦の何試合かが終了し、一度休憩を挟むことになった時のことだ。
シグルス王国魔法剣術学園の学園長、ルードリヒ・アーノルドは満足気に自分の席を立つと闘技場の内側となっている廊下へと出る。ずっと座っているのが窮屈ということもあり背伸びをするために出てきたわけだが、そこで思いがけない人物と対面することになる。
廊下の右手側、コツコツと黒い皮靴の音を静かに鳴らしながらゆったりとした歩調で真っすぐと迷いなくルードリヒに近づいてくる。赤色の少し派手目な貴族衣装を着て、指や首の辺りを宝石で着飾ったやや背の高い灰色髪の人物はルードリヒの前で立ち止まり、ゆっくりとお辞儀をした。
「これはこれは、ルードリヒ学園長殿。こうして会うのは、随分と久しぶりですね」
とても中世的な声色で、聞いているこちら側の警戒心を解きほぐすかのような喋り方だ。そのやり口を知っているルードリヒはにこりと微笑むと、お辞儀ついでに挨拶を返した。
「こちらこそ、いつも世話になっている。また一段と、貴族共の伏魔殿に揉まれて逞しくなられた。なあ、エンペルト卿?」
「エンペルト卿などと、余所余所しい。コーネリア、と呼んでくださいよ。これでも我々は、あの子の共通の父ではないですか。父親同士、仲良くしようではないですか」
「ですか。なら、遠慮なくコーネリア卿と呼ぼうかな」
「ええ、それがよろしいかと」
柔和な笑みを返したコーネリアは今にも右手を差し出すのではないかといくらいに距離を詰めてきた。しかし、歩幅二歩分空いた二人の距離感には深い谷が合間に挟まれているかのような絶対的な差がありそうな雰囲気でもあった。
コーネリア・エンペルトは現在、イオナとシュウヤの父であり、王国の貴族院にも属している有力な貴族の一人である。非常に強い影響力を持つ彼の家系は代々優秀な魔法剣術士を排出しており、彼自身もまた若い頃にはとても強力な魔法剣術士の一人として活躍していた時期があるくらい著名な人物でもある。
「あの子の方は元気ですか?」
それを聞いたのは、コーネリアの方だった。ルードリヒは眉一つ動かすことなく、笑顔のままで正直に問いに答えた。
「元気、ですよ。彼女は健康的で文化的な学園生活を送っている。そういうコーネリア卿は、どうして娘の様子を知らないのかな?」
「彼女はもうほとんど自立しています。学園の寮に入れたのも、私を頼らずに生きて行けるようにと。当然、シュウヤの方も同じです。二人とも我が子、ですが最近は仕事が忙しくて会えてないのです。ですが、あなたが管理している学園でならば、特に様子を見ずとも安心して預けられるでしょう? 何せ、彼女は元はあなたの……」
「よしましょう、その話は。どこで誰が聞いているか分からない。今や、私はあの子のそれではないのですから。親権も含めて、全ての権利をあなたに移譲している。教育方針に口だしはしない」
「……では、この話はここまでで」
ルードリヒが「この話」を躊躇ったのは、公には知られていない類の話だからだ。無論、過去を遡ったり、色々と調べ回せばすぐに分かるようなことではあるが、悪戯に知られたい話というわけでもない。この手の話題を出すときは、もう少し場所を選ぶことを常に心がけている。
ゆえに、今日の本題はそれではない。コーネリアがここにやってきたのは、ルードリヒに「とあること」を伝えるためである。
「これは、内々の話になるのだが……」
コーネリアは周囲に人がいないことをしっかりと確認してから、対面にいる彼にしか聞こえないくらいの声で重苦しい雰囲気へ声を乗せるように話し始めた。
「魔王軍、なる団体を知っているか?」
「……魔王軍。噂で少し、耳にしたか」
「流石はルードリヒ学園長、あなたくらいの人物なら裏社会の情報もある程度は入って来るようですね」
「だが、それは都市伝説の域を出ない程度の与太話のはずでは?」
嘘だ、本当は魔王軍出現の話は知っているし、実際に自分たちの領域を犯しにやってきている。しかし、それを知っているということは「かの組織」に加担しているか、あるいは近しいか、もしくは国の上層部のほんの一握りの人物であるということを自白しているようなものだ。
彼は、この話を単なる噂話でしか知らない。これは、コーネリアが仕掛けた高度な踏み絵でもあったのだ。
「そう、表社会では言われていますね。ですが、これは確実な情報ですよ。王国の闇に巣食う研究会はご存知ですよね?」
「ああ、魔導叡智研究会か。しかし、あの組織もまた実在するか否かは不明とされている団体の一つ。とはいえ、私もそれなりの年月を生きていますからね。彼らが実在することくらいは、知っているとも」
「ええ、仰る通りです。かの研究会は実在している。そして、彼らは今、裏社会でこれまでにないほどの活発な動きを見せていることが確認されています。原因は、魔王軍なる団体の影響です」
「何故、魔王軍なのかな? 聞くところによれば、構成員は全員が魔族……魔王なる存在もいるとか、いないとか。しかし、魔族が国の中に紛れ込んでいれば気づかないはずもないでしょう」
「ええ。ですが、実際には上手く人間社会に溶け込んでいる。方法は不明ですが、恐らくは魔力を使った何かでしょうね。それを暴く術は今のところないですが、今重要なのはそこではない。魔王軍は、彼ら研究会に宣戦布告し奴らの根城を荒らし回っているそうです」
「存在するはずのない架空の組織を相手に、ですか。どうやって?」
「それも不明です。彼らは独自の情報入手ルートを持ち、そして独自の技術を活かして我々では到底不可能な調査を行い、次々と奴らの拠点を暴いては潰している。今は裏社会ですらも表に浮上しない程度のいざこざ、所謂、犬猫の喧嘩程度の些細なものです。しかし、これが続けばそうも言っていられない」
コーネリアはとても神妙な顔つきで話を続ける。廊下を吹き抜けるささやかな風が堅苦しい空気を薙いでも、すぐさま息をするのもやっとなほどの深刻な空気感が場を支配する。
「研究会が魔王軍のちょっかいに対して反撃を仕掛ければ、たちまち王都は戦場となる。そうなれば、我々に出てくる影響も少なからずあるやもしれません。あなたの抱える大事な学園生も、そしてあの子も、この戦いに巻き込まれる可能性はゼロではない」
「何か、近々起こると確信しているかのような物言いだ」
「確信、していますよ。先日、ユリティア王女とアリスティア王女の誘拐事件があったでしょう? 犯人は学園の教師の……失礼、名前は忘れたが彼は研究会の所属ではないかと私は考えている」
「その根拠は?」
「根拠そのものはない。だが、事件のあった現場の様子……倒壊したかに見せかけて証拠品の類の一切を消し去るのは研究会の十八番だ。それと同時に起こった行方不明、そして一カ月間にも及ぶほどの休職……。研究会が絡んでいないと考える方が難しい。そして、その事件に何らかの形で魔王軍も関わっている」
「関わっている根拠は言うまでもなく、現在の研究会とのいざこざということか」
「その通りです。彼らは研究会を何故か目の敵にしており、執拗に追い回している。二人の王女を攫ったのは研究会に何か目的があったからで、それを魔王軍の介入によって邪魔された。そして、その帳尻合わせをこの王都のどこかでするのではないかと」
「なるほど。それで、この学園が狙われる可能性を危惧して忠告しに来てくれたわけか」
「はい。くれぐれも、お気を付けください。魔王軍は何もかもが正体不明……。構成員、人数、規模、潜伏場所、首魁、それら全てが調査中ですから。私も最近、少し身の回りでおかしなことが起きていましてね。決して他人ごとではないと、思っている所なんです」
「おかしなこと、ですか」
「大したことではないですよ。懇意にしていた貴族の何人かが消息を絶ったり、領地の一部が少しごたついたりね……。とても胸騒ぎがする」
コーネリアは懐から金の懐中時計を取り出した。時刻は正午を指す手前、カチカチと歯車が回る音が心地良いリズムを刻んでいる。
彼はじっと時計の針を見つめてから、「ふう」と溜息を吐いてそれを仕舞った。どうやら、ここらが時間制限らしく小さくお辞儀をした。
「私はこれで。この後、約束があるのでね」
「娘の試合は良いのか? それとも、デートか何かで?」
「イオナが決勝戦まで勝ち抜いていたら、見に来るとしよう。……まあ、デートのようなものだ。月のように綺麗で鮮明な瞳を持つ一人の女性と会う約束をしている。無論、私は妻一筋だから付き合う気はないが」
「そうか。まあ、好きにすると良い。私は私で、好きにやらせてもらうとしよう」
「……あの子を頼んだよ。我が友よ」
「任せてくれ。必ずや、研究会やら、魔王軍やらの手から娘を守り抜いて見せる」
「ぜひ、そうしてくれ。そのために、わざわざここまで情報を持ってきたのだから」
「今度、食事でも奢ろう」
「行きつけの店でな。知っているとは思うが……」
「大酒のみだからな。覚悟しておこう」
「分かっているならいい。ではな」
ルードリヒは貴賓席へ、コーネリアは向かうべき場所へと歩みを進めていく。コーネリアが帰り道を辿る道中のこと、不意に視線の脇に黒髪の青年が立っていたような気がした。
すれ違うまではそこまで気にならなかったのに、歩みを進めて少し、一気に酔いが醒めるような感覚が脳内に襲い掛かって来る。冷や汗が流れるよりも早く振り向くも、背後の廊下には誰の姿もなかった。
「……気のせいか? 確かに、黒髪の青年がほくそ笑んでいたような気がしたのだが……」
まるで全てを見透かしたような男が、そこにいた気がしたのだ。見た目と年齢が相反しているかのような、ただならぬ気配を纏わせた……まるで、人影に潜む闇を人型にしたような、そんな人物が。
「……気のせい、か」
そんなはずはない、と自分を安心させるために頭の中で言い聞かせる。これでも王国流剣術皆伝の剣士、並大抵の実力者程度なら気配を消したところで探り出せるくらいには強いと自負しているからだ。
彼は再び、コツコツと靴音を鳴らして歩き出す。この世の不条理を体現した男が、一切の気配を纏わずに存在していたことなど知る由もない。
その彼……魔王は二人が姿を消したところで「ふっ」と微笑みながら、白熱しているゲームの盤面を俯瞰するように思考を巡らせながら呟いた。
「……篝火が、僕を呼んでいる」
わーーーと、外から歓声が鳴り響いて意識が逸れる。そして再び意識をそこに向けた時には、まるで最初から人などいなかったかのように静まり返った無機質な廊下の風景だけが広がっていたのだった。
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