第37話 仲良くしたくない相手を守りたいと思わないので、早々にリタイアさせていただきます

 キャリーケースのように引き摺られながら入った森の中は、僕の中では見知った日常の景色同然だ。ちょっと湿っぽいところも、新緑に覆われた隙間から木漏れ日が降り注ぐ風景も、整備されていない凸凹な道中も、まるで自分の庭のように駆け回っては魔力を錬成する特訓に使っていたから。


 一つだけ異質なものがあるとすれば、それは目の前の彼女の存在そのものだろう。野蛮な獣道には生息していない上品な顔立ちと世間を知らない気品な立ち振る舞いはこの森の景色とは完全に違えている。


 まあ、人を平気で奴隷扱いする内面の凶暴性だけはこの森の性分に合っている気がする。案外、森の中で数ヶ月も暮らせば本来の野生を取り戻して帰ってくれるかもしれない。


「ぐへっ……」


「今、失礼なこと考えなかったかしら?」


 僕の考えを読んだらしいアリスティアが引っ張る力を強めながら聞いてきた。野生動物としての勘が鋭いところも、割とそれっぽくてお似合いだ。


「それで? 一つ聞きたいんだけど」


「何かしら? 魔物の相手もしなきゃいけないんだから、手短にしなさい」


「僕を武闘会に参加させた理由だよ。ちょっと調べたんだけど、推薦状は書けても一人までだよね? そんな大事なものをどうして僕なんかに使ったのさ?」


 成績優秀者に与えられる武闘会の推薦権は、一人につき一人までとなる。そうでないと参加者が無限に増えることになるし、推薦状を出された相手は無条件で期待されるわけだから万が一にも期待に応えられなかったら推薦した本人も色々と批難を受けることになるだろう。


「本当は私が出場したかったのだけれど、私は来賓だから参加できないもの。代理を立てるしかないでしょ?」


「それだけ?」


「そんなわけないでしょ。私が参加者でも、あなたは強制参加確定だったわよ」


「それを嫌がらせって言うんじゃないの?」


「決まってるじゃない。姉様を敵に売った男を虐めるのは当然だし。でも、それも割とついでのことよ」


「うわぁ、悪趣味だ」


 「ついで」で人のことを奴隷扱いするばかりか、出たくもない大会に出場させるって鬼なのかな? ディアも鬼人族なのに、あの子は悪魔みたいな容姿して滅茶苦茶良い子なんだよね。


 なのに、こっちは天使とか女神とかと間違われることも(たぶん)あるような美麗美女なのに、内面は悪魔そのものだ。どうしてここまで性格に違いが現れるのか、僕にはよく分からない。


「何とでも言いなさい。本来の目的は、あなたが武闘会で優勝することなんだから」


「優勝って……。それこそ無理無理の無理でしょ」


「無理でもやるのよ。あなたが無理と思ってるだけで、超命懸けで頑張れば何とかなるわ。たぶん」


「そんなブラック企業の理不尽クレーマー上司みたいなこと言ってもできないものはできないよ」


 そもそも、僕は表向き赤組として振る舞っているのだ。上級生も参加する中で、赤組の生徒が優勝を取りに行くなど無謀も良いところだ。


「それでも、もう推薦状を提出しちゃったから今更取り消せないわ。もしも勝てなければ、私とあなたは学園の晒し者になる。それが嫌なら、地べたに這いつくばって相手の靴を舐めてでも生き残りなさい」


「相手の靴を舐めた時点で負けを認めてるようなものなんだけどね。それで? 僕が億分の一の確率で優勝できたとして、一体全体どうするつもりなの?」


 アリスティアが一度歩みを止めてから、また歩き始めた。何か大事なことを言うのかと思ったら、そうでもないのかな?


「あんたを、私の栄誉騎士にするわ」


 ピシッと、空気が膜を張ったみたいに凍りついた。どうしてそれを立ち止まった時に言わなかったのか疑問だけど、生憎と僕の耳は都合の悪いことは聴こえないんだ。


「ごめんよく聴こえな……」


「だから! あんたを! 私の栄誉騎士にするっつってんの!」


 振り向いたアリスティアが耳元で大きな声を出すから、耳の奥がキーンとなってしまった。僕じゃ無かったら、今頃は耳の鼓膜が破れてイカレてたところだったよ。


 そんな剣幕で怒らなくても良いじゃないか。あまり眉間に皺を寄せると、歳を取った時に皺が取れなくなるよ?


「……何で? そもそも、栄誉騎士って何?」


 アリスティアは「は? 何を今更?」みたいな顔をして「はあ」と大きな溜息を吐いた。


「そうよね。学のないあんたからすれば、知らないことよね。こんな貧乏男爵家出身の才能のさの字もない奴からすれば喉から手が出るほど欲しい地位のはずなのに。それとも何? あんた、まさか貴族の端くれなのにお金とか名声に興味ないとか言い出すんじゃないでしょうね?」


「言うよ。僕は今の人間社会の名声とか栄誉とか、そういう諸々に興味がない」


 どうせ、僕たち魔族サイドに最終的には滅ぼされる可能性すらある文明だ。今はまだどうこうする気はないけれど、場合によっては僕自らの手で葬っても良いと考えてる。


 これは虚勢ではなく本心、本当にそういった俗物的なものに興味関心がないのだ。


 あと、いつも余計な一言二言が多いって言ってるよね? 僕だって人間だから、悪口を言われれば傷つく心くらいあるんだからね?


「あんた、本当に変わってるわよね。そんなんじゃ、ロクな大人にならないわよ?」


「別に良いよ。僕は自分の将来設計は、もう建ててあるから」


「良くない。言ったでしょう? あなたは姉様の彼氏を続けてるわけなのだから、そんな大した稼ぎのない仕事すらもしないで家でグダグダ、姉様の脛を齧ろうものなら容赦しないんだから。あんたには、相応の地位が必要なの。お分かり?」


「お分からない」


「お、分、か、り?」


「……はぁい」


「よくできました。偉い偉い」


 この女……。こっちが下手に出てるからって調子に乗ってやがる。


 ……我慢、我慢だ。体の奥から沸々とした底なしの怒りが湧き上がってくるけれど、ここはしっかりと耐えなければ……!


「それで? 栄誉騎士って何?」


「そう言えば、そんな話だったわね。忘れてたわ」


 これを天然でやっていようと、故意にやっていようと許せない。でも、僕は冷静沈着かつクールで格好良い魔王だから怒ることはしないのだ。


 魔物の気配は今のところないけれど、警戒を怠らないようにしつつ彼女の話に耳を傾ける。


「栄誉騎士っていうのは、私の側仕え騎士のことよ。つまり、ほぼ付きっきりで私の護衛をするお仕事をする。給料は弾むわよ?」


「いや、要らないよ。少なくとも、僕はそんな役職には就かないし就きたくない。どうして全力で虐められて奴隷扱いされてる相手と主従関係を結ばないといけないのさ?」


「あんたが栄誉騎士になってくれれば、魔族の復興とやらの細工がしやすくなるでしょ。その為には、まずは身内を懐に入れないといけないわ」


「……つまり、この大会で優勝するほどの成績を残せば誰も文句を言わないで良いってこと?」


「そういうことよ。分かったら、さっさと魔物を狩るわよ。雑魚も狩れないようじゃ、栄誉騎士なんて夢のまた夢なんだから」


 そうこう言っている間に、一匹の魔物の反応がこちらに近づいてくる。アリスティアはまだ気づいていない様子だ。


 僕は魔力操作の練習も兼ねて、向こうの茂みに隠れていた魔物を一体始末しておいた。ぼとり、と首がアリスティアの歩く道の目の前に転がってくる。


「あら? これは、ゴブリンじゃない。どうして頭だけ落ちてるのかしら?」


 ゴブリンというのは、膝丈サイズの黒色の体表を持った小鬼だ。主に単独から最大で三十匹くらいの群れで行動することもあり、人を殺して肉を食べ、持ち物を奪い自分たちで活用したりする。


 魔物のレベルとしては大して強くない部類なので、油断さえしなければアリスティアでも充分に狩れる相手だ。


 アリスティアはゴブリンの頭部に近づき、その醜い顔の額についた小さな角を観察する。彼女が違和感を感じ取ったとしたら、間違いなくそれだろう。


「ゴブリンを討伐した証明になるのは、角のはずよね? どうして角が残ってるのかしら?」


「さあね。きっと、他の魔物が殺したんじゃない? この授業の参加者じゃなければ、別に角なんて大した価値もないし」


「……それもそうね。なら、角を回収しましょう」


「いいの?」


「あんたには、こんなのよりもっと相応しい魔物がいるってことよ。強い奴にぶつけて、強制的に訓練させてやるんだから」


 この王女様は非常に野蛮なお方でいらっしゃった。彼女がもしも角を回収しようと提案しなかったらこっちから提案するつもりだったから手間は省けたけど、これはこれで面倒なことになったかもしれない。


 それからというもの、彼女に引っ張られながらついて行く道中、彼女の目の前に何故か都合よく魔物の首が転がって来る現象が起こっていた。ゴブリンを始め、狼や熊、蛇のような魔物もなんかいたけれど、牙や目玉、角を回収しては先に進んでおり、既にノルマを達成し終えていた。


「ねえ、何かおかしくないかしら?」


「何がおかしいのさ?」


「おかしいわよ。だって、私たちの目の前に都合よく倒された魔物が転がってくるはずないもの。それに、頭部の切断面は鋭利な刃物で切りつけた感じがするし、どうも獣の仕業とは思えないのよね。獣なら、頭部を食べないなんてことないだろうし。胴体をいくら探しても見つからないのも不自然だわ」


 彼女、途中から流石に違和感に気づいて胴体を探し始めたみたいだけど残念でしたって感じだ。だって、倒した傍から胴体に含まれる全てのものを魔力で細切れにして隠滅してるからね、草の根を分けて探したとしても、この森をひっくり返せたとしても見つかることはないよ。


「まあ、そういうこともあるってことだよ。きっと」


「そんなわけがないと思うのだけれど……」


 ……でも、確かにこのままだと不審に思われても仕方が無いか。この事態をどう収束したものか……。


 そのときだ、僕の魔力感知に結構大きな反応が引っかかった。対象はここから十メートルくらい先、ずっと動いてないからたぶん寝ていると思われる。


「……ちょうどいいな」


「何か言った?」


「いや、何でも」


 僕は魔力を操作して軽く対象を挑発してみる。何をしたかと言えば、魔力の流れを作り出して奴に思いっきり流したのだ。


 恐らく、相手からすれば正しく寝耳に水といった感覚なのだろう。ぐっすりと気持ち良く寝ているところを正体不明の相手に叩き起こされたらどうなるかなんて、考えなくても分かるよね?


「ぎゃあああああ!」


「逃げろ! ヤバいのが来る!」


「ギガスパイダーだ! 俺たちじゃ相手にならねえよ!」


「授業は中止よ、中止! もう嫌ああああああ!」


 先に森に入っていったと思われる生徒たちが、正しく蜘蛛の子散らすように森の外へと逆走していく。木漏れ日降り注ぐ穏やかな森の中に響き渡る阿鼻叫喚と動物や魔物の悲鳴が、起こされた彼の怒りを代弁しているかのようだった。


「……ネオ、相手がこっちに来るわ。離してあげるから、剣を構えなさい」


「逃げていいかな? 僕だったら倒す前に死んじゃうと思うんだけど」


「駄目に決まってるでしょ。あなたがやらないと意味がないのだか……ら!」


 目標は高速道路を爆走する車くらいの速度でこちらに迫ってきており、まるで盾にされるみたいに僕は彼女の目の前に放り出された。


 お尻の方に痛みが襲ってきた直後、森の木々を薙ぎ倒しながらやってきたらしい巨大な蜘蛛の眼球が目の前に現れた。十個は付いていると思われる赤い粒々模様が非常に気色悪く、僕を見つけるや否や「ギャオオオオ」という怪獣みたいな雄叫びを上げながら鋼のように堅く剣のように鋭い前脚を僕のお腹を貫き、無造作に視界から外れた茂みの奥へと放り出した。


 グシャ! という大きな肉塊が潰れた音がして、その直後、次の獲物を見つけた彼は怒りの咆哮を彼女に浴びせながら、生理的嫌悪感を覚える赤い複眼を爛々と輝かせて暴力的な殺意を振るい始めた。

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