人形王子と玩具の心

天智ちから

人形王子と玩具の心

 

 とあるお金持ちの家にはキラキラと光る金の髪を持ち、海のように深い青の瞳を持った美しい男の子が生まれました。

 テオドールと名付けられたその子は身体が弱く、いつも自分の部屋から出ることが出来ません。

 絵を描くか、本を読むか、人形で遊ぶかしかテオドールにはやることがなかったのです。

 いつしかテオドールは笑うことも泣くことすらしなくなり、一切の表情を隠してしまいました。

 そしてそんなテオドールを人はその美しい容姿のことも含めて【人形王子】と呼ぶようになりました。

 これはそんな人形王子のお話です。



「テオドールそろそろ寝る時間だよ」


 その声にテオドールは読んでいた本から顔をあげた。

 にゅっと布と綿で出来た顔が近づけられる。


「わかったよ、ギル」


 本はサイドチェストに置かれ、挟まれた栞が揺れている。

 ギルと呼ばれたものは、テオドールが横になるのを見届ける。


「ギルも一緒に寝よう」

「テオドール、君が望むのなら叶えるのが僕の役目だ」


 そうお声がかかったのでギルはベッドに登り、テオドールの顔あたりに移動する。


「君の夢が優しいものでありますように。おやすみテオ。愛してるよ」

「うん。おやすみギル」


 ギルはテオドールの額に口元を触れさせるとテオドールの腕の中に納まった。


 5歳の誕生日にお祖母様が作ってくれた人形にギルという名前をつけたのがギルとテオドールの始まりだった。

 ギルは犬のぬいぐるみでハットを被ってモーニングコートを着ている。真っ白な毛並みは触り心地がとてもいい。

 もらったその日に名前をつけ、毎日一緒に寝た。

 ギルだけがたった1人の友達だった。

 母は生まれた時からおらず、父は仕事に忙しかった。

 一緒に食事をとることすらままならず、1日顔を合わせないことなど珍しくもなかった。いつもいるのはお手伝いさんだけ。そのお手伝いさんも表情の変わらない子供など気味が悪いのか必要以上に関わりはない。たまに会うとチラチラとこちらを見るのがテオドールには居た堪れなかったため、こちらも必要以上に話しかけたりはしなかった。


「痛っ」


 ある日のことだった。

 テオドールしかいない部屋に誰かの声がした。周りを見てもやはり自分以外は誰もいなかった。落としてしまったギルを広いあげる。


「次は落とさないようにね。結構痛いんだ」


 また同じテノールの声が、なんとギルから聞こえた。


「いまの、ギルのこえなの?」

「そうだよテオドール」

「ほんとうにしゃべってる……」

「1年もあればイヌも喋るさ。君も喋るだろ?」


 中に何か機械でも入っているのかと疑い、軽く振ってみたりお腹を押したりしてみたが、何か入っている様子はない。


「気はすんだかい?僕は自分で動けないんだからちゃんと大事にしてくれよ」

「動けないんだ…」

「これから動けるようになるさ!君も動いてるだろ?」


 それからは1人だった部屋には1つ声が増えた。沢山おしゃべりをした。それでもテオドールの表情は変わらないままだった。

 その次の年には本当にギルは自分だけで動けるようになっていた。人形だから表情は変わらないはずなのにまるでどうだ!と言っているように感じた。

 ギルの変わらない表情でもテオドールは感じ取ることが出来た。そしてギルもまた、テオドールの表情を感じ取ることが出来るようになっていた。


「ギルは、僕より人間みたいだね」

「そうかな?」

「うん。……僕も、人形だったら良かったなぁ」

「どうして?」

「そうしたら、きっともっと愛されたかもしれないのに」

「テオドールは愛されてるよ。僕はテオが大好きさ」

「テオ?それ、僕のこと?」


 初めて呼ばれた愛称にテオドールは目をパチパチと瞬かせた。ギルを抱きあげるとぎゅっと抱きしめた。


「今日はもう寝よう」

「うん。一緒に寝てくれる?」

「もちろんだ。君の願いを叶えるために僕がいるんだから。おやすみテオ愛してるよ」


 それから寝る前にギルにお願いをして、ギルがおやすみのキスをするのが毎夜の決まり事になった。



 10歳になったテオドールは幼かった頃よりは体の調子が良くなり、人をつけていれば庭くらいならば外へ出られるようになった。もちろんその時はギルも一緒に。

 あまり長い間はいられないけれど、それでも新しいことが出来るようになることは嬉しかった。

 それでも表情は変わらない。

 でもそれでもいいんだと思った。

 昔からいるお手伝いさんは言わなくてもこちらが必要とすることはやってくれるし、何より自分のことを誰よりも分かってくれる友達がいる。

 でも、最近雇われたという新しいお手伝いさんは苦手だった。露骨に嫌な表情をされるし、外へ出たいというとため息をつかれる。


「どうやったら、僕の表情は動くんだろうね……」

「どうしたんだい?」

「新しいお手伝いさん、きっと僕の顔が嫌いなんだ……。だから、少しでも笑えたらもう少し優しくしてくれるかもしれない」

「あの人は僕のことも嫌いさ。きっと可愛いものもキレイなものも嫌いなんだろう。テオが気にすることじゃない」

「でも……」

「わかった!僕がなんとかしよう」

 ぽんっと左胸を叩いたギル。どうやら何か考えつくことがあるみたいだ。

「ギルが……?」

「ああ!僕にしか出来ないだろう」


 そこまで胸を張って言うのならと、ギルに「任せたよ」と言って額にキスを送る。


「もちろん!君の願いだ。僕が叶える」


 そう約束した月の最後の日だった。

 夜中にふと目が覚めたテオドールはぼんやりとする視界の端でゆらりと動くものを見た。もしかしてギルかなと思い声を出そうとした時、息が出来なくなった。


「っ……ぁっ……ぐっ……!?」


 誰かに強い力で首を絞められている。涙が滲む視界で見えたのは、最近雇われたお手伝いさんだった。


「本当に気味が悪い……!こんな時ですら顔色1つ変えないなんて……!」


 ああ、やはりこの顔がいけないのか。

 でも仕方ないじゃないか。僕だって動かせるものなら動かしてみたい。これは僕のせいじゃない。


「テオから離れろ!!」

「なっ……なんでぬいぐるみが喋って……!!きゃっ」


 途端に首の圧迫感がなくなり空気が入ってくる。

 噎せながらも必死で息をする。はーっという自分の呼吸音がうるさい。それよりも、ギルはと思って灯りをつける。

 顔にしがみついているギルをお手伝いさんが引き離そうともがいてテーブルや棚へぶつかっている。


「ギル!!」

「大丈夫、テオは僕が守る!」

「たかがっぬいぐるみが……!!」


 ブチッと嫌な音がした。

 ギルは手がもげても必死で張り付こうとしていたが、お手伝いさんは更に隠していたナイフでギルを裂いた。


「ギル……!!」

「気味の悪い坊ちゃんのぬいぐるみも、持ち主に似て気味が悪いのね!」

「ギル……ギル……っ」


 バラバラに裂けたギルの布と綿を一生懸命かき集める。

 後ろからお手伝いさんの鈍色の刃が迫るのも気付かない。


「坊ちゃんから離れなさい!!」

「ぐっ……」


 バキッという音がした後、何かが倒れる音がしてもテオドールはずっとギルだったものをかき集め声をかけ続ける。

 すると何か温かいものに包まれた。


「良かったご無事で……!!」


 それは昔からいるお手伝いさんだった。泣いているテオドールを抱きしめた。


「ギルが……ギルを助けて……!」

「ギルは坊ちゃんを守ったのです。私が駆けつけるまで時間をかせぎ……そして、坊ちゃんの心までも取り戻してくれたのです」


 ギルは顔を歪めて泣いていた。ギルを見る目は悲しそうで、心配しているのが見て取れた。

 最愛の友を失ったテオドールは、その痛みと悲しみ、そして表情を得たのだ。



 再びベッドへ戻され手当を受ける。その間、ギルは小さな箱に入れて横へ置いてある。

 テオドールの部屋の扉が大きな音をたてて開かれた。

 しかしそちらへ顔を向ける余裕もない。テオドールはまだ悲しみの真っ只中だ。


「テオドール……」


 そう呼ぶ声に聞き覚えがあり、反射的に顔をあげる。


「ギル……?」


 しかし、そこにいたのはギルではなかった。


「お父さん……」


 滅多に見かけない父だった。眉が顰められた顔は少し怖く見える。

 父はテオドールと同じ目線になるように屈むとぎこちない手つきで包帯の巻いてある首元を優しく労わるように触った。


「すまない……痛かっただろう、怖かっただろう……」


 そんなことよりもギルが壊されたことの方がよっぽど辛かった。だってあの時、テオドールは別に死んだってそれで良かったとすら思っていたんだから。死んだらもしかしたらギルと同じ人形になれるのかもしれないと思っていた。そしてそれもいいなと思っていた。でも、ギルはそれを良しとはしなかった。


「僕のことなんかより、お仕事、いいの?」

「いいんだ。仕事なんかより、テオドールの方が比べ物にならないくらい、大事なんだから。……でも、そうだよな。ずっと仕事ばっかりだった僕が言っても信用ないよな」


 父の手が頬の涙の跡を払い、頭を撫でる。

 初めてされたのに、どこか懐かしい。


「でもこれだけは本当だ。どこに居たって何をしていたって、テオドール、お前を愛しているよ」


 乾いたはずの涙が再び頬を濡らす。

 やがてテオドールは泣き疲れ、睡魔が襲う。

 薄れる意識の中、額へ触れる気配を感じた。


「おやすみテオ。愛してるよ。良い夢を」



 ああ、そうか。ギルはずっとお父さんの真似をしていたのか。声すらも似せて、僕をずっとお父さんの代わりに愛してくれていたんだね。

 ギル、大好きなギル。君が僕の心だ。

 心がないと言われた僕の玩具の心。

 この心がある限り、僕とギルはずっと一緒だ。




 とあるお金持ちの家にはまるで人形のように美しい男がいる。その男はとても優しい顔で笑うのだ。

 特に、ツギハギだらけのイヌのぬいぐるみをいつも抱いている娘と遊んでいる時はそれはそれは美しく優しい顔で笑う。

 お金持ちなのに、なぜツギハギだらけの人形を持っているのか、皆が口々に勝手なことを言う。

「玩具にかける金はない」だとか、「お金持ちではああいうものが流行り」だとか、「ツギハギになるまで大事にされているんだ」だとか。

 どれも別に本当のことなんかじゃないと思うけれど。

 ああ、そういえば1つ面白い説があったな。

 なんでも「暴漢から坊ちゃんを守ったぬいぐるみが破れたのをなんとか元の素材を繋ぎ合わせたからツギハギなんだ」だとか。

 本当だったら余程坊ちゃんはそのぬいぐるみに愛されてたんだろうね。それか玩具に心を与えるほど、坊ちゃんがぬいぐるみを愛していたのかもしれないね。

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