第9話 聖母様の物理学~その4

 お盆休みが近づいてきた。私は札幌の杏の家におしかけるための準備でバタバタしていた。

「雪帆さん、そんなものは札幌でも買えるんじゃないかな」

 克彦さんは、こないだ見つけたちょっと美味しそうな調味料を私がカバンに入れるのを見ていった。

「あなただってそのワイン、札幌でも売ってるんじゃないの?」

「そ、そうか? 珍しいと思うんだけど」

 結局私たち夫婦は、一人暮らしの娘に美味しいものを川崎から札幌まで持っていこうとしているのだ。

 

 なお、北海道へ渡る方法はちょっと迷った。

 杏は車で行ったのでフェリーだった。私が船の旅もいいかもしれないなどと口を滑らせたから、克彦さんがフラフラした。

「そうか、船旅もいいな。車も持ってけるしな」

などといいながら、タブレットでホームページを見始める。

「おお、スイートとかあるぞ」

「高いんじゃないの」

「ええ~、雪帆さんを雑魚寝なんてさせられないよ」

「たかだか往復で合計二晩でしょう? こっちのカプセルホテルみたいなんで十分でしょ」

「それだと僕、雪帆さんと別になっちゃうじゃん。一人で寝るのヤダ」

 そっちか。いくつになっても克彦さんは子供みたいなところがある。

「克彦さん、船でいくと杏のところいれる日が減るんじゃない?」

「うっ。あ、有給取る」

「あと、車置くのに苦労するかもよ」

「うっ」

 しばらく押し黙っていたが、結局、

「飛行機で行く」

となった。


「飛行機って、液体類の持ち込み大丈夫だっけ?」

 克彦さんはどうしてもワインを持っていってやりたいらしい。

「スーツケースに入れて預ければ大丈夫みたいよ」

「そうか、じゃ、その調味料も一緒に入れよう」

 いつもの私達は旅行カバンの中身は最小限にするのだが、今回ばかりは杏へのおみやげで大きくなってしまった。

 

 杏との待ち合わせは札幌駅の改札にしていた。杏からは千歳まで迎えに来ると言ってくれていたが、克彦さんも私も杏の勉強を邪魔したくなくて断っていた。ただ、完全に出迎えを断ってしまうと地下鉄の駅から杏の家まで荷物を抱えて歩かなければならない。意外に大きくなってしまった荷物を見て、札幌駅への出迎えは娘に甘えることにした。

 

 改札が近づくと、杏が手を振っているのが見えた。

「おとうさん、おかあさん、久しぶり」

「うん、元気だった?」

 いくらスマホでしょっちゅう連絡していても、実際に目で健康そうな我が子を見ると安心する。ただ、健康すぎるというか、丸くなったと言うか、若干体重が増えている気がする。克彦さんがニコニコしながら杏の体を上から下まで見回しているが、いくら自分の娘でも失礼ではなかろうか。

「なによお父さん、私も立派に成長してるでしょ?」

「うん、一人暮らしでやつれているかと思ったが、川崎のときよりむしろ、肌にはりがでてるかな」

 ああ、余計なことを言ってしまった。

「お母さん、荷物持つよ」

「うん、ありがと」

 杏は私の荷物だけ持って、スタスタと歩き始めた。克彦さんが早足で歩く杏を追いかけながら私の顔を見てきたが、自分の失言に気づいているのだろうか?

 

  初めて入る杏の部屋は、まあ一応片付いてはいた。正確には部屋を借りるのに冬の間に一度内覧はしていたのだが、家具も何も無いのと、四ヶ月以上暮らしたのではやっぱりちがう。

  玄関を開け、さらに一枚のドアを開けると、一応間取りとしてはリビングダイニングである。中央をテーブルが占めているが、食卓とは言えない。パソコンのモニター、筆記具、計算用紙、論文であろうコピーなどが一応整然と置かれている。川崎の杏の部屋の勉強机とあまりかわらない。ただ特徴的なのは洗濯物を干すための台が鎮座していることだ。北国では冬場外に洗濯物が干せないので必須なのだろう。ただ、洗濯物を干しっぱなしにしていないところは安心した。必要以上に合理主義の杏だから、着替えも洗濯して干された状態から直接着ているのではないかと思ったのだ。

「洗濯物、ちゃんと片付けてるのね」

「うん、真美ちゃんにしかられた」


 キッチンは、これまた意外にもよく使われているようだ。きれいではあるのだが、調味料はそろっているし、それなりに減っている。ただ、お酒の空き瓶とかビールの空き缶とかがかなり多い。

「あんた、日本酒飲むようになったんだ」

「ううん、それも真美ちゃん。よく女子会ここでやってんの」

「ふーん、おつまみ自分たちでつくってるんだ」

 食事はほとんど学食と聞いていたので、キッチンの様子が納得行かなかったので聞いてみたのだ。

「うん、いや、ほぼのぞみ」

「なるほどね、そう言えば先輩、食事が美味しくなくなったってこぼしてたよ」

 先輩とはのぞみちゃんママのことだ。

「じゃあのぞみは、実家では食事担当だったんだ」

「みたいよ。のぞみちゃんはいつでもお嫁にいけるね」

「問題は明くんね」

「実際のところどうなの?」

「よくわかんない」

 実のところ私は二人の気持ちは知っている。いずれなるようになるだろう。問題はうちのバカ娘だが、それはこのお盆休み中にしっかり見てみたいと思っている。

 

「杏、買い物行こう。スーパー案内してよ」

 冷蔵庫の中にろくなものがなかったので、私は買い出しに行くことにした。

「スーパー近いよ。歩いてく?」

「ううん、多めに買いたいから車お願い」


 明日はお弁当を作って、研究室に行ってやろう。食事でもしながら、東京・川崎から学問のため?に北海道に渡った四人の様子を見てみたい。特に杏と修二くんの様子をこの目で見てみたい。

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