第2話 のぞみんウラン系化合物に挑戦 その2
「この石英管にね、ウランとカドミウムを入れて電気炉で溶かすの。ウランの質量に合わせてカドミウムの質量をきめるわ。まずはそれね」
明くんに計算済みのカドミウムの質量を示す。
「どうするの?」
「のこぎりで切る。多すぎる分はヤスリで削る」
「わかった、やる」
「おねがい。私、その間にガスバーナー用意してくる」
「まかせとけ」
ガスバーナーは別の部屋にある。石英ガラスはちょっとやそっとの熱では溶けないから、ガスに酸素を混ぜる。作業中に切れても困るから、ガスと酸素の残量をチェックする。ガスボンベのバルブを開いて残圧をチェックするが、その瞬間はいつも緊張する。あまりに急にバルブを開けるとバルグが吹っ飛ぶらしい。
そのほか道具がそろっているか確認していたら、明くんがやってきた。
「のぞみん、カドミウム量ったけど、のぞみんの実験だから自分で確認したほうがいいと思う」
「了解」
ガスと酸素のボンベのバルブをもう一度閉め、電子天秤のところに向かう。明くんのこういった心遣いはさすがだと思う。私が量り直したら、全く問題なかった。
「うん、だいじょうぶ、明くんありがと」
早速石英管に封入する作業を始める。
封入しやすいように、石英管の途中を細くしてある。そこを通して材料を石英管の中に入れる。石英管の底にちゃんと材料が入ったことを確認して、石英管を真空ポンプにつなぐ。
「これをしばらく置いといて、真空度が上がったらバーナーで封入するよ」
ちょっと時間がかかるので、その間にすでに電気炉にある他の試料の様子を確かめる。
真空ポンプにもどって真空度をチェックする。
「もう少し時間かかるわ。明くん、どうする?」
「ちょっと休憩するか?」
「ゼミ室行く?」
「おう」
ゼミ室へ行ってコーヒーを淹れるため、電気ポットに水を入れる。
「のぞみんさ、さっきのサンプル、論文なーい?」
「あるよ」
「読みたい」
「ちょっとまってて」
明くんは勉強熱心だな、と思いながら居室へ論文のコピーを取りに行った。
ゼミ室に戻るとお湯が湧いていた。論文を明くんに渡し、インスタントコーヒーを淹れる。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
明くんはコーヒーを受け取りながらも、すごいスピードで眼を動かしている。
私は明くんを邪魔したくなくて、明くんが手に取っていない他の論文を読む。
しばらくしたら明くんが発言した。
「大体わかった。で、もしサンプルができたら、どう測定する?」
「電気抵抗かな?」
「超伝導をまず確認、ってことだね」
「そもそもさ、のぞみん、なんでこの物質なの?」
「うん、重い電子系超伝導体で発見は古いんだけど、とにかく論文数が少ないんだよね。作りにくいんだろうけど、重い電子系の超伝導全体を調べるには、やっぱり避けて通れないと思うんだよね」
「ふーん」
「重い電子系ってさ、近藤効果っていう磁性がからんでいるんだよ。BCS理論と相性が悪いはずの磁性と超電導が共存しているのが面白いんだ」
「聖女様は高温超伝導だけど、のぞみんは重い電子系の超伝導に興味あるってこと?」
「ううん、高温超伝導でも重い電子系でも、BCSにあてはまらない超伝導機構にチャレンジしたいんだ。それは聖女様も同じだと思うよ」
「ふーん、俺も超伝導やるかな」
「いいけど、中性子星とかなら、明くんの研究分野にしてもいいんじゃない?」
「お、よく知ってるね」
「なめんなよ」
中性子星は、恒星が一生を終え超新星爆発したあと、星自体の重力でどんどんと縮んでしまいできる星だ。中性子星は強烈に圧縮されていて、ある種の超流動とか超伝導状態になっているという説があるのを聞いたことがあった。
「のぞみん、そろそろ行く?」
「うん」
実験室にもどってチェックすると、石英管の中はいい感じに真空度が上がっていた。
「じゃ、やりますか」
「お手並み拝見」
ガスバーナーに火を点ける。赤い炎がメラメラと燃える。ガスの量を調節して、つづいて酸素を入れる。少しずつ酸素の量を増やすと、炎の色が青くなる。ゴォーという音になる。最適な状態を探り、さらに酸素を増やす。
パンッという音がして火が消えた。
「びっくりしたー」
「ごめん、酸素多くしすぎた」
酸素量が多すぎると、ガスの燃焼が早すぎ、ガスの供給が追いつかなくなるのだろう。
とにかくやり直す。
さっきの消える直前の状態になるよう、慎重に酸素を増やした。
遮光メガネをかけて、バーナーの火を石英ガラスの補足してある部分にあてる。あまりに急速に熱するとガラス管に穴が開いてしまうので、慎重に熱する。
汗が出る。
やがて石英管が光りだす。
ゆっくり、ゆっくり炙る。
そして、ガスバーナーを当てた部分が急に凹む。ガラス管の中が真空なので、柔らかくなった石英ガラスが大気圧に押されて凹むのだ。
温める場所を変え、すこしずつ管を絞っていく。あわてると穴が開くので焦りは禁物だ。
うまくいった。管は閉じられた。
しかしガラスにひずみが残っていると突然割れることがあるので、すぐに加熱をやめることなく、ていねいに熱を加えていく。
火を消すと、思わずフーと息を吐いてしまった。
「ああのぞみん、お疲れ様」
「明くんもお疲れ様」
真空ポンプのスイッチを切り、片付けを始めた。
明くんまでまきこんだこの実験だが、残念ながらあきらめた。
石英管に封入した材料を電気炉で500度まで加熱し1週間、電気炉から出してみたら、全然ウランとカドミウムが反応していなかった。
しかたないので温度を700度まで上げ、さらに1週間加熱した。さすがにできているだろうと温度が下がりきる前に石英管を電気炉から引き上げたのがいけなかった。
まだ400度くらいあったかもしれない。
吊り下げているタングステン線から石英管を外そうと、試験管ばさみで石英管をつかんだ。
タングステン線をはずして石英管を移動させようとしたら、石英管が試験管ばさみから滑り落ちていった。
死んだ、と思った。
石英管が割れてしまうかもしれない。
石英管内はまだ高温なので、カドミウムの蒸気が出てくるかもしれない。
そもそも高温のウランがどうなっているか、わからない。
人間死ぬかと思ったときは、時間がゆっくりすすむと感じると言う。
石英管が実験室の床にあたるまで、実に長く感じられた。
でもなにもできなかった。
カーンと良い音がして、石英管は床に激突した。
カラカラと転がっていく。
幸い、割れなかった。
なんか怖くなってしまい、それ以上続ける気力がなかった。
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