清潔で簡潔な皆様へ

筆入優

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 ある朝、何気なく見ていたネットニュースのとある記事に目がとまった。


〈新型ウイルス流行〉


 朝食のパンを持っていない左手で見出しをタップし、記事を開く。内容は、見出しの通り新型ウイルスについてだった。


 このウイルスに感染した者は生活が不衛生になってしまう。体調不良のトリガーではないことが信ぴょう性に欠けたのか、ニュースのコメント欄は凄まじい荒れ様だった。しかし、今しがた点けたテレビでも似た内容が報道されていたし、デマではないだろう。いくらメディアとはいえ、社会も揺るがすウイルスが実は嘘でした、なんて馬鹿な真似はしないはずだ。


 映画撮影の旨が書かれたLINEが一件、マネージャーから届いていたが、極端な性格の私はマスクをつけても外に出るのが怖くて、今日はリモートでお願いします、と返信した。


  *


 私が手にした国民的俳優の座を変なウイルスに感染したがために失うわけにはいかなかった。どこかの研究者がワクチンやウイルス対策を見つけるよりも先に自分自身が動かなければならない気がした。これも極端な性格の一環だとわかっているが、行動して損は無いだろう。


 とりあえず、不衛生から遠ざかれば感染しない気がした。それに根拠なんてものは無いが、とにかく私は自己流の対策を見つけるために奔走した。まずは変幻自在だった髪の毛を丸坊主にして、髭も全部無くした。全身の毛という毛を剃りまくった。

 すると、信じ難いことだが、日本中が感染していくなかで私と一人だけが感染しなかった。私が家に引きこもっていたからではない。感染した者の中には、私と同様にウイルス発見当初から引きこもっていた人間も無数にいた。ならば、私がたまたま感染しなかった可能性は低いと見ていいだろう。私なりの対策が効いたのだ。そう確信した。使えるものは全て使い、テレビ局に私の対策を報道してもらえるようセッティングした。


 果たして、それは、我ながら凄まじい影響力を見せた。日本中が老若男女問わず全身の毛という毛を剃り、感染率は著しく低下した。


 しかし、著しく低下しただけである。私の対策をもってしても感染者は絶えなかった。私がもっと頑張らなければならない。部屋にある物を必要最低限にまで減らして部屋を清潔に保ち、俗に言うミニマリストと相成った。それも報道してもらい、人類はさながら私のマリオネットでもあるかのように、報道の赴くままに、ミニマリストへと変貌していった。


 異様な社会が形成されていく反面、感染率は限りなくゼロに近い数値まで低下していく。新型ウイルスはあっという間に収束した。


  *


 数日後、私の所属事務所宛てに脅迫文が届いた。差出人は自称研究者。文面は〈私も同じ感染対策を何百日も前に思いついていたのだ。しかし、誰も私の感染対策を信じちゃくれなかった。それなのに、あろうことか、たかが人脈の差で、あたかもあなたが対策の第一発明者であるかのようになってしまった。許せない。必ずあなたを殺す〉である。


 ……ギャグかと思った。あまりにもテンプレ過ぎる。


 その当時の私は脅迫文が届くたびに大爆笑をかましたものだが、それが二年、三年と続いていくうちに文面が変化し、終いには〈数日後に殺す〉という簡素な文章が添えられるだけになってしまった。私は恐怖した。このままでは本当に殺されるのではないか。不安が胸中を巡り続け、鬱病を患った。


 もう、清潔になろうと思えなくなった。人生がどうでもよくなった。私は伸び続ける毛を眺めることしかできない。死んでしまったほうがマシだ。いや、私は殺されるのか?


 もう俳優業も手につかない。私は理由も添えて活動休止を公表した。


  *


 活動を休止して一週間後の朝。スマホも触る気力が無く、惰性でテレビを点けた。


 たまたま映った報道番組は、アナウンサーが喋る数秒手前の場面だった。


 ……いや、待てよ。何か違和感を覚えた私はテレビ画面に接近し、まじまじとアナウンサーを見つめた。彼が人間ではないということに気づくまで、そう時間はかからなかった。よく見ると、アナウンサーはロボットだったのだ。


〈日本中の人々が鬱病を患い、職務や登校などの活動休止を公表してから一週間が経過しました。依然として政治や経済は回復しておらず——〉


 私は、自身の影響力を舐めていた。

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